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八百屋お七は死罪でないのか

死者の告発シリーズ2.

いわれなき罪一等の下(もと)首をはねられ、火炙りされ、
死に至らされた人々の多くは庶民だった。
 
火付けで鈴ヶ森処刑場で、柱にくくりつけられ、火炙りにされた

八百屋お七だって、ミカンが木箱ごと売れたり、シイタケがごっそり

売れる豪商の娘じゃない。豪華に着飾った美貌のお嬢様は幻想で、

せいぜい、そのあたりの「ミス町内」だったかもしれない。

芝居や歌舞伎に取り上げられて大喝采! いまさらどこにでもいる

娘さんとはいえない。

江戸の町には木造のひと間ふた間の平屋木造の長屋が多かつた。

ひとたび火がはなたれたら類焼間違いなし。

お七は前回の火事で焼け出された時、寺に疎開(そかい・いちじひなん)。

その時、出会った寺小姓の吉三郎が忘れられなかった

つまり恋をした。

だから火付けした、放火した。

火付けは重大な犯罪なのに単純な幼い発想だった。江戸は燃え盛り

大火となった。

後に裁判になったとき、お七のあどけなさに涙した奉行は

「お前は14才だな」となぞかけした。14才なら罪を逃れられた。

だが.その意味が分からないお七は「いいえ。私は15才です」と

言い張って刑に服した。

 
裸馬に乗せられて江戸市中、引き回されたお七には、お七の火付け

で、家を失い家族を亡くした町民の怒号と悲鳴が聞こえるようだ。

お七には、砂や石のつぶてが飛んできて、血まみれになったのでは、、。


その後、三尺高い木柱にくくりつけられ火炙りにされたお七だが、

吉三郎は事情聴取だけで許されたらしい。

(寺小姓は、行儀見習いもかねて寺に奉公に出された若者だが、

住職や僧侶にかわいがられているうちに、すれていった人も

多いと聞く)

 さて、お七の場合は? 幼かったお七がひっかかった?

とっておきの話

中国地方のある寺に、お七が燃える火花の中を逃げてきた?

焼け焦げの着物が展示してありました。

元は豪華な振袖だったとは見えませんでした。

生きていたの? どういうこと?ここまで逃げてきたの?

なを、年齢、は合っていたかどうか、不明です。

写真はすべて、東京、白山のお寺のもの。中国地方の
寺の「燃えた着物」は出てきたらだします。どこにはいっちゃったのか?

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