日本語はいかに作られたか

題:小池清治著 「日本語はいかにつくられたか」を読んで

魅力ある題名なので読んだ本である。結果は、若干知識が増えただけである。魅力ある内容ではなかったためである。知識が増えたのは喜ばしい。ただ、疑わしい点も若干あるので注意が必要である。

吉本隆明著「言語にとって美とはなにか」、そしてその拠り所とした膠着語としての日本語を考察した、三浦つとむ著の「日本語とはどういう言語か」は読んでいる。「日本語とはどういう言語か」で、アラン・ロブ=グリエの視線の文学の視線の向こう側に主体がいるかどうかを論じていたのは面白かったし、「言語にとって美とはなにか」は相応に思想的な内容を含んでいた。吉本隆明は、言語表現は韻律・選択・転換・喩によって表現され得て、文学はこれらを使用した自己表出へと進み、話し言葉は指示表出へと進むとする。そして、「構成」を知ることが大切だと主張する。「構成」とは有形的なものを指し示す指示表出の空間の展開、時代的な空間の広がりである。ヘーゲルの思想を礎にしている。今思えば、吉本隆明著「言語にとって美とはなにか」はだいぶ批判したが、もっと高く評価してよいのかもしれない。日本の文学に関する思想と言えないことはないのである。

さて、本書の内容を簡単に説明したい。本書は六つの章からなる。太安万侶について説明した「日本語表記の創造」では、太安万侶は日本語を文字(漢字)で部分的にも表現しようとしたのである。文字(漢字)を用いて日本語を書き表すのは極めて難しく、日本に存在しなかった文章語、書き言葉のスタイルを創造しようとした、言わば彼は日本語の表記法の開拓者なのである。「和文の創造」では、紀貫之を既に出来上がっていた仮名文字を用いて「伊勢物語」を書いていると紹介する。また、紀貫之は「古今和歌集」の選者の一人として、仮名で序文を「仮名序」を書いていて、これと漢文で書かれた「真名序」とを著者は比較している。ここで「仮名序」と「真名序」との内容や作成年代を比較検討などに深入りしない。著者にも難しい問題なのであろう。そして「日本語の仮名遣の創始」として藤原定家を紹介している。藤原定家は「新古今和歌集」の歌の撰にも当たっている。

「日本語の音韻の発見」として、本居宣長を紹介している。音韻とは音の響きである。いわば、「あいうえお」なる五十音、母音や子音などの音韻学を紹介している。「近代文学の創造」として夏目漱石を二葉亭四迷と比較して、漱石を自由な言葉使いにより現代の日本語を創造したとして紹介している。「浮雲」と「三四郎」をレトリック(修辞学)上の比較である以上に、主人公の苦悩の救いの点に評価判断を求めているのが面白い。著者によると文章の息苦しさが違うのである。また漱石を三人称視点での言文一致の祖としている。最後に時枝誠記を「日本語の文法の創造」として紹介している。日本語には古来単に個々の言葉だけがあり、この日常言語レベルから脱するには、文法が必要になる。自覚的な言語行為によって獲得されるものが文法なのである。文章論と言っても良いかもしれない。ただ、この章で示されているのは、助詞などの活用語尾など細かすぎて専門的すぎる。

こうしてみると日本語は万葉仮名から発している。万葉仮名とは漢字の一字一字を日本語の発音にあてはめたものである。こうして漢字の草体から更に崩して作った音節文字がひらがなである。そして、読みと意味を分かり良くしたものが日本語となる。なるほど、日本語がいかに作られたかは分かった。でも、なぜ日本人は文字を持たなかったのであろう。著者は社会の体制に文字が必要なかったと述べているが、漢文が入ってきて、その後に文章表現としての漢文の必要性が生じたとの記述をしている。つまり社会体制が文章表現を必要するには記録や保管など、それなりの高度さがなければならないのであろう。人類は紀元前のずっと以前から文字を発明し使用してきたはずである。中国では昔亀の甲羅に字が書かれていた。他の文明も文字を持っている。ただ、縄文時代や弥生時代にも簡単な記号的な表現、もしくは絵文字はあったとされている。

文字が必要とされるのは情報の伝達と記録であるとするなら、縄文時代や弥生時代、そして弥生時代に続く大和時代における大和民族は文字を必要としなかったのだろうかという疑問が生じる。大和時代は弥生人が大和地方(奈良盆地)に住み着いていた時代で三世紀ころである。こうして記号があると同時に、漢字も入ってきているはずである。本書でも四世紀以前に漢字が日本に入ってきていると述べている。古事記の作成が712年である。この間に非効率的な記号が淘汰され漢字が幅を利かして、次第に日本語の表記方法を考慮していくことになったのであろう。でも、それは漢文が重宝され、その逆作用として宮廷の女たちを中心にして日本語が仮名文字として発展していくことになる。

なんか、とりとめがない記述が続いたが、記号に文字や日本語の発生の確認は難しくて、本書はこの問題をほぼ擦り抜かして漢文に基づいた日本語の作られ方を論じている。もう少し古代における日本語なる言語の発生状況を論じていれば良かったとも思われる。でも、この言語の発生と日本語の作られ方とは別の問題なのだろう。そして再度述べるが、本書は日本語なる言語を論じたのではなくて、漢文から日本語がいかに作られたかを,、その表現と文法について記述している本なのである。

以上

この記事が参加している募集

読書感想文

詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。