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短編小説その5「パブのネズミ」

     パブのネズミ

ネズミが住んでいるのはパブの屋根裏である。パブに住み着いてから結構食事にありついている。贅沢ともいえる質の高い食事を毎日食べることができる。毎晩酔っ払いが騒いでいる、ひとえに酔っ払いが食べ残すためである。残飯なる食事を誰もが居なくなった明け方のパブの炊事場で漁る。急いで食べる必要がない。明け方の光に惑わされながらもゆっくりと味わい食べることができる。幸福感に満足する。ただ気をつけなければならない。時々残飯の量が少ない時がある。恰好の餌場を嗅ぎつけられたかもしれない。誰か他のネズミに食べられたとしか思われない。ネズミ以外には考えらないが、それならばどうしてこのパブに住み着かないのか。謎であるけれどネズミは深くは考えない。ネズミは強くも弱くもない普通の体格をしたている。他のネズミに出会ったなら一目で分かるはずである。共に住むことも可能なはずであって諍いは避けることもできる。もしや競合者なるネズミが居るなど思い違いなのかもしれない。その日の客の入り具合や注文された料理の違いが残飯の量に影響する。そう考えた方が自然である。それでも残された量は多くて食べきれない。最初は屋根裏のねぐらに仕舞い込んでおくことも考えたが必要はない。毎日残飯として吐き出される。マイクを使って音量を大にして叫び歌っている時こそ量が多いのである。響き伝わってくる音に悩まされながらも内心はほくそ笑んでいる。一番旨いのはチーズの入ったピザである。歌う声が大きい時にはピザではなくてクッキーや豆や煮ものなどの混ぜ合わさったものが多い。歌う者はピザなど注文しないのである。


屋根裏部屋に住むネズミは店に客が入って来る夕方から夜に向けて眠り、明け方から夕方にかけて活動する。客が騒ぐために夜の眠りはどうしても浅くなる。仕方がない。食事にありつけるのも彼らのおかげである。彼らが金銭を支払って食べ残してくれるからだ。浅い眠りは彼らが帰った深夜から明け方に急速に深まる。これは習性である、それでも眠い時には昼寝をする。満腹感で満たされて暗い屋根裏部屋での昼寝はとても心地よい。静かでとても眠りやすい。ただ眠りすぎないように注意しなければならない。夜に、少しも眠られなくなるからだ。こうした生活も妙なもので睡眠の質と量が夜と昼とで役割を分担している。食べ物が確保されることが生活の習性を生み出している。明け方狭い炊事場に入ると残飯の匂いで満ちている。旨い匂いである。容器の蓋を開けると匂いが鼻腔を刺激する。わくわくする瞬間である。その日の収穫を味わい楽しめる。ただ量が少ない時には知らずに辺りを見渡している。誰もが居ないのに誰かが居るかのように、収穫物を狙う悪者がまだ居残っているかのように、心落ち着かずに不安になる。そして不安に関わらずいつも誰も居ずに静かである。炊事場の窓などない天井に入り込んで、耳を澄ませ目を光らせても何も聞こえてこないし、動く者の姿は何も見えない。でもどうしても怯えてしまうのである。悪者なる他のネズミばかりではなくて、このパブの客と従業員が潜んでいる錯覚に捕えられることがある。でもどの人間であっても潜んではいない。居るとするならソファーに横たわってぐっすりと眠っている。時々何人もの人間が店のソファーの上に重なるように眠っている。彼らは泥酔して死んだような人間である。でも悪意に満ちた誰かが潜んでいるという疑いを消し去ることができない。


油断なく見渡して耳を澄ませて、悪意を持って潜んでいる者が居ないことを確認すると、ネズミは改めて残飯の収穫物に大威張りで食らいつく。ゆっくりと時間をかけて食事を楽しむことができるのに大忙しに食らいついている。。チーズの入ったピザの時だけ楽しみながら美味しく味わうように食べている。いわば警戒する心に隙を見せる。その隙が命取りになる出来事は生じていない。これからも生じることはないだろうけれど、ネズミは常に失態を犯したように反省する。ほんの少しの油断が命取りになる。それを知っていても黄色やオレンジ色の美味しいチーズを見つけた時には我を忘れてしまう。困ったものだと思いながらそれでもネズミは稀には楽しむ時間を持ちたい、張り詰めた緊張を解きほぐす時が欲しい。心の底から楽しむ時が必要なのである。楽しむべき時はそう長くは続かない。チーズの入ったピザを食べ終えると、ネズミは注意深く振る舞う常なる態度を取り戻そうとする。満腹になるとネズミは店の中をそろりと歩き始める。パブの中を散歩するにしても、悪意が満ちていないことを見張り確認しながらゆっくりと動き始める。ただ緩慢な動作はどうしても注意深く振る舞うべき常なる心がおろそかになっている。満ち足りてしまっていわば楽しむべき時がまだ続いているのかもしれない。先だっては寝ている客と従業員の傍に行ってそれぞれの顔をしげしげと眺めながら、ちょいと悪戯心を出して舌で頬を舐めて尻尾で鼻頭に触れたことがある。彼らはそんなことは気づかず、そのまま隠れて覗いていても寝入ったままである。彼らは悪者ではない。潜んで窺っている者ではないからである。そうした大胆さを行うべきではないと諭しながら、行っている自分の心がネズミは嫌いである。


細心さは常に注意を求められる。他者のネズミでなくとも人間は目の敵にして殺しに来る。そうした心構えをネズミは知っているのに時々細心さからはみ出ようとする自分が嫌になってくる。事細やかに心配するあまりに、逆にネズミは楽しみを求めているのかもしれない。そう思い他の楽しい行動を探そうとしたことがある。一番良いのは屋根裏部屋をうろつくことである。人間からは離れていて見つかってもほぼ完全に逃れられる。他のネズミや蛇であればその気配を敏感に察知することができる。つまりはきっと逃げおおせる。屋根裏から眺めるパブは小さい。カウンターの横にちょいとした炊事場なる流し場があって、ごみ入れや残飯容器などが置いてある。接待するソファーは横に二脚並び対向かいにテーブルがあって十人以下であればぎしぎしに座れる。四角いテーブルも二卓ある。客の人数がどの程度であるかネズミは知らないが、きっと大音量に騒ぐ時以外はそれほど多くはないに違いない。寝入る前にちょいと覗いた時がある。色気のある若い女主人と従業員がいつも手料理を作っている。まだ開店前の準備なのであろう。静かに包丁を使う音が響いてくる。薄暗い中にも滑らかに肌は艶を張っている。女たちが煌めく瞳に色を込めて笑顔に妖しい色を秘めれば誰もが通わずにはいられらくなるであろう。健やかな眩しさと妖しい色気をした顔とが懸命に開店準備を行っているのである。まるで嵐の前の静けさである。急に客が風となって吹き込んで来ると忙しくなる。笑顔は絶えずに滑らかに言葉が発せられて会話は弾み、ロックとソウルのバックミュージックが奏でる音に乗せて、白い腕が軽やかに伸びてくる。きっと摘まみ物や軽食を差し出すであろう、煙草に火を点けるであろう、客の指先にそっと触れるだろう。ただネズミはそうした光景を見たことはない。もういつもは屋根裏部屋に帰って目を閉じて眠っている。


屋根裏からはこのパブ以外にも別の店を覗くことができる。ただ飲み屋ではなくて時計屋であり理容室であり眼鏡屋である。彼らが食べ物の残して帰り去ることなどない。旨い餌にありつくことはできない。それに昼間に屋根裏を歩けば気づかれそうで怖い。ネズミがいると知れば強力な殺鼠剤をばらまかれる。どの店も老夫婦だけで商売をしている。ネズミが関心を引かない慎ましい老夫婦がのんびりと客を待ち構えている。この店の並びは長屋であって店を構えれば住む場所などない。決まった時間に店は締められて夜は、夜が明けてもまだ無人で静けさが包んでいる。このパブだけが夜の最中にうるさいのである。眠れない時には静けさを求めて屋根裏を移動しこれらの店屋の天井裏で眠ることがある。ただ眠れなくてネズミはどうしてもパブが気に掛かる。華やいだ騒々しさが香ばしい色気の匂いが気に掛かるのである。もしやネズミは昼間に眠っていて、夜に活動してパブの音と匂いと色とを楽しんでいるのではないだろうか。間違えでなければネズミはパブの女主人と従業員と何人かの客と一緒になって音楽を聴いて会話を楽しみ肌の匂いを嗅いで、限りなく続く夜を素敵に過ごしている、そのことを生きがいにしているのではないだろうか。残り物の餌とはまさにこの楽しみに与えられるご馳走なのではないだろうか。居残った女や客が互いの顔や肌に触れるのを覗くことはネズミの唯一の至福に至る時ではないだろうか。多数の益を得ることができるパブとはまさにネズミにとって得難い生活の場である。その場所が脅かされるのは許し難い。その侵入してくる悪者の気配を恐れながらも、ネズミは十分に自らの生活を素敵に満足して過ごしていると言うこともできる。


こうした安穏な生活はどうしても長くは続かない。それは恐れている他のネズミや蛇などの敵対者が現れたためでもない。ネズミ自身が旨いものを食べすぎて太ってしまったせいか病気に罹ったのである。動くことが間々ならない。歩こうと立ち上がるとどたんと音をさせて倒れてしまう。ネズミは注意深く辺りを見渡して誰もが居ないことを音の響きの無いことを確認しながら、しばらく絶食を決め込む。チーズ入りのピザを食べられないのは残念であるが命に背は変えられない。そのまま丸まり蹲って天井裏で過ごすのである。こうして何日も空腹に我慢していると背が腹に近づいてくる。痩せ細ってくる。痩せてしまえば歩けるかと起き上がって試めそうとするが少しも歩けない。今までの暴食の因果報酬であるのか、よく分からないけれどネズミは呆れ返ってパブから響き伝わってくるロックやソウルのバックミュージックに混じって聞こえてくる、甘い囁きや笑い声や甲高い叫び声に心から耳を傾けている。一音とも逃さないように真剣に耳をそばだてている。半死の状態に陥ってもネズミは常にパブと一緒になって楽しみ暮らしている。これらの音と声がネズミを慰めてくれる。そっと覗き見ると女主人の切れ長の瞳が天井を見ているような気がする。白い指の先が天井に向いて招くように差し出されている気がする。それは錯覚であろうともネズミはそうと信じたい。エレキギターの響きが天井に伝わって床板が振動している。客の馬鹿笑いが屋根裏を揺らしている。甲高い叫び声が天井を突き抜けて夜の空へと舞い上がっている。どうも今宵は客で満杯であってどんちゃん騒ぎをしている。色っぽい女主人や小娘の従業員を巻き込んでパブ自身がお祭り騒ぎをしていて酔い痴れているようだ。誰もが夜のお祭りを心の底から楽しみ喜んでいるのである。


仕方なくネズミはその響いてくる音や声だけを聴いて横になっている。覗くこともできないほど弱っているのではなくて、もうすぐ元気な体を取り戻すことができる。ネズミは自身の満足の仕方を新しく見出さなければならないのではなくて、これまで通りにパブの店を覗いて美味しい餌にありついて生きることができる。もう少しの辛抱だろう、もう少し我慢すれば元の体に戻るであろう。どうにもネズミの体を舌先で舐める者がいる。それは蛇や猫ではない、ネズミが食べられるのではない。錯覚であって蛇や猫が獲物としてネズミの感触を楽しんでいるのではない、夜風が屋根裏まで忍び込んできてすうっと舐めるように抜けている。生暖かい風の吹き抜けて触れていく感触である。ネズミは目を閉じてその肌触りを恐れながらまた逆に楽しんでいる。パブから聞こえてくる甘い囁きや笑い声や甲高い叫び声に聞き入って眠りに付こうとしている。

詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。