止まり

机の上、ココア

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24匹目の獣

長い雨が降れば、五月は甲高く鳴いて 鶯はそっと口をつぐむのでした。 遠くの空の羊たちは急いで群れを成し、地平線の彼方へと逃げていく。 五月の姿を見たことがあるだろうか。 晴天よりも青く、 宇宙よりも暗い季節である。 羽のように軽く、 鉛のように重い生き物である。 君の瞳には雨粒がいっぱい溜まって、 夜になると溢れてしまう。 体長はおおよそこの町ほどだろうか。 背からは夏草が生い茂り緑のいい匂いがする。 犬は君の腹を駆け周り、猫は君の尾で戯れる。 わたしはというと、「負けてはい

    • 4月の息が細くなり、生ぬるい空気が漂う日々が続いている。頭がおかしくなりそうな低気圧がぼろぼろと雨粒をこぼして、初夏の植物はのびのびと育っている。わたしは割れるような頭痛に悶えながら「ツツジが咲くならそれで…」とバファリンを飲むのでした。 朝、7時には家を出てなかなかに密度の高い電車に揺られ7、8駅目で降りる。駅前のロータリーを過ぎると南国みたいなピンクをしたツツジが咲いている。心底、「救われる…」と思った。4月は厳しい分、こういう感じで救いをくれる。でもやはり救いがある分厳

      • タイムカプセル

        小学生の時、校庭の砂場にタイムカプセルを埋めた。タイムカプセルといっても青いビー玉1つだ。わたしは乗り気ではなかった。砂に触るのはあまり好きじゃなかったし、たった1つのビー玉が、何十年も砂の中で眠っていられるとは思えなかったからだ。 「二十歳になったらタイムカプセルを見つけに来るの!それでね、そのあと一緒にお酒を飲みたい!梅酒かな!」私の隣で冷たい砂に尻餅をついて、黄色いシャベルを握ったままユナが言った。一体何を埋めるのだろうと思ってしまうほど深く穴を掘っている。これじゃあ落

        • 9月の宝石

          9月になってから急に肌寒くなった。 どこにも出かけなかったから、夏があったことすら曖昧だが、夏は終わったのだな、と思った。 秋物の上着あったかなあ、とクローゼットを漁ると去年買ったブラウンのカーディガンが出てきた。友人の家に泊まった際、帰り際どうしても寒くて近くの駅ビルで買ったものだった。濃い茶色だったからクマみたい〜と言われた。 そんなこともあったなあと袖を通すと、ふわっと去年まで住んでいたアパートの匂いがした。 大学時代の4年間、神奈川で一人暮らしをしていた。築40年

        24匹目の獣

          こんにち

          東京と反対方面を行く電車を降りると、ホームの向こうには空があった。 夕焼けが綺麗だ、という言葉が夕焼けをありきたりにしてしまいそうで綺麗だ、の一言が喉に詰まってしまった。 電信柱の群れから高層マンションが顔を出している。 帰り道、考えだけが永遠に巡った。 考えない時間が一瞬たりともない。 久々に聴いた音楽のこと、後悔、遠慮、1日の走馬灯の中で1人ずつ腹を探る。 一生かさぶたができない。自動車や自転車が薄暗い高架下を駆けていく。 気づけば大通り沿いのマンションの前。 ポストを

          こんにち

          朝は明るく夜は暗く

          君は多分、腹の内など知らない隣の人を 地球人だ、と信じてやまないまま土に還るのだと思う。 私は多分、「夕日が綺麗」という歌詞を なんて有り体なんだ、と決めつけたまま白い棺に入るのだと思う。 綺麗な蝶々は多分、透明な窓ガラスをどこまでも続く空だと思い込んだまま羽を落とすのだと思う。 朝は明るく、夜は暗く、 果たしてそれは貴方にとってもそうであるのでしょうか。 この世界中で唯一、犬と猫だけがあたたかいね。

          朝は明るく夜は暗く

          なくしもの

          失せ物は東にも高いところにもないじゃないの。 くしゃくしゃになった大吉を握りしめて言った。 ない。どこにもない。 大きめの花瓶、小鳥のふせん リップクリーム、指輪 それがいつからないのかもわからないんです。 ヘアゴム、カッター、便箋 0.05のボールペン、小さいビニール袋 折り畳み傘、未開封の醤油 なくしたものをあげていったら思っていたよりも果てしなく、 あまりのいいかげん具合に失望すらした。 このままわたしごといなくなってしまうのではないかと怖くなる。 けれど多分このままわ

          なくしもの

          繊細な犬

          私が飼っている繊細な犬、 昨日までポメラニアンみたいにふかふかまあるい犬だったのに、 今朝見たら、ベッドの中で大きなハスキー犬になっていた。 お腹の上が重たくて、ああ、今日はハスキーなのね、と銀色の三角耳を撫でた。 君の波打つような低い心臓の音。呼吸は雪解けの山みたいだね。安心したよ。 雨が降っているね。きっともうすぐ梅雨が来てしまうね。と言ったら、 繊細な犬の体はソーダの泡が逃げていく瞬間みたいにシュワシュワと小さくなり、ミルク色のチワワになった。 彼女は雨が

          繊細な犬

          花と魚

          また植物を買ってしまった。目覚まし時計の隣で黙ったままでいるサンスベリアは昼間まで300円の価値がつけられていた。私ははじめ、丸くて深緑の葉が可愛いらしいカポックを買おうとしていたけれど、花言葉が「とても真面目」だと知ってやめた。私という人間は決して「とても真面目」ではないけれど。真面目という基準すら知り得ないけれど。心のどこかでそれを正しさだと言い聞かせてしまっていて、勝手に同族嫌悪を抱いたのかもしれない。植物相手に馬鹿な話です。  サンスベリアは葉が大きくてずっしりと重た

          暗い森の子供達

           前を見ても、後ろを見ても、大変恐ろしいのです。恐ろしくてたまらない。しかしそれがなぜ恐ろしいのかを深く考えることこそが最も恐ろしい。だから既のところで足を止めるのでした。するとどうでしょう。どこにも行けなくなってしまったのです。私は森の中に立っています。いつからこの森の中にいるのかはもうわからなくなってしまいました。  ある日、1人の少女が森へ足を踏み入れてきました。少女と私は気づけば2人でいるようになりました。私たちはよく、森の中で綺麗なものを探す遊びをしました。初めはお

          暗い森の子供達

          真水に溺れる

           私の小学校の裏には小さな神社があります。そこでは毎年、夏祭りが開催されます。暑い、暑い夏の日。国語の授業中、私はずっとお祭りのことを考えていました。ぼうっとしていたら、後ろの席のさっちゃんが私の肩をツンとつつきました。それからひょいっとキラキラのラメのカバーがかったノートを伸ばしてきました。私とさっちゃんは交換ノートをしています。さっちゃんの欄には好きな芸能人の名前やら、心理テストやら、ぎっしりと書いてありました。最後のスペースには「お祭り!」と書いてありました。次は私が書

          真水に溺れる

          五月の風

          もう七月だっていうのに、今日は朝から肌寒い。今年の梅雨は少し長居が過ぎる。午後。暗い空を見ていた。なんとなく甘い物が欲しくなって、アパートの隣の小さいスーパーで、半額のシールが貼ってあるレーズンサンドを買った。 紅茶でも入れようか。冷蔵庫の中のペットボトルの水は半分ほどしか残っていない。さっき買えばよかった。ぼんやりと考えながら白いケトルへ水を注ぐ。 そういえば紅茶を飲むのは久しぶりだ。五月ごろは毎日のように飲んでいたのに。それも、一日に1、2杯ではなく4、5杯も。紅茶を飲ま

          五月の風

          雪の下で

          白く冷たい扉の向こうで、大きな音がした。地鳴りのような音。荒れた海のような音。聞きたくない。私はぎゅっと耳を塞いだ。  祖父はパーキンソン病だった。八十七を超えたあたりから、歩くことも話すこともできなくなり、山奥の静かな介護施設に入居した。私が祖父に会えるのは長期休暇の中の数日だけ。その日は冬の太陽が高く聳える晴天だった。助手席の窓から空をぼうっと眺めていると母が「おじいちゃん、今日はどら焼き食べてくれるかね。」と言った。無理に食べさせなくて良いよ。喉に詰まったらどうするの。

          雪の下で

          名残

          「尻尾が短い猫はね、今に災いを呼んでくるよ。」おばあちゃんはチロを見ては居間に飾ってある歌舞伎のポスターみたいな顔をした。「そんなことないもんねえ。」とくるっと丸まった短い尻尾に、さっき積んできた四葉のクローバーをそっとのせる。すぐに気づかれて、んんみゃ!と振り落とされる。チロに出会ったのは中学一年生の春だった。夜。裏の空き地でか細い声がした「子猫だ!」慌てて懐中電灯を探す。お父さんの紺色のつっかけを履いて飛び出した。オレンジの光で声の方を照らす。黒いのと白いのがもぞもぞと動

          またね。

          思い出した話。 私のおじちゃんは身長が180cmくらいあった。 小学生だった私がおじちゃんの隣に駆け寄ると、母もおばちゃんも「おじちゃんはあんたの倍はありそうだね。」と言って笑った。 おじちゃんは毎年、お年玉の代わりに絵本をくれた。綺麗な水色の表紙の絵本。お金だと母に「貯金ね。」と言われてしまうから、絵本をもらえるのはなんだか得した気分で嬉しかった。おじちゃんは私が好きなものをちゃんとわかっている。背丈はすごく大きいけれど、いつも歩幅を合わせてくれる。

          またね。