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アーバンアルピニストの登らない山登り(2024年1月~3月)前編

「アーバンアルピニスト」という肩書をつくって、都会でなるべく登らずに山に登るというチャレンジを始めたのは、日本橋にオフィスを借りて『会社ごっこ』というアートプロジェクトをしていた頃。そこでは、会社のテイで名刺やハンコ、クリアフォルダーや看板、切手などひたすらつくりまくって、ただただ楽しむという遊びの企画をやってました。ひとりブレスト会議で、いろいろなプロジェクトを勝手に妄想していた時に、この「登らない山登り」のアイデアも出てきたというわけです。

そして、その企画を実行し、「山」と名の付く地名や、低山などを巡っているうちに、「富士塚」と出会いました。まさに、運命の出会い。2018年に子供たちと品川の街歩きをするという企画にボランティアスタッフとして参加した際に、「品川富士」の存在を知り、より詳しく調べていくうちに江戸時代から続く「富士講」と呼ばれる富士山を神様として祀る民間信仰があることを知り、都内近郊には意外とたくさんの富士塚が存在していることに気づいたのです。なんと、私の家の近所にも富士塚があったのだが、目には入っていたものの全然その存在を理解していなかったことに驚きつつも。こうして目につくようになると、いろんなところに富士塚があることに気づきます。Google Mapに富士塚や富士講関連のスポットにピンを差していったら、なんと200を超えました。富士塚や、富士山を祀る浅間神社、そしてその遺構であったり、石碑や案内板など。たくさんありますね。

以来、富士塚を巡る街歩きのツアーを企画したり、もちろんひとりでもあちこちの富士塚に登りつつ。「アーバンアルピニスト」の活動を続けています。2023年は、50以上の富士塚や低山、古墳、山と名の付く地名など、いろんな山を巡りました。

そんなわけで、2024年の今年も、登った山を記事にまとめていきたいと思います。とりあえずまずは、第一四半期の分をまとめていきます。

▼富士塚、富士講関連

素盞雄神社(南千住/小塚原富士)

訪問日:2024年1月1日

自宅の近所にある神社。毎年、この神社に初詣のお参りに来ています。2024年も元旦も、家族でお参りして、おみくじを引き、富士塚にも参拝しました。ここの富士塚は、普段は閉鎖されていて登れないようになっているのですが、7月1日のお山開きの日だけ、儀式の後に登ることができます。ただ、私はまだ、登ったことが無いのですよね。お山開きの儀式には3度ほど参加しているのですが、いつもその日は雨で登拝は中止。晴れている日に限って、仕事があった参加できなかったり。2024年7月1日は、はたして登れるだろうか?!

素盞雄神社(南千住/小塚原富士)
〒116-0003 東京都荒川区南千住6丁目60-1
https://susanoo.or.jp/

浅草富士浅間神社(浅草富士)

訪問日:2024年1月2日

1月1日は地元の富士塚。そして、1月2日は浅草の富士塚に登り、御朱印をいただく。なんとなく、ここ何年かはそんな行き方がパターン化しています。

ここは、登れる富士塚です。平成28年6月に完成した、かなり新しい富士塚です。境内に盛られた高さは、約2メートルほど。10歩で頂上に着きます。

浅草を訪れるときは、ちょっと足を延ばしてこちらの神社と富士塚を訪れます。友人たちと、この富士塚に登る街歩き&朝食ツアーを組んだこともあり、とても好きな富士塚です。

浅草富士浅間神社(浅草富士)
〒111-0032 東京都台東区浅草5丁目3-2
https://www.asakusajinja.jp/sengenjinja/

品川神社(品川富士)

訪問日:2024年1月29日

冒頭にも書いた通り、自分が「富士塚」という存在を意識するようになったのは、この品川富士との出会いがきっかけ。「江戸七富士」のひとつで、高さ約15メートルもあり、富士塚としてはかなり大きいです。造られたのは明治2年(1869)から5年(1872)にかけてだそうなので、厳密に言うと「江戸」の富士ではないかもしれないですが。

登り方としては、正面の大きな鳥居をくぐって石段を登り、途中で左折して登山道に入るのがひとつのルート。この場合、「合目石」と呼ばれる、一合目、二合目、三合目……と、頂上の十合目までつづく小さな石標を順番に見ながら登ることができます。

もう一つの登り方は、正面の鳥居から向かって右側に歩いて行き、駐車場脇の細い道を登っていくコース。境内に出ますので、そこから鳥居をくぐって浅間神社にお参りをしてから、登山道を登るという行き方。この、二つ目の登り方は、私のこのTikTokで紹介しています。

品川富士は、品川区指定有形民俗文化財に指定されています。

品川神社(品川富士)
〒140-0001 東京都品川区北品川3丁目7-15
https://shinagawajinja.tokyo/treasure/

目黒元富士跡(目黒元富士跡)

訪問日:2024年2月3日

目黒には、もともと「目黒元富士」と「目黒新富士」とがありました。いずれも、現在は富士塚は残っておらず、その遺構を示す標識が残っているのみです。

目黒元富士は、文化9年(1812年)につくられた高さ12メートルの富士塚。江戸時代には、人々の行楽の名所としてにぎわったそうです。別名西富士、あるいは丸旦山とも呼ばれました。

もうひとつの目黒新富士は、江戸時代後期の幕臣で探検家の近藤重蔵によって文政2年(1819年)につくられました。信仰の対象というよりは、近藤さんが自分の邸内に築いたもので、庭の鑑賞用につくられたようですね。別名東富士や、近藤富士とも呼ばれていました。

こんな風に、それぞれの富士塚の歴史を振り返るのも面白いです。

目黒元富士跡(目黒元富士跡)
〒153-0051 東京都目黒区上目黒1丁目8
https://www.city.meguro.tokyo.jp/shougaigakushuu/bunkasports/rekishibunkazai/tobufuji.html

上目黒氷川神社(目黒富士)

訪問日:2024年2月10日

なんとも、ほのぼのとするのが上目黒氷川神社にある目黒富士。なにが良いって、その手作り感が素敵なのです。鳥居の神額に書かれた、手書きの文字であったり、登山コースや看板、標識など、昭和50年ごろ当時の氏子の方々が中心となって富士山登拝を疑似体験できるようにとつくられたそうです。

もともとここには富士塚はなかったのですが、目黒元富士の石祠や石碑などをこの場所に移して、新たに「目黒富士」と名付けました。

この記事を執筆している2024年4月現在、上目黒氷川神社に富士山遥拝所を造るためのクラウドファンディングが進行中です。

上目黒氷川神社(目黒富士)
〒153-0044 東京都目黒区大橋2丁目16-21

山野浅間神社

訪問日:2024年2月11日

「浅間神社」は、日本国内に約1,300社あると言われており、その総本宮は、富士山を神体山とする富士山本宮浅間大社です。ご祭神はコノハナサクヤヒメ。炎上する産屋で子を産んだという、すごいエピソードの持ち主です。

この日訪れたのは、西船橋にある山野浅間神社。富士塚は無いようですが、入り口の鳥居をくぐって石段を上る際、両脇に富士塚をつくる際によく使われる溶岩石(黒ボク石)が設置されていました。

とても天気が良い日で、お参りした後しばしベンチでのんびりとしてました。

山野浅間神社
〒273-0031 千葉県船橋市西船1丁目5-7

茅原浅間神社(江古田富士)

訪問日:2024年2月23日

江戸七富士のひとつである茅原浅間神社の江古田富士は、私が江戸七富士を巡るようになった2018年から毎年訪れています。登拝できるのは、年に三回。正月三が日と、7月1日の山開きの日、そして9月の第二土曜・日曜だけです。私は、だいたい7月1日の山開きの日に訪れることが多いのですが、この時期の富士塚登山で悩まされるのが蚊が多いこと。その日も、「しまった!蚊よけスプレーを塗ってくるのを忘れた!」と途中で気づき、コンビニで買って全身に塗ってから到着したのですが、なんと親切な地元の方が「蚊よけスプレー、塗ってあげるよ」と、入り口付近で吹きかけてくれました。この心遣い、感動しました。

2年か3年前だったと思うのですが、仕事の都合で7月1日の登頂ができず、「今年は頂上で参拝はできないか……」と残念に思っていたところ、なんと偶然9月に訪れたときが登拝可能日で、まったく日付を意識せずに行ったのですごくその偶然が嬉しかったのを覚えています。

あともう一つ、ちょっとした小ネタ情報を。この江古田富士のすぐ近くに、松屋 1号店があります。1968年(昭和43年)に創業した、牛めし・焼き肉定食店「松屋」の、一番最初につくられたお店。江古田富士を訪れたら、ついでに立ち寄ってみるのも良いかと。

茅原浅間神社(江古田富士)
〒176-0004 東京都練馬区小竹町1丁目59-2
https://www.city.nerima.tokyo.jp/kankomoyoshi/annai/rekishiwoshiru/rekishibunkazai/bunkazai/b003.html

高松富士浅間神社(高松富士/豊島長崎の富士塚)

訪問日:2024年2月23日

江戸七富士のうち、実は一番登頂が難しいのが、この高松富士浅間神社の富士塚。そもそも、一般開放されるのが年に一回だけ。そのうえ、コロナ禍の期間中はそれも中止になっていたので、登る機会がありませんでした。

私も、登頂できたのは、2018年と2019年の二回だけです。「今年こそは!」と思いつつ、この日は地上から見上げるだけ。

隣が公園なので、遊具から見えるところに富士塚があるのは、なんとも不思議な光景です。

高松富士浅間神社(高松富士/豊島長崎の富士塚)
〒171-0042 東京都豊島区高松2丁目9-3
https://www.city.toshima.lg.jp/349/bunka/bunka/bunkazai/shiseki/2209260918.html

護国寺(音羽富士)

訪問日:2024年2月23日

江戸七富士の中で唯一、お寺の敷地内にあるのが、この音羽富士。護国寺の敷地内に高さ6メートルほどの富士塚があり、頂上に浅間神社の石祠が設置されています。文化14年(1817年)に本堂の西側につくられ、明治18年に現在の場所へ移設。平成元年に修復され、現在の姿になっています。

ここも、いつでも登れる富士塚。夏場はわりと蚊がいるので注意。

護国寺(音羽富士)
〒112-0012 東京都文京区大塚5丁目40-1
https://www.gokokuji.or.jp/

成子天神社(成子富士)

訪問日:2024年2月29日

2月29日は、四年に一回だけ出現するちょっと特別な日。「おまけ」みたいな日なので、この日は普段できないようなことをすると良いかも。会社帰りに新宿の美術館を訪れ、そこからの帰り道にこの成子天神社を訪れ、成子富士に登りました。「この時間は、入り口が閉鎖されていて登れないかな」と思ったのですが、登れましたね。暗い中、新宿で富士登山。小雨が降っているので、足元に注意しつつ。

頂上からは、新宿のスカイスクレイパーが見えました。

成子天神社(成子富士)
〒160-0023 東京都新宿区西新宿8丁目14-10
http://www.naruko-t.org/

神田明神合祀殿富士神社

訪問日:2024年2月29日

うるう年のおまけの日、2月29日に、新宿から神田へ移動して、神田明神へ。本殿の裏側にある合祀殿に、富士神社が祀られているのです。ここは、富士塚はありませんが、富士講の重要な拠点。富士山と同じ、コノヤサクヤヒメノミコトが祀られているので、参拝。

神社から右側の方へ抜けると、そこには元万世橋の欄干がひっそりと石碑の囲いとして再利用されています。

神田明神合祀殿富士神社
〒101-0021 東京都千代田区外神田2丁目16-2

北沢一丁目富士講碑

訪問日:2024年3月1日

下北沢エリアを目的地に向かって歩いていると、急にこの石碑が目に飛び込んできました。「あれ?見たことあるぞ」と思って、近づいて碑文を確認すると、立派な富士講碑。富士山遥拝記念に建てられたとみられる、石碑です。

前回初めてこの碑に巡り合ったのも、こんな偶然だったな。なぜか、縁のある石碑です。

北沢一丁目富士講碑
〒155-0031 東京都世田谷区北沢1丁目45

野上淺間神社

訪問日:2024年3月2日

小学生から高校まで、長瀞に住んでいました。両親と妹は今も長瀞に住んでいるので、時々訪れるのですが。浅間神社があるとは全然知らなかった。たまたま前回、地図を見ていたら見つけました。富士山の図が描かれた石碑も。そしてなぜか、滑り台風の遊具なのか、それともなにか別の意図があってつくられたものなのか、てっぺんからふもとまで樋のようなものもあり。なにやら、不思議な場所です。

淺間神社
〒369-1304 埼玉県秩父郡長瀞町本野上

駒込富士神社(駒込富士)

訪問日:2024年3月4日

最初に訪れたのは、2018年の富士塚巡りの頃だったろうか。山開きのお祭りの日だったので、参道に屋台が出ていたのを覚えている。以来、何度か訪れている文京区本駒込にある富士塚、駒込富士。もともとは古墳だったものを富士塚に作り替えたとも言われている。

駒込富士神社(駒込富士)
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目7-20 富士神社
https://b-kanko.jp/spot/260

田端八幡神社(田端富士)

訪問日:2024年3月4日

鎌倉八幡宮を勧請してつくられた神社。石段を上っていくと、途中の右手に富士塚がある。これが、田端富士。

前回来たときは気づかなかったけど、手前の鳥居の近くにあるのは橋に使われた石材だったんですね。

田端八幡神社(田端富士)
〒114-0014 東京都北区田端2丁目7-2
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/kita/5305

海蔵寺(身禄行者の墓)

訪問日:2024年3月4日

富士信仰の中興の祖と呼ばれる「身禄行者」のお墓が文京区の海蔵寺にあります。富士山を信仰する「富士講」の指導者として活動した後、享保18年(1733年)63歳の時、富士山で断食行を行い、そのまま入定されました。お寺の中にあって、鳥居もありますが、お墓ですので柏手は打たずに静かに手を合わせました。

海蔵寺(身禄行者の墓)
〒113-0023 東京都文京区向丘2丁目25-10
https://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/spot/jisha/kaizoji.html

白山神社(白山富士)

訪問日:2024年3月4日

白山神社は全国に2,000社以上あると言われていて、その総本社は石川県白山市にある白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)です。白山は、富士山や立山と並んで、日本三霊山と呼ばれていまず。

私が訪れたのは、文京区にある白山神社。天暦2年(948年)に白山比咩神社から勧請を受け、現在の本郷1丁目に創建されました。現在の場所に遷座したのは、明暦元年(1655年)。

白山神社の敷地内に、富士塚があります。白山と富士山は異なる山ですが、こうして隣同士に並んでいるのが興味深いですね。6月のあじさいまつりの期間、この富士塚が公開されるそうですが、私はまだこの富士塚に登ったことはありません。

白山神社(白山富士)
〒112-0001 東京都文京区白山5丁目31-26
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/bunkyo/5901/

品川神社(品川富士)

訪問日:2024年3月18日

1月に訪れた品川富士に、また3月にも訪れました。この日は、娘の卒業式。式典に参加した後、帰りに品川神社に立ち寄り、浅間神社と富士塚にも参拝しました。人生の節目に、忘れられない富士塚登山となりました。

品川神社(品川富士)
〒140-0001 東京都品川区北品川3丁目7-15

小野照崎神社(下谷坂本富士)

訪問日:2024年3月19日

小野照崎神社の下谷坂本富士も、江戸七富士のひとつ。富士講の一派入谷東(山東)講によって文政11年(1828)に造られました。高さは約5メートル、直径は約16メートルで、普段は閉鎖されていて登ることはできませんが、6月30日から7月1日のお山開きの期間だけ、登拝することができます。

小野照崎神社(下谷坂本富士)
〒110-0004 東京都台東区下谷2丁目13-14
https://onoteru.or.jp/

まとめ

というわけで、2024年1月から3月にかけて訪れた18か所の富士塚や富士講関連のスポットをご紹介しました。「アーバンアルピニスト」としての活動は富士塚だけでなく、地図上では山と認められてない低山であったり、「山」と名がつく地名で会ったり、あるいや古墳や屋上なども登らずに登る「登山スポット」となっています。

後編では、富士塚以外の登山スポットをご紹介します。

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散歩や登らない山登りの情報など

「アーバンアルピニスト」として、なるべく登らないことを目標に、都内でほぼ平らな山に登り続けています。散歩が好きです。

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「日曜アーティスト」を名乗って、くだらないことに本気で取り組みつつ、趣味の創作活動をしています。みんなで遊ぶと楽しいですよね。