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2021の私が得たもの、失ったもの。

このnoteは一ヶ月前から書いてたのに大晦日までに書き終えることができなかった。自分が立てた予定すら実行できないという劣等感と、たとえ誰も私に興味なかったとしても2021をまとめることは私のためになるから必ず書かないと、と思った。言葉にしないと思想はどこかに行ってしまい、考えていたはずなのに考えていないことと一緒になってしまう。どうやって生きようか模索した一年の中で感じたことはとても大切、残しておきたい。自分の中の大切なものを一つづつ拾って行くような、そんな年でした。

入学してすぐ、アカキャンに入った。ざっくりいうと自分の興味のあるジャンルの論文をチームで書く、1ヶ月限定サークル。単位が出ないことに何度か絶望するくらい文献を読む量がえげつなかったけど、高校の時から興味のあった神道や仏教に関する勉強ができて楽しかった。そして何よりも高校の頃から大学と組んで専門的に研究してた子や、本当に日本語が読める子がいて自分と興味のある、気の合う人たちと知り合うことができてよかったです。

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アカキャンで山岳信仰について学ぶ傍ら、とにかく寮内で初対面の人と花札をしていました。花札をしながら「こないだ花札した子とこの子気が合いそうだな」と思ったら即その子を呼んで2人を会わせる、とか。花札経由で仲良くなった2人が教育に興味があり私の塾の先生に会ったらいいのになと感じた7時間後に先生のいる広島に連れて行ったりする、とか。このときはまだ授業が全部オンラインだったのでできたことでした。

6月はとにかく遊びました。同じ大学の初対面の人とキャンパスでかくれんぼをし、寮内の違う棟に住んでる人に茶を点て、花札をし、友達とほぼ毎日朝4時まで花札をしていました。そんなことしてたらもう授業なんて爆睡ですよね。また、暑くなってきたら浴衣でキャンパスに行き、夜中に浴衣でバレーボールをしました。遊びに夢中でそこそこの数の提出物を出し忘れ、朝起きれず対面授業に遅れる日々を送りました。

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教育に興味のある2人と塾の先生に会いに行った時紹介してもらった人とHigh Tech Highのドキュメンタリー映画、Most Likely to Succedの上映会をしました。人生初のイベント運営、もうミスりまくりで報連相不足で大変な迷惑をかけました。飛び込みで小学校と高校にチラシ持って行ったのも、もうちょっとこうできたのになとか反省してるし、でも雑用より圧倒的に広告やイベント当日司会が向いているなと思いました。また、教育はとりあえず一旦置いておこうと思い国際経営学部に入ったものの、結局やっとるやないかーい。というのと、学校を作るとか、先生になるというよりも、それぞれにとっての教育について考える場づくりがこれからもできればいいなと思いました。

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恋愛関係人間関係でごたついた7月、相談した友達に「おまえと初めて直接会ってからずっと宇宙人だと思っていたけど、それは褒め言葉ではなかった。話していて本当のおまえが見えてこないという意味で宇宙人と言っていた」と言われました。ずっと心が満たされないのは友達と深い関係が築けないからであること、そして他人に興味がなく自分のことばかり話してしまうせいであることを指摘されました。全くその通り過ぎて久しぶりにあんなに泣いたなと思うほど泣き、改めて友達に興味を持ち、より距離が縮まりました。

前学期の成績が公開され、必修科目の英語の単位を6単位分落としていることが発覚。そりゃ毎朝四時まで花札していたらこうなるか。何をして何を得たのか振り返らずにひたすら何かしていたなー。と二週間毎日2時間、実家の家の近くにある海を眺める生活を送っていた。あと父に使ってない一眼レフをもらい、久しぶりに写真を撮るようになった。小学生の頃はよく撮っていた話はまた今度するね。

ゲストハウスに1週間泊まっている間、ボランティアに行った。一番印象に残っているのはご飯の炊き出しをしている方の子供さんと話したとき。お母さんは宿題をして欲しくて、子供さんは宿題を後回しにして私と遊びたくて。両方のニーズに応えるためにはどんな接し方をすれば良いのか考える工程が楽しかった。とりあえず最近の教科書を見たくて読んでもらったら「あれ?もしかしてこれで音読終わった?ちょっと音読カード見てみようや。あ、終わってる。いえーい!」的な感じでどんどんやっていった。自分の楽しいが相手の楽しいだと、うれしいね。

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写真は夏に1週間泊まったゲストハウスに10月に2週間泊まったとき、スタッフさんや常連さんとキャンプに行ったときの。「あなたの人生は翻訳のようなものだ。人と何かを繋げて影響を与える。それは人と人、人と言葉、人と色かもしれない。」と言われ、人と人を繋げまくった今年の前半を思い出しました。私は花札を通して相手を見ていたこと、花札に導き導かれ、人と人を繋げていたことを理解しました。
「今まではヘラヘラしなければならなかった理由があるかもしれない。でもこれからあなたが行きたい場所へ行き会いたい人に会うことができるからもうヘラヘラしなくていいよ。」そう言ってもらい心が少しだけ軽くなった。
ゲストハウスでは相手の話を聞くように意識しながら次々に来るゲストの人たちと話した。自分の聞きたいことしか聞かないため質問が右往左往し、沈黙が生まれてしまう。話し上手だなと思う常連さんに会話のコツを聞いてみると話が途切れない質問をするようにしていると教えてくれた。そんな沈黙を恐れほんとに聞きたいこと聞かないコミュニケーションは違うなと思った。

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7月に参加したマイプロジェクトスタートアップキャンプ佐伯のご縁で、ここトークという高校生のキャリア教育にファシリテーターとして参加。間を持たせるための質問と本当に相手が知りたくてする質問の違いをやっと感覚的に理解できました。自分が目立つことしか考えていなかったコミュニケーションしかせず、相手を知るための会話をしてこなかったことを感じ、7月に友達に言われたことが腑に落ちました。
直前リハーサルでお互い高校生の時の自分になりきり、ワークをしたときに中高生の時は空気を読む同調圧力がめちゃくちゃ嫌いだったのを思い出しました。そこで気づいたのは空気を読むのがわかるということは空気を読めているからであって、嫌いレベルに読めるということは周りがわかりすぎている、つまり空気を読むのが上手いのではないか。という仮説がたった。その人と私が心地よく話せる会話のテンポや雰囲気を変えることは、友達に勉強を教えることが多かった小学校中学校にとても意識していましたが、ここ数年は自分が相手の印象に残るための、自分の承認欲求のためのコミュニケーションが中心だということに気づきました。

総括

全部ほしかったけど結局何も得ることはできなかったし、満たされることもなかった。勉強も勉強以外でしか得れない事も全部欲しかったけど、単位落としちゃったし、一つに集中した方が得るものが大きかったのではと思う事も多々あった。 真面目な自分を受け入れてもらえるか怖くてヘラヘラ話しちゃうところも、何もしてないと人生が進んでないような気がして常に予定を入れてしまうところも治らないけど。そんな自分も認めつつ、勉学に励み、読書と映画、バイト、愛と強さと美しさを追求していきます。

今年もよろしくお願いします。