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Your bouquet you

You are special.

「悪ぃ。遅くなった」
と言って入ってきたジャンニは、一目でなぜ遅くなったかわかる姿だった。
上着が無事なのでパッと見はただの三つ揃えのスーツだが、良く見るとスラックスやベストがところどころ鋭利に斬られ、血が滲んでいる。
「今日はナイフ?」
上着を脱ぐとシャツにも斬られた跡があった。だが、刃物で襲われた割には刺し傷がないのは珍しい。
「いや、サムライソード。ちょっと反った形の、東洋の片刃の剣。結構キレイだぜ」
「へえ。映画でしか見たことないな。珍しい武器使うヤツがいるもんだね」
ネクタイとベストを椅子の背に投げながらジャンニは笑った。
「お前なら鎌使うから、うまいことやりあえるんじゃねーか?ステゴロと銃なんて刀と相性悪すぎんだよ」
敵のはずの男なのに、嬉しそうに話す。随分親近感を感じているようだった。
「仲良さそう」
「襲われてんのに仲良いわけねーだろ。5〜6年で付き合いは長ぇけどな」
答えると、何となくモヤっとした気持ちのカラトを置いて、シャワーを浴びに行ってしまった。

 シャワーを浴びながら傷を確かめる。
刃物の鋭さもさることながら、斬った人間の腕も良いからだろう。出血が止まっているどころか塞がりつつある傷もある。
 血液や汗を洗う目的もあったが、一番処理したかったのは体内にまだ残ってる行為の残滓だ。
 壁に手をつき中のものを掻き出していると、自慰行為をしているような変な気持ちになる。この前開発された場所に指が触れると体全体に快感が広がり、膝から力が抜けそうになった。
だが自分でするより抱かれた方がイイことはわかり切っている。そのまま続けたい気持ちを抑え、浴室を出た。

「腰タオルで髪下ろしてるとかさ、誘ってるかと思ったよね」
カラトは、ベッドに腰掛けるジャンニの膝の上に乗っていた。片膝はシーツの上、片足は床についた体勢で押し倒す。
「着て来た服捨てたら着替えなかったんだよ。ベッドルームにクローゼットあんの遠くねーか?」
「シャワールームのどこに、衣裳ダンス置く余地あるわけ?」
家買ってやろうか?
言おうとしたが、キスで口を塞がれて言えなかった。大体この家は狭すぎて、色々なものがジャンニのサイズに合わないのだ。
 胸にのしかかるようにしてキスをするカラトの唇が一旦離れたと思ったら、またすぐ舌を絡ませてきた。お互いの舌ピアスがぶつかり、硬質な振動が伝わる。
頭の上で、両手が拘束されるように恋人つなぎをされていた。
自由を奪うような体勢にされるのも、貪るようにキスをされるのも、珍しい抱かれ方だなと思う。
 やっと解かれた片方の手が、背中を通り求めていた場所に移動した時、一瞬動きを止めた。指が差し込まれると期待に中が締まり、思わず声が出る。
が、カラトは急に指を抜き、ベッドから離れて服を整え出した。

「…何のつもりだよ」
半身起こしたジャンニの前で、書き物机の椅子にドサリと座ったカラトは足を組む。
「こっちのセリフだよ。ウチ来る直前に誰かに抱かれて来るとか、いい根性してんね。さすがにないわ」
「ああ、やって来たよ。クガイとやんのは襲われる定期みたいなもんだからな。でもあれは自分でやんのとそう変わんねーよ。ただの処理だ。お前とやんのとは違う」
言ってみたが、それはカラトに1ミリも響いていないのがわかった。周りの空気が冷たく固まって、どこからも触れられないような感じが消えない。
「お前も俺も、体の関係がある相手なんて腐るほどいるだろ。それも全部了承済みじゃなかったのかよ」
投げた言葉が2人の間に落ち、消えてゆく。何を手掛かりに話を続ければ良いのかわからなかった。
「それとこれとは全然次元が違う話だろ。会ってる時に他の相手の存在を感じさせないのは最低限の礼儀だって言ってんだよ。別の男と共有してんの感じながらヤるなんて勘弁だわ。気持ち悪ぃ」
言われた瞬間、ジャンニはベッドを蹴った。
壁に激しく当たり、ガラス窓がビリッと揺れる。
「悪かったな、気持ち悪くて」
低く呟くとカラトの家から出た。

 家を出た直後は怒りで気づかなかったが、外は案外寒かった。
スーツを着ていたので感じなかった寒さが、Tシャツ一枚にダメージジーンズの今は結構堪える。
 とりあえずどこかに入ろうと財布を探り、思い出した。服を着替えた時、食卓の上に投げたままになっている。
「マジか。一文なしかよ」
そんな状態で寒さから逃れる方法など、1つしか思いつかなかった。

 子どもの頃、時々行っていた場所に久しぶりに行ってみた。
知る人ぞ知るという、外からは民家にしか見えない古い木造建築だ。いわゆる連れ込み宿で看板もなく、ホテルなどという洒落た代物ではなかった。
入る前にふと思い出し、薬指の指輪を外した。デニムのポケットに捩じ込む。

 十数年ぶりに足を踏み入れたそこは、全く変わっていなかった。
 最奥に簡単な飲食を提供するカウンターキッチン。その横には、奥にトイレが見える出入り口がある。あそこには、ここから見えない位置に二階に続く階段もあった。
 宿の入り口からカウンターまでは机や椅子、ソファが雑多に並んでいる。そこでタバコを吸ったり飲み食いしたりしている老若男女は、売買春の溜まり場も兼ねているここで、それぞれ品定めをしているのだ。

 建物に入ると寒さも和らいだ。
 少年の頃はいい儲けになったのだが、成長し切った今は明らかに売れ筋じゃない。それはわかっていたので、ここで朝まで過ごせるだけでも良いかと思っていた。だが意外なことに、声をかけてくる人間がいた。
 パーカーの上にデザイン性の高いブレザーを着ていて、片耳にはルーズリーフのようにピアスをしている。年上らしき男性だ。
「君、どっち?」
聞いてきたので、正直に答えた。
「金ねーんだよ。寝床もらえんならどっちでもいい」

 窓が塞いである2階の部屋は、安っぽい洗剤の香りがした。
 男が1センチほどのタブレットを渡して来る。
いつもなら絶対飲まないが、今日は何もかもどうでも良い気持ちで、言われるままに口に含んだ。舌の上で泡のようにシュワっと溶ける。
人工的なキツい甘みの後に来た苦味が消え数分すると、頭がクラクラして来た。
「すっげ…強ぇなこれ」
「君みたいな、頑丈そうな大きい子なら大丈夫だよ。一回そういう子を抱いてみたかったんだ」
男が言ったことを理解するのに何度も反芻しなければならない。
何とか言葉を掴みながら、ジャンニは言った。
「…お前は、飲まねーの?」
「思いっきり乱れるとこちゃんと見たいからね」
 あー、そう来んのか…。
 結構ヤバい薬なのかもな、これ。
繋ごうと思う思考がブツブツと切れる。
それから、切り裂くような快感が来た。

 目が覚めた時、男はいなかった。
質の悪い酒で二日酔いになったような頭の痛さがある。
 サイドテーブルには相場より多めの札が置いてあり、体の感じからすると乱暴なことをされたわけでもなさそうだった。はっきり言って何も覚えてないが、あの男は当たりだったようだ。
 やたらと喉が渇き空腹だった。
金は十分あるし下に何か買いに行こうかとベッドから降りたが、足に力が入らず立ち上がれない。体が出来上がってからはこんなになることはなかったのに、ちょっと信じられなかった。
「うっわ、最悪かよ…」
ベッドの足元に寄りかかると、ちょうど目につくところに大きめのゴミ箱がある。
その中身は、自分がどれだけ長時間抱かれ続けたか証明するようだった。

 昨日のイラつきも、投げやりに薬を飲んだことも、抱かれかけたのに途中やめになった欲求不満だと思っていた。
 それは十分に解消されたはずなのに、嫌な気持ちが消えない。
何の満足感もないどころか、ここにこんな状態でいる自分がひどく惨めな気がした。

 無意識で左薬指に触った時、慣れた感触がないことに気づく。
そういえば、昨日外してポケットに入れた。
 無くしてねーよな?
慌てて、脱ぎ捨ててあったデニムを引きずり寄せた。ポケットを探ると小さく硬いものに触れ、ほっとする。
 そもそも俺は、なんでバカ正直にこれずっとつけてんだよ。
思いながら指輪を取り出した時、内側に何か彫ってあるのに気がついた。
指輪の組成かブランドかとよく見ると、それは文字だ。

「eres especial」

 あなたは特別?
何度見直してもそう書いてある。
 そんなバカな。
 そんな訳ないだろ。
けれど少なくとも、この指輪は特別製だった。
なぜなら刻まれているのは、ここ辺では使う人間が少ない、自分の出身地域の言葉なのだから。


指輪物語再掲



「特別か…」
 呟いた言葉が綿菓子のように自分の中に消えた。
染み込んでゆくのが何の違和感もなくて、それは元々自分の中にあったものであり、いつも与えられているものであったことを知った。



 ホントに帰ってこなかったな。
カラトは食卓の上に置きっぱなしの財布を見た。
 言い過ぎた自覚はあった。というか、敢えて一番嫌な言い方をした。
好意と親しみを抱いているらしい人間で、しかもその関係性は自分ではどう足掻いても手に入れられそうにない。
そんな相手だったから、あんな言い方をしてしまったのだ。

 現に、今は全然腹が立っていない。
自分やジャンニのような人間が身一つで夜の街に投げ出されたら何をするかなど、簡単に予想がつくにも関わらずだ。

 戻って来るかなとウトウトしながら待った夜が終わり、帰ってきたらどういう迎え方をしようかなと悩んだ朝も終わり、今日は戻らないかもなと、考えることをやめた昼下がり。突如玄関のドアが開いた。
 心の準備をしてなさすぎて、ただ突っ立って見つめるだけのカラトにジャンニが言った。
「お前、あんな指輪くれるんならちゃんと言えよ」
想像していたどの言葉とも違う言葉が投げかけられ、反射的に答える。
「指輪渡してる時点で普通わかるだろ」
「わかるかよ。ピアスやネックレスみたいなアクセサリーの類だと思うだろ」
「は?左手薬指サイズの指輪をか?」
しばらく無音の時間が過ぎる。

「…もうちゃんとわかったよ」
ジャンニが言った。
「俺にとって、お前も特別なんだと思う」

 今更かよとか、じゃあ今まで何だと思ってたんだとか、言いたいことも聞きたいこともたくさんあったが、それを全部飲み込み、カラトは一言だけ答えた。
「そんなの、とっくの昔に知ってたよ」


 ベッドヘッドに寄りかかるジャンニの膝に座り、唇をついばむようなキスをする。
 その顎が大きな右手で掴まれた。カラトの顔をしげしげと見る。
「何?」
「俺はお前で勉強していくんだなと思ってさ」
多分、きちんと聞くべき話なのだ。
カラトは膝の上で、少し姿勢を正した。

 言葉を探り探り、ジャンニは続けた。
「嬉しいとか悲しいとか言葉は知ってるし、そういう時に人がどう動くとかも知っちゃあいるんだけど…俺にとっては人殺すのも飯食うのも同じっていうか、自分のすることに特に気持ちはないし、自分にそんなもんがあるとも思ったことがなかった」
こいつは自分の感情や感覚に鈍い。だから、同じだけ人の感情や感覚も苦手なんじゃないだろうか。
そんなことを、薄々思ってはいた。
「でも今、昨日からずっとあった、何しても足んねーって感じが消えてんだ。これが気持ちってヤツだろ?」
自分の中にある、そう多くない語彙を一生懸命集めて言い終わったこの男は、まるで大きな手柄を立てたかのようにニヤリと笑う。
それからカラトを抱きしめると、ゴロリとベッドに横になった。

 カラトのきめ細かく手触りの良い肌は、抱きしめているだけでも吸い付くようで気持ち良い。
 同じ表皮だからだろうか。
舌はなめらかなスポンジケーキのようで、絡められている舌をずっとずっと味わっていると、バニラビーンズの香りがしたり、そのうち生クリームやイチゴの味がして来そうだ。
唇が離されたので、柔らかい髪の中に指を差し入れ、自分の方に近づけた。
「足りねぇなあ」
言って、またキスをする。
「今日はもう、抱き合ってキスしてるだけでもいいな」

「どうせどっかで散々やって来たんだろ。そっちはいいけど、こっちはずっと待ってたんだよ」
言ったカラトは顎をクイと上げられ、じっと見られた。
「クマできてんな。あんま寝てないのか」
顎を持ち上げていた手を伸ばし、頭を撫でる。
「悪かったよ」
ストンと、あるべき場所に何かがおさまった気がした。
「ズルいなぁ」
ちょっと俯いてつぶやいたカラトを見て面白そうに笑う。
「待ってたんだろ。多分大丈夫だから、もう入れろよ」



 いつもより慎重に押し分けて、ジワリジワリと中に入って来る。
受け入れているそこは、早くそれで満たしたいと疼いていた。
快感じゃない。心をいっぱいにしたいのだ。
2人の間を隔てるものがあるのが嫌で、全てが収まった時に唇を重ねた。

 キスをしたまま腰を引かれると、声を出したくても息ができなくて、呼吸まで支配されているようだ。けれど、自分の命が恋人の手の内で転がされるこの感じが、今は快い。
ゆっくりと埋められてゆく。進むごとに、腰に軽く電流が走る。
いいところを擦られた瞬間、身体中に静電気のようなものが閃いた。
今まで感じたことのない感覚をどう処理していいか分からず、混乱する。
「…おい、これ…。これ、どうすりゃいいんだよ」
「そのまま感じてればいいよ」
そう言われ、耐え切れるように両手で頭の下の枕を抱えた。

 進められても引かれても力が入る。
体が弓なりに反ったまま、戻す余裕がなかった。
声を出すこともできない。食いしばった歯がギリリと鳴る。

 やがてそれは普通の速さになり、おもむろに動きが止まった。
やっと力が抜けた体がシーツに落ちる。
何分ぶりかに肺にまともに酸素が入り、目の前がチカチカした。
 だが息つく間もなく、新しい刺激が襲う。
胸を探る指が、敏感な部分をこねたり弾いたりするたびに腰が動いた。
繋がったままで動かない場所に、切ない快感が集まってゆく。
欲しいのはそこじゃないと、下腹の中をくすぐる。

 さざ波ばかりの快感がもどかしかった。
「…ちゃんと動け…っ」
懇願に切羽詰まった響きがあったのだろうか。
慣れた、一番気持ち良い動きが再開された。

 自分の喘ぎ声が他人のもののように聞こえる。
すぐ達してしまうと思っていたのに、波はギリギリまで高まっては引いて行った。だが、寄せた波は重なりに重なって、ジャンニを追い詰めつつある。

 最後は唐突だった。
引き切った波が一気に押し寄せる体感。
 あぁ、来る…!
変に頭が涼しくなる。
知らないものに飲み込まれる怖さがホワイトアウトして消える。
域をプツリと越え、弾けた。

 体のコントロールが効かない。
もういいと思う意思とは裏腹に体が痙攣し続ける。
頭のタガが外れ、バカになりそうだ。
出るものはなくなったのに、絶頂が繰り返し駆け上がる。
自分が、壊れた操り人形のように思えた。



 頬を軽く叩かれ目を覚ますと、見下ろしているカラトがいた。
「あ、起きた。クスリやりすぎたヤツみたいになってんだもん。死んだかと思ったよ」
言っていることの割にはそう心配している風でもない。
普通に体を清め出した。

 こういうイキ方させるから眠くなんだよ…

 いつもの眠気の中、夢うつつの言葉がヒラヒラと回る。

 悪くてやらしくて、突き放すようでいて優しくて…
ホント…色が合ってねぇ花束だな…

けれどその香りはいつでも甘くて、これからも多分惹きつけられてしまうのだ。

 髪の色のような黄色、目の色のような赤、そこに肌の色のような白い花を散らしたブーケを作り、リボンをかける。
そんなイメージが浮かぶ。

 金色のリボンがフワリと風になびき、ジャンニは安らかな眠りに落ちた。


見せつけ中


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