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大切にすること 守ること

  質の良い音楽を浴びたいと思い、バスに飛び乗ろうとしたらこけた。宙に浮いてから地面に体をつけるまでの間、運動神経の話を思い出した。中学校の理科で交感神経や副交感神経の話の流れで運動神経など存在しないことを習ったときのことである。「運動神経なんて存在せんらしいよ!!」父に新しい知識をひけらかすと「そうよ。もし大人になってもこける人は病院に行ったほうがいいんよ。運動神経に異常がありすぎる。」という返しだった。いやどゆこと??傷口についた砂利を取りながら過去の父に問う。その2日後に21歳の誕生日を迎えた。傷を診てもらいにではなく“運動神経”を診てもらいに病院に行こうか迷った。
そんな私の2023年1月から4月の出来事。


1月

  雪のひかり

  海鮮とお酒がおいしいのは言うまでもなく。
札幌から函館に向かう特急の窓の外を見ると太陽の光が反射する。
眩しくて目を開けるのが一苦労な雪のひかり。
時折見える、一面真っ白な雪にちょこちょこっとついている鳥や、人や何かよくわからない足跡が大好きだった。4時間ずっと眺めることができた。

2月

 理想の朝ごはん①

  別府に帰った直後、訃報を教えてもらった。ちょうど特急から外を眺めている間だったらしい。

 人生うまいことできてる

  大切な人を失った2日後に衝撃の事実が発覚。もうバカらしくなってとにかくいろんなことが。まあ私も悪いのだけど。元からお互いそうだったし。だからね、思ったの。全て含めて、後悔しないように全部やろうと。誰かに左右される人生なんて馬鹿らしい。大切な相手を思いやるのとその人中心で生きることは全然違う。今までやりたかったことを全てやっていこう。
いつまでもぐずぐずしとるわけにはいかん。
後回しにする人生は、やめよう。
あなたはあなたの人生をまっとうしてほしい。後悔しないように。
いつどうなってもいいやと思えるくらいにできることは全てしてほしい。
私もその分あなたに負けないくらい、別に競っているわけではないけど
自由にのびのび、素直に五感を使っていくわ。

 芽キャベツ

  手始めに大分大学のサークルになぜか入っているのでその活動の一環で学童へ。外に出る子も本を読む子も一人もおらん、巨大なテレビに映るYouTubeにみんな釘付け!マイクラの情報を小学生向けの某雑誌とYouTubeで仕入て爆速で知識を吸収していた。男の子はマイクラをするもの、女の子はおままごとや絵を描くものであることをとある子が教えてくれた。女の子でマイクラをする子はいない。おままごとをする男の子もいなかった。何より驚いたのはお昼の時間になってお弁当をのぞくと、コンビニのおにぎり2個やサンドイッチ、冷凍ご飯しか入っていないお弁当にコンビニのおにぎり、が9割だった。コンビニのない島で育った私はそんな光景を見たことがなかったし、冷凍食品ですら申し訳なさそうな母親だったため、カルチャーショックだった。
  ご飯の問題は大きい。そもそもご飯を作る暇があったらここに来ていない説が強い。子供の声を騒音とみなすか否か的な感じしてなんかモヤモヤするな〜ということで、その次の週に子ども食堂にお邪魔した。「ママが育ててる芽キャベツ!食べて!!」ついて数分の私に話しかけてくれた子と一緒にカレーと芽キャベツサラダを食べる。人生初芽キャベツ。調味料を何もつけずに食べたらみんなから「マヨネーズかけんと!!」とブーイングをかう。邪道だったらしい。走り回ったり、UNOしたりを3時間ぐらいやって、最後の1時間くらいはスマブラをやった。みんな強い中で「いやハニワうぜぇ」と言われながらどう森のむらびとで戦うのは、まんざらでもなかった。
  数日後、放課後等デーサービスに。1日目は発達障害や精神疾患を持つ子どもが多い方へ。ゲームを通じて社会性強調性を身につけるという点が他の施設と違って面白い。どんな宿題があるのかを教えてもらったり、マイクラやスマブラを教えてもらったり。今の英語の授業はどんな宿題が出るのか、マイクラに鬼滅バージョンがあること、知らんことがたくさんあった。いきいきとみんな私に教えてくれる。覚えたことは他の人にもシェアしたいよね〜、わかる。歳とか性別とか人種とか関係なく、みんな先生だね。できないことはみんなあるし、自分を発揮しやすい場所は人によって違う。
  初めは障害児だけを受け入れていたけど、最近は不登校の子も受け入れているらしい。子ども食堂でも不登校の子がいたけど実際不登校児はめちゃ増えてるらしい。学校に行くという常識が変わりつつあるね〜。
お金をもらわない労働としてのボランティアというより、経験を社会からいただいている、自分の人生の枠を使っての経験。という実感。

2日目は身体障害や難病の子がメインの方へ 器用な子に作ってもらった


 越

  ボランティアをしながら人生初、海外の事業所にアポ取りをした。Googleマップで障害者施設と検索してでてきた場所全てにメールを送り、2件だけお返事をいただくことができた。卒論を書く練習をしよう!という学校の授業のフィールドワークで一週間ホーチミンへ。

車よりバイク とにかくバイクが多い

  「ベトナムでバリアフリーを普及させるための教育をどのようにするべきか」みたいなテーマで、障害者施設のスタッフさんと利用者さんにお話を伺った。抱えている問題は日本とさほど変わらなかったけど、エレベータや器具などフィジカルなサポートは少子高齢化な日本の方が進んでいる感じはある意味ノーマライゼーションだな〜。論文は授業の評価的には悪くはなかったけど、自分的には結構失敗したなと思ったので卒論に活かしたい。

道がごっちゃかめっちゃかでガタガタ
バイクもビュンビュン

ベトナムバイク多くて歩きづらいな〜という印象。
基本信号機ないので道を渡るコツは手を挙げてゆっくり堂々と。
大概止まってくれるけど3回くらいひかれかけてはいる。
施設訪問以外は市内のバリアフリー視察と題してとにかく遊んだ。

よっこらしょ、どっこいしょ〜

ご飯は二食だけ口に合わないのがあったけどそれ以外は美味しかった。
これはBoun?みたいな名前のめちゃうまヌードルでフォーのお肉マシマシ版。ベトナム料理の中で一番好き。
海外の何の肉かよくわからないけど美味しい現象に名前をつけたい。

2月のしっぽから3月のあたまに行ったけど夏バテするくらい暑い。水分補給必須。市場や露店にこの暑さでここに常温で生肉置いたら腐るでしょ〜がたくさんあってすごく良い。適当isだいじ。

夜ご飯のバインミーを買いに
毎日夜まで飲んで友だちとたくさんお話しした

3月

 理想の朝ごはん②

  ずっと、何を死ととらえるのか考えていた。身体と違って思い出はずっと生きる。とはいえ、寂しい。49日終わってなかったけん奥さんの家に行かしてもらった。生前よく話していた娘ちゃんと猫様とご対面。詩を読もうと思ってたけど全然忘れてずっと話していたわ。かなり根掘り葉掘り聞いたけど初めましての私の質問や話をちゃんと聞いてくれた。「私はこれからも長生きして欲しいので、たくさんの人に伝えていきたいと思います!」というのもすんなり受け入れてくれた。
これで踏ん切りがついて、身体がこの世にないから一緒に時間を共有することができないことに対して悲しくて泣くことは無くなった。一周回って潔く後悔なく終わりを選べる人生ってすごいな、わたしそこまで全然やれてないなと思う。

 成績発表 

  奨学金が危ないほど低かったGPAが急速に上昇。目的を持って勉強することの意義を噛み締めると同時に、履修登録は成績良い順に授業と取ることができるので授業を選べる喜びを体感する。

  「就活をして最終面接内定までいくのは30社受けて2社だけです。」
就活ガイダンスでアカデミックオフィスの人が言っていたけど、30社受けるような人だから2社しか受からないのでは〜。自分が理想の未来と同じ未来をつくりたい人たちとつくっていく、というスタンスでやっていきたい〜。気になる会社は2社あるけどもうちょっとthink outside the boxしたいから年内に海外もう一個と東京行っていろんな人や文化に触れたいね。そのために今はバイトざんまい!

 ゼミ

  「児童館や学童にいる、よくわからんけどおもろいおばちゃん」から「障害者雇用や福祉の制度を応用して、好きなことや得意なことでお互いを支え合う社会を実現するための制度をつくる」までに将来の夢を具体化することができました。これをみつけるための大学1回生2回生だった。これからはどういうカタチで、範囲で、領域でやっていきたいのか。ゼミで卒論を書いたり他の人の卒論を通して探っていきたいね、場合によっては院とかもあるのかな。もうちょっとやってみて考える。

卒業後も興味を持ち続けられるトピックに出会う(探り当てる)こと
卒論は手段であって目的ではない
一度出会ったトピックに興味を見失うこともあるけどそれでいい

ゼミに入って初日に先生から言われた言葉


誕生日に書き始めて、いまもう5月だしなんなら6月が近いけど、いいのそれで。書かなくて忘れてなかったことにする/されることがいちばんあってはならない。怖くて恐ろしい。覚えていないならそれまでのことなのかもだけど。この瞬間に感じたことはまた戻ってこないかもしれない。今年は五感を大切にして生きたい。だから今まで見たかったいろんなものをみて触れて感じて生きる。4月5月もびっくりや思ったことがたくさんだったからマイペースにもりもりやっていく、残していく、わたしらしく!