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名残

「尻尾が短い猫はね、今に災いを呼んでくるよ。」おばあちゃんはチロを見ては居間に飾ってある歌舞伎のポスターみたいな顔をした。「そんなことないもんねえ。」とくるっと丸まった短い尻尾に、さっき積んできた四葉のクローバーをそっとのせる。すぐに気づかれて、んんみゃ!と振り落とされる。チロに出会ったのは中学一年生の春だった。夜。裏の空き地でか細い声がした「子猫だ!」慌てて懐中電灯を探す。お父さんの紺色のつっかけを履いて飛び出した。オレンジの光で声の方を照らす。黒いのと白いのがもぞもぞと動く。ひんやりと湿った枯れ草を踏みしめ、そっと近づく。母猫はいないみたいだ。戻ってくるかもしれない。私は伸ばしかけていた両手を引っ込めて母親の帰りを待った。一日待った。二日待った。

チロとビビは私の家族になった。白が多いのがチロ。名前の由来は特にない。気づいたらそう呼ばれていた。黒くてしま模様があるのがビビ。ビビリだからビビ。家の中と外を自由に行き来させていたから、ご飯の時間は探すのに苦労した。「チロー!ビビー!ごーはーんー!」と、近所の人に笑われてしまうくらいの大声で呼ぶ。どこからともなく楽しそうな足音。呼べばちゃんとくる。

十月。その日は台風の影響でバケツからこぼしたみたいな雨が降っていた。庭のユーカリの木は右へ左へわっさわっさと暴れていた。二匹の姿はなかった。じわっと冷たい汗が流れる。いつものように呼んだもう一度呼んだ。叫んだ。くらい雨をかき分けて黒い塊が走ってきた。一匹だけが走ってきた。私はビビをバスタオルで包んで母に預けた。豪雨に飲まれながら呼ぶ。何度も。何度も。

カーテンを開けると二階から軽快な足音。朝日に照らされ、黒い背中がキラリと輝く。ビビは8歳になった。長い尻尾が私の頬を撫でる。ちょっとよそ見をした隙に、ビビはまた階段を登っていく。                     「ビビー!ごーはーんー!」大声で呼んだ。

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