Tombe

人生をハッピーエンドで終われるように生きています。

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最近の記事

錦糸町ニューウイング

人生というか、生き方が変わったサウナが好きなんだけれども、まあまあそんなにツイッターでサウナサウナ言ってなかった頃、ちょうど新規でご来店のお客様が「TOMBE さんですよね?ツイッター見て来ました。SOTのモヒカンっていいます。」「うおおおお!!!マジですか!!!」ってなってた、徐々にサウナーの皆さんと繋がり始めた頃。 酒々井湯楽の里で隣の人が身体をペチャペチャペチャぺチャやってて「それって何か効果あるんですか?」って聞いたら「いや、、別に、、」って言われたってツイートした

    • 久しぶりの1日完全休日

      何の予定もない1日昨日、1日朝から夜まで予定のない休日を久しぶりに過ごした。9:30に起きて、東名厚木健康センターに。たまたま何の予定もなかった奥さんも一緒に行きました。(激レアタイミング) 11:00到着。とりあえずご飯。奥さんは味噌ラーメン。僕はいつもオーダーするサンマー麺。 ホワイトペッパーを振りかけながら頂く。 お互い完食して、「美味しかったね。」「うん、美味しかった。」の後、別行動に。これで「○時くらいに○○集合で」という世界で1番くだらない会話をしなくて済む

      • サウナで回復しました

        死ぬほど疲れてたんですね。ホントに。 可能な限りの睡眠時間を取ったとして、お風呂屋さんの時間は限られていた訳です。 午前中から行ける施設で1番近いのはTHE SPA 成城。次に溝口喜楽里、宮前平湯けむりの庄(二度と行きません) でも、今日はお風呂時間削ってでも行きたかった場所に行った。環八に出て、中原街道の次を右に行って、鶴見区を目指した。 なんとか午前中に到着して、1発目のイズネスを頂く事が出来た。水風呂は深めの18℃くらいのゆっくり設定でゆっくり入れた。その後高温

        • 弦巻秋祭り 終了

          17:00。飲食スペースは完全撤収して掃除も完璧に終わっていつも通りの駐車場に戻っていた。役員の皆さんが集合して何やら話していたから「あちらは火が落ち着くまで時間がかかるのであとは大丈夫です。これで解散としましょう。」と伝えた。お世話になった。たくさん助けてもらった。 あとは俺がやっておきます。 残ってくれた人達が撤収作業と掃除片付けを手伝ってくれた。本当助かった。でも、何か大切な事を見逃したような気がしていた。何か大切な事を忘れてるような気がしていた。 まあ、そん

        錦糸町ニューウイング

          弦巻秋祭り 当日

          前日の夜、家でビール飲みながら、おふろの国の林さんが「イベントの前日夜の開放感」て言ってたのを思い出していた。正確に言うとずっとそのツイートを覚えていて、「早く味わいたい」と思っていた。天気予報は「素晴らしい秋晴れ」になっていた。 そして当日を迎えた。 朝8:00集合で設営開始。レンタルしたガーデンチェアセット×6、プラス椅子×10(椅子重要) 近隣の保育園と小学校から借りた長テーブル×パイプ椅子×30、飲食スペース用テント4.5m×3mを2つ、着替え用テント×2、綿飴

          弦巻秋祭り 当日

          弦巻秋祭り 準備とコネクション

          とりあえずテントサウナ3台と熱波師1名にはお願いできた。 場所はどうするか?道路封鎖してやるか?いやそれだと苦情がハンパなく来る事が予想されるし、何より大山街道を使う人達の迷惑になる。 とりあえず近所の保育園にお願いしてみた。好感触。でも「施設内で給食以外の食べ物は一切出す事が出来ない」との事。それじゃ話にならない。お祭りで食べ物飲み物無しなんて考えられない。却下。 ダメ元でファミリーマートのオーナーさんにお願いしてみた。そしたら「全然いいですよ!楽しそうですね!目の前

          弦巻秋祭り 準備とコネクション

          弦巻秋祭り 準備について

          2011年にサロンをオープンして、それまで帰る時間が深夜だったのが、早くなった。家族で夕飯が食べれるようになった。練習会もない。会議もない。何よりヒマだったんだ。1日1〜2人来ればいい方。それでも来てくれたお客様に対しては全力を尽くした。命を賭けた。売り上げが安定するまで半年もかからなかった。 その間、当時まだ保育園の年長さんだったマーさんとお風呂に入れるようになった。お風呂で癒され、色んな入浴剤を入れてみる事から、僕のお風呂ライフが始まった。(石澤研究所さんはハンパじゃな

          弦巻秋祭り 準備について

          弦巻秋祭りを企画した経緯について

          僕は世田谷区弦巻、大山街道沿いの弦巻商店街で産まれた。両親は理容店を営んでいて、当時は借家だったらしい。木造アパートの1階部分が店舗でその奥が住まいだった。妹が2人いて、家族で近所の銭湯に行って、帰りに商店でおでんの卵を一つ買ってもらったりしたのを、よく覚えている。 最近父親に聞いたんだけど、家には風呂が無かったらしい。 父親は僕が小学校に上がる頃に近所に土地を購入し、家を建て、必死で仕事して子供3人を育てた。僕は中退してしまったけど、全員大学まで行かせて30年かけてローン

          弦巻秋祭りを企画した経緯について

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          たまに書いていきたいと思います。 よろしくお願いします。

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