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AI音声による「カプセル宣言」

1970年に出版された『黒川紀章の作品(美術出版社)』には、ソノシート(ビニール製のレコード盤)が付録としてついていて、合成音声による「カプセル宣言」の音源が収録されていた。当時最先端のコンピュータでつくられたものの、あまりにも合成っぽい感じでかなり聞き取りづらい。

というわけで、50年以上経った現代のテクノロジーで、AIナレーターに同じテキストを読ませてみた。「VOICEPEAK」というアプリケーションを使って、イントネーションや間を調整しつつ、1時間ほどで完成。ナレーターのキャラクターは、小さな女の子の声を選んだ。あまり時間をかけずに作った割には、それなりにきちんと聴ける。

この50年で、テクノロジーはすごい勢いで進歩した。こんな合成音声も、本当に簡単につくれるようになっていてびっくりする。まさに、われわれは今50年前の人々が思い描いた「未来」の世界に生きているわけなのだが。
でも待って。やっぱりちょっと違う。

人間と機械が有機的に融合して完全なサイボーグにはまだなってないし、いまだに人は土地に縛られ、できるなら大邸宅に住んでみたいと思い描く。プレハブは建築の主流にはなっていないし、メタポリスと聞いてもきょとんとするだけだろう。多様性社会を志向し、情報化社会を受け入れつつも、やっぱり人はひとりでは生きられないし、いつも心のどこかで繋がりを求めている。

中銀カプセルタワービルはメタボリズムの本意である新陳代謝を一度もすることなく解体されてしまった。それでも、この場所で記憶や体験をともにした人たちとの繋がりは続いていくし、ここから保存・再生された23個のカプセルたちは、これから日本各地や世界に向けて旅立っていく。

そんな未来に、ぼくらは生きている。

「カプセル宣言」 1969年

第一条
カプセルとは、サイボーグ・アーキテクチュアである。人間と機械と空間が、対立関係をこえて新しい有機体をつくる。人工内蔵をとりつけた人間が、機械でもなく、人間でもない、新しい秩序をつくるように、カプセルは人間と装置をこえる。建築は、これからますます装置化の道をたどるであろう。この精巧な装置は、道具としての装置ではなく、生命型に組み込まれる部分であり、それ自身が目的的存在となる。

第二条
カプセルとは、ホモ・モーベンスのためのすまいである。アメリカでは都市部の住民の転居率・移動率は、年間二十五パーセントをこえた。わが国でも二十パーセントのラインをこえるのは、そう遠いことではない。都市の勢力は、もはや夜間人口でとらえることはできず、夜間人口と昼間人口の差、あるいは二十四時間の生活時間の軌跡こそ、生活の実態を示す指標となるだろう。土地や大邸宅という不動産を、人々は次第に欲求しないようになり、より自由に動ける機会と手段をもつことに、価値観を見出すだろう。カプセルは建築の土地からの解放であり、動く建築の時代の到来を告げるものである。

第三条
カプセルは、多様性社会を志向する。われわれは、個人の自由が最大限に認められる社会選択の可能性の大きい社会をめざす。組織が社会や都市の空間を決定していた時代、システムとしてのインフラストラクチュアが、都市の物理的な環境を形成した。生活単位としてのカプセルは、個人の個性を表現し、カプセルは組織に対する個人の挑戦であり、画一化に対する個性の反逆である。

第四条
カプセルは、個人を中心とする新しい家庭像の確立をめざす。夫婦を中心とする住宅単位は崩壊し、夫婦・親子といった家庭関係は、個人単位空間のドッキングの状態として表現されるようになるだろう。

第五条
カプセルは故郷としてのメタポリスをもつ。カプセル相互間ドッキングが家庭であるとすれば、カプセルと社会的共用空間とのドッキングの状態が、社会的空間を形成する。宗教空間として、権威の象徴として、あるいは商業の場として広場は崩壊し、個人の精神的原点としての公共空間が、新しい故郷としてのメタポリスを形成する。二十四時間の生活行動が地域的に完結しているという自己完結型のコミュニティーは、消滅しなくてはならない。故郷とは、具体的な日常空間をこえた、精神的領域となるであろう。

第六条
カプセルは、情報社会におけるフィードバック装置である。場合によっては情報を拒否するための装置である。われわれの社会は、工業社会から、情報社会へと移行する。工業中心型の産業パターンが、知識産業、教育産業、研究産業、出版産業、広告産業、レジャー産業を中心とする情報産業型の産業パターンに変化し、われわれはあらゆる多様で大量な情報の構図の中で生活することになろう。このような情報過多現象と情報の一方通行から個人の生活を守るためには、フィードバックのメカニズムと情報を拒否するメカニズムをもつことが必要となる。カプセルは、情報社会の中で、個人が自立できるための空間なのである。

第七条
カプセルは、プレハブ建築、すなわち工業化建築の究極的な存在である。建築の工業化は、その生産プロセスが従来の建築産業と絶縁したときに、可能となる。そしてその先導部門となるのは、車両産業であり、航空機産業であり、自動車産業であろう。T型フォードが量産の意味をメタモルフィックに転換したように、カプセルがはじめて建築の工業化の質的転換を可能とするだろう。フォードがムスタングの量産で示したように、カプセルの量産は規格的大量生産方式ではなく、パーツの組み合わせにより、選択的大量生産方式となるだろう。量産は規格化を強要するものではなく、量産による多様性の時代が到来する。

第八条
カプセルは全体性を拒否し、体系的思想を拒否する。体系的思想の時代は終わった。思想は崩壊し、ことばに分解され、カプセル化される。一つのことば、一つの名前が広がり、変身し、浸透し、刺激し、大きく時代を動かす。建築は部品ごとに分解され、機能単位としてカプセル化される。建築とは、複数のカプセルの時空的なドッキングの状態として定義されるだろう。

出典:黒川紀章著『ホモ・モーベンス』より



「日曜アーティスト」を名乗って、くだらないことに本気で取り組みつつ、趣味の創作活動をしています。みんなで遊ぶと楽しいですよね。