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2020年振り返り

突然ですが、みなさんは今年いちばん驚いたことはなんですか?私は家庭科で裁縫をしていたら気付かぬうちに顔にまち針が刺さっていたときがいちばん驚きました。どうもこんにちは、のりまきです。
ニュージーランドに留学していた去年が人生で最も楽しい一年になると思っていましたが、2020年は曲者すぎて余裕で去年を超えました。そこで今回は2020が、どのように曲者だったかを書きたいと思います。

私は去年の留学生活で「嬉しいことも苦しいことも楽しむことができるかどうかは全て自分次第」ということを得ました。前までは人生が楽しくないのは周りのせいであり、違う国に行き環境を変えれば幸せになれると思っていましたが、楽しいと思える心がないとどこに行っても何をしてても楽しくなれない、楽しい環境は他人ではなく自分が作るものだと気づき、どんな未来でも幸せになれるという謎の自信が溢れてきました。2年生の3学期、進路が決まる人が出てくるなか、大学でピアノを極めて先生になること、宗教や哲学を学ぶこと、ホテルマンになるために専門学校に行くこと、どれも楽しそうで何をしたいか絞ることができませんでした。
3月の緊急事態宣言が出て休校となったタイミングで、前から気になっていたミネルヴァ大学を高校の先生に言わず勝手に受けました。オンラインで無料でできるため受験しやすく、学力だけではなく柔軟な思考力やIQ的なやつも試されるテストでおもしろかったです。応募には学校の成績が必要で先生にこのことを言ったら怒られて書類を出すことができなかったのと、普通に英語がダメダメで落ちました。そこからテラスハウス全シリーズを見てオセロをする毎日を送り、4月の登校日で休校中全く勉強していなかったことがバレて先生に「あなたは馬鹿です」と言われて悔しすぎて泣きました。
6月まで勉強をもりもりやっていくが進路が決まらず、一週間単位で志望校が変わり進路が決まらなさすぎて担任や友達から「今週は何大学に行きたいん?」と言われてました。7月になって志望校がやっと決まり、せっかく大学行くなら教養を深めようということで関西大学の宗教哲学系にしました。ほんとにこれでいいんかな、、、と思っていた直後、終業式の日、掃除場所で先生に呼び止められ立命館アジア太平洋大学(APU)の指定校推薦の枠が余っているから行かないかと勧誘を受けました。その日の放課後、関西大学のAO入試の論文を書きながら三者懇談を待っていましたが、三者懇談が始まる直前に担任から「おまえこの進路でほんまにええんか?」と詰められていたら父が到着。自分の中でAPU楽しそうの波が来てしまい、ものの数時間で進路が宗教哲学系から国際経営学部に変わっていました。このときは楽しそうという感情しかなくて勢いで決めてしまったけど、あとから考えたらいい選択をしたなと思います。もともと父はAPUを推していたし、学校的にも今年新しく増えた指定校の枠が埋まるからおいしい話ではありました。その上、私は遅かれ早かれ独立orフリーランス説あるからお金の管理を勉強できる経営学部はちょうどいいし、学生の半分が留学生ということは日本にいるのに海外だから留学しなくてもいい。ニュージーに一年間行った影響で割とマジで一円も残ってないから金銭的にもすごく助かる。いいことがてんこ盛りです。そんなこんなで指定校の校内選考を受けて合格し、APUに志望理由書と課題論文を提出し、気づいたら合格していました。課題論文を書くために私と担任以外誰も校舎にいない時間まで残ったこともありましたが、もともと興味のあることを調べて自分の意見を述べることが好きだから苦じゃありませんでした。素敵な日々を送らせていただきました。

今年は勉強が楽しかったのもありますが、単純に一年のときより三年の方が友達と遊んだ回数が多くて楽しかったです。留学してから人相が変わり、肩の力が抜けて人付き合いが前よりも上手くなったようです。勉強もして遊べて充実した一年となりました。
大学四年間の目標は「人生の夏休みの大学ではなく、人生を夏休みにするための大学四年間にする」です。どうせ当分の間は海外に行けないから大学四年間で経営を極めて、20代は大手企業に勤めて、30代くらいで辞めたあとどこか適当にぷらぷらして最終的には「学童保育や児童館にいるなんかよくわからんけど色々知ってるおもろいおばちゃん」になりたいです。
来年もよろしくお願いします。