見出し画像

続けるということ

「継続は力なり」とか、「石の上にも三年」と言いますけど、やっぱり続けることって大事だなと思います。前述の1万時間でスキルを習得するにしても、やっぱり大切なのは継続して続けていくこと。スキルを身につけた後も、それを維持するためにとにかく「続ける」ということを意識する。

私の場合、語学に関しては日常的に仕事で使っているため、わりと無理なく継続することができています。趣味が映画鑑賞なので、洋画を流し見するだけでも語学の勉強にはなります。

そもそも、私は高校時代、英語の勉強があまり好きではありませんでした。「英語をしゃべる」ということについては興味はあったものの、高校での英語の授業が「大学受験」に全フリしている内容で、おじいさんの先生がカタカナ英語でひたすら念仏のように文法対策を教えていることに絶望していました。あまりにも高校の英語の授業がひどかったので、私は留学を決意しました。「本物の英語を身につけるぞ」と。まず一番最初にやったのは、高校の図書室で「語彙辞典」を借りて、一冊丸ごと読破するというチャレンジ。辞典をまるごと読むということで、単語同士のつながりや、ニュアンス、パターンなども見えてきて、一気に英語に対する理解が深まりました。

高校三年の秋頃まで国内の国公立大学を第一志望として受験勉強を続けていましたが、10月頃に最後の模擬試験を受けて校内トップの成績が取れたので、心おきなくアメリカ留学を決めて、英語の勉強に専念しました。高校卒業後、新宿にあったネバダ州立大学の日本校に1年間往復5時間の通学時間をかけて通い、徹底的に英語を身につけ、翌年渡米。ネバダ州立大学リノ校で、4年間アートを学びました。

卒業して1年間、ロサンゼルスでフォトグラファーという肩書で宝飾アクセサリーの写真を撮る仕事をして、日本に帰国。現在は、外資系広告代理店で多国籍企業のデジタルマーケティングをお手伝いする仕事をしています。日本国内や海外のお客さんたちとオンラインミーティングで英語を話す機会もあるので、語学力を維持することもできています。

大学でアートを専攻すると決めた際に、アートだけでは食べていけないかもしれないと思い、スペイン語も勉強しました。結局、アートの方が仕事に結びついたので、スペイン語についてはその後使っていません。昨年は、気まぐれに3か月間だけチェコ語講座を受講していました。語学を勉強するのは今でも好きです。

歩くこと

「続ける」ということでいえば、ちょうど今年10年の節目となったのが、100日間で100万歩にチャレンジするという企画。2014年にたまたま会社の福利厚生の企画としてそんなチャレンジ企画があるのを知り、応募してみました。9月1日から12月の上旬にかけての100日間、毎日1万歩を目指して歩き続け、合計100万歩を達成することを目指します。最初の年は、歩数を記録する紙とともに、万歩計も送られてきました。

2014年は、ちょうど私は40歳になった年でもあります。もともと私は運動が好きで、小・中と水泳や剣道を習っていて、高校からは陸上部として短距離を走っていました。小学校の頃にソフトボールのチームに所属していたのがきっかけで、アメリカ留学した大学時代も地元のソフトボールチームに所属。社会人になってもソフトボールのリーグに入っていたのですが、2003年のシーズン中、試合中の怪我で右足首じん帯を手術。その後10年ほどスポーツから遠ざかっていました。2012年に、コカ・コーラ社のアクエリアスの企画で、元オリンピック選手の市橋有里さんと一緒に走る機会があり、それがきっかけで走るのを再開しました。最初は数キロ走るのもしんどかったですが、1年ほどトレーニングを積んだ結果少しずつ走れるようになり、2013年の10月に初めて大会に出場し、皇居の周りを5km走りました。そして、その後もトレーニングを続け、翌2014年には皇居マラソン大会の距離を10kmに増やして参加。さらに、東京マスターズ陸上競技選手権大会にも出場し、100mと400mの種目を走りました。そしてこの年に、100日間で100万歩を歩く企画にも初めて参加してみたというわけです。その後、10年間毎年恒例のチャレンジ企画となりました。

5km、10kmと順調にマラソン大会の走行距離を伸ばしてきたので、2015年にはハーフマラソンに挑戦。くまがや夏マラソンで21kmを走ったのですが、ゴールはしたものの途中で熱中症の脱水症状を経験し、まだまだトレーニングが足りないなと実感しました。この年は、東日本マスターズ陸上競技大会に出場し、M40クラスで400m 3位、200m 6位の成績(そもそも参加人数が少ないので参加賞のようなものではありましたが)。2016年は、年初に突然思い立って「一晩でどれくらいあるけるのか」と、熊谷から都心に向かって50kmほどひとりで歩いてみたり、東京港トンネルを走る企画に参加したりなどしました。2016年から2年程、読売新聞社の「オトナのスポーツテスト」という体力測定のイベントに参加。

2017年には、「越後謙信きき酒マラソン」との運命的な出会いがありました。20kmを超えるアップダウン多めの山道を含むコースを走ったあと、ゴールで日本酒の利き酒をするというもの。初回はものすごい豪雨だったのですが、地元の皆さんのホスピタリティがすごくて、すっかりこの大会を気に入ってしまい、以来ずっと7年連続で参加しています。

2019年に、朝日新聞社が主催の「東京エクストリームウォーク100」という100kmを歩くというイベントの第一回大会が開催され、これに参加。30km地点で足の裏のマメがつぶれ、50km地点で一度リタイアを決意したものの結局足の裏の皮が剥がれたまま歩き続けてゴール。ただただ苦行でしたが、大会のボランティアスタッフのサポートにすごく感銘を受けて、第三回大会では自らもボランティアとして参加者さんたちのサポートをしました。そして、2022年の第四回大会では再び出場。この頃にはだいぶ歩くのも慣れてきたし、大会のコツもつかんだので、エキスパートコースという少し難易度の高い部門で出場し、無理なくゴールができました。

10年間、毎年100万歩を達成してきましたが、いつも順風満帆だったわけではなく。特にコロナ禍の期間中にリモートワークだったころは、なかなか歩数を伸ばすことができずに苦しい時がありました。

2021年9月1日にいつものようにスタートした100万歩チャレンジ。最初こそ順調に歩数を積み重ねていきましたが、24日目で歩数が足りずにショートに。その後赤字がどんどん累積していき、50日目でマイナス12万歩の赤字。この年、初めて東京マラソンに当選して出場できるはずだったのですが、あえなく中止に。67日目で、とうとうマイナス20万歩となり、100万歩の達成は絶望的状況でした。しかし、このタイミングで越後謙信きき酒マラソンが現地開催は中止となったものの、オンラインで参加できることになり。隅田川沿いを24kmほど走ったおかげで少し歩数を稼ぐことができました。ここから気合いを入れなおし、11月中旬から2週間以上平均2万歩以上歩くことで、20万歩の赤字を解消し、99日目でなんとか100万歩を達成することができました。

2022年も同様にコロナ禍でなかなか歩数を伸ばすのが難しい状況でしたが、途中まではそれなりに良いペースを保っていました。しかし、11月末から12月にかけて新型コロナに罹患してしまい、完全に歩数がストップしてしまいました。これは仕方がないので、回復するまでいったんチャレンジをストップして、体力が戻ってからリスタートしました。なので、少し時間はかかってしまいましたが「ロスタイム」という形でスタートから100日以上はかかってしまいましたが100万歩は達成。というわけで、2022年は中止と延期を繰り返していた東京マラソンにようやく参加でき、時間内に完走。東京エクストリームウォーク100で2度目の100kmを達成。さらに、毎年恒例の越後謙信きき酒マラソンも参加し、自分の中で三大大会のグランドスラム達成したような気分です。

そして今年、2023年は東京エクストリームウォークの大会に新設された、都内50kmを歩くというコースに出場。その翌日に、生まれて初めて神輿を担ぐという機会をもらっていたので、50kmを完走しつつ翌日神輿を担ぐことができるくらいの体力を残しておかないといけないというなかなかにトリッキーなチャレンジに。無事に神田祭で神輿を担ぐこともできて、感動でした。もちろん、7年目の越後謙信きき酒マラソンにも参加。しかし、こんだけ毎年参加しているのですが、今まで一度も利き酒が当たったことが無いんですよね。15種類の日本酒の中から、最初に飲んだのと同じものを当てるというある意味単純なルールなのですが、15杯目を飲んだ頃には最初方の日本酒の味を忘れているという……。かなり楽しいマラソンイベントです。

というわけで、今年は10回目の100万歩チャレンジを達成。というわけで、累計歩数が1千万歩となりました。なんとなく、節目の年という感じですね。江戸時代に日本の地形を測量した伊能忠敬さんは4千万歩を歩いているとのことですので、私なんかはまだまだです。

日々歩けるということに感謝しつつ。今後も体力の許す限り続けていきたいと思います。



「日曜アーティスト」を名乗って、くだらないことに本気で取り組みつつ、趣味の創作活動をしています。みんなで遊ぶと楽しいですよね。