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音に聞く ぬれもこそすれ

あなたって。

 川沿いを二人で歩いたの。体感的に2時間くらい。実際、1時間くらいだとは思うのだけれど。歩き疲れて川の土手に座りながら、獲物を狙うために水辺を歩く鳥をずっと見て、黄昏ていたわ。鳥の人間には真似できないような鳥の首の動きから派生して、脊髄が特殊な動物の話もしたのよ。実のところをいうと、あなたと話した時間はそんなに悪くなかったわ。フリースタイルラップが好きな故の視点は私からすると斬新だったの。百人一首の中でどの歌が好きなのか、長い文章の恋文ではなく、三十一語を巧みに使って自分の気持ちを伝える返歌の素晴らしさしさについて語ったわ。返歌について知っている人なんて稀でしょ?だから、こう思ったの。中学生ぶりに思う存分、和歌の話ができて嬉しい。学校の勉強はほとんど役に立たない、なんていうけれど、人と繋がるためにあるのなら、もう少し勉強を続けてみようかなって。
 しばらくしたらトイレに行きたくなって、近くのチェーン店に寄ることになったの。女子トイレに入って、私は年上で紳士でかっこいいあなたを思いながらトイレの鏡を使って丁寧にアイラインを引き直したの。器用じゃないなりにね。不器用すぎてこないだ友達から「アイライン引くセンスないね。」なんて言われるほどだけれど、素敵な人間のためなら、いくらでも頑張れちゃうわ。だから私は最大限に集中して、かっこいいあなたと釣り合えるように願いながら、アイラインを引いたの。そしたらね、いつもより上手く、綺麗に、引くことができたわ。自分以外に頑張る理由や目標がある人間は強いわね。なんて思いながらトイレを済ませて、もう一度過鏡の前に立って入念にチェックをしたわ。あなたにとってふさわしい女であるかどうかをね。そしていざ、トイレのドアを開けてその人を探したわ。でも、トイレの近くにはいないの。入り口付近も探したけれど、そこにもいないの。お店の席に座っているかもしれないじゃない?だから店中ぐるっと歩いてみたのだけれど、いないのよ、どこにも。全くわからないのよ、たくさんいる人間のうち、彼がどの人間であるのか。そして、気づいたことがあるわ。彼は紳士なんかじゃないの。彼は私を利用したい、ただの他人であることに。