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きのホ。に会いにTIFへ行く <ミコちゃんぶっ刺さり編>

可愛い青い子

5年くらいライブへ通っていたMaison book girlが解散した。コロナ禍での不完全燃焼な解散。今後は元ブクガの矢川葵ちゃんのソロ活動をひっそり見守っていくのだろうと思っていた。
サクライケンタPの音楽と演出は唯一無二で、矢川葵ちゃんの顔はめちゃめちゃ可愛い。その二つが組み合わさったブクガ以上にハマれるグループはない。そう思っていた。
久しぶりに開催されるハズだった矢川葵ソロライブの延期が発表された頃、Twitterで吉田豪のリツイート経由でとあるMVが流れてきた。それがこれ。

曲もいいし映像も作り込まれている。しかし軽く衝撃を受けたのは目が一重でめちゃくちゃ可愛い子がいる事だ。おそらくメンバーカラーは青。
青を、もっと青を見たい!!もっと映してくれ!!

「きのホ。 / 開幕自分宣言 -Music Video-」の御守ミコ
「きのホ。 / 開幕自分宣言 -Music Video-」の御守ミコ

今まで自分の好きなタイプは絶対に黒髪ボブだと信じて生きてきた。広末涼子に始まり矢川葵でピークを迎える僕のボブバイブル。
ところがその価値観をたった1つのMVで破壊した黒髪ロングの青い子。それが御守ミコちゃんだった。”好き”のパラダイムシフトである。

そこから、きのホ。関係の情報、特にミコちゃんの事を調べていった。

ミコちゃんは読書、美術、ドラえもんが好きなマイペースな子らしい。自分で描いた絵をTシャツにしたり、指輪を作って生誕グッズにしたり、自分で物を作るタイプ。創作してる人とても好き。
高音域が聞こえない難聴もあるらしい。ハンディキャップがある中で頑張っているんだな〜くらいに、その時は思っていた。

ミコちゃんのnote

情報を漁っていくとミコちゃんのnoteに辿り着いた。可愛らしい写真とか日記とかあるのかな、と思ったらその逆。難聴に端を発するネガティブな経験、辛い気持ちをかなり率直に書いている。その心理描写はちょっと異質なレベル。

自分も状況によっては人前で話せなくなってしまう子供だったのでほんの少しだけ察せてしまう(おそらくかなり軽度の場面緘黙症だったのだと思う)。学校や社会では人と話をしないというのはかなり強く非難される。話に入れないなら君はそこに居ないのと一緒だよ、と。そんな社会のルールを感じ始めた子供時代に、本で読んだのかテレビで見たのか、こんなセリフを覚えている。「静かな子はお話をしていないんじゃないの。自分自身とたくさんお話しているんだよ。」このセリフにほんのり肯定された気がして、当時は勇気づけられた。
ミコちゃんの文章は自分との対話を散々してきたからこそ書けるもののように思う(あるいはそうであって欲しいという願望)。自分の内面をずっと見つめてきたからこそメタな視点で自分の気持ちをあそこまで描写できる。
この子の内面には日々様々な感情が湧き、自分だけの世界が広がっていて、それを表現するための言葉だってたくさん持ち合わせているんだぞと、世の中に対して見せつけてやりたいと思った。

「青い子が可愛い」から始まった出会いだったが、ミコちゃんが書く文章にぶっ刺されてしまった。ミコちゃんの目を通して世界を覗いているような感覚になれる文章。この本のこの表現がいいとか、日常の出来事とか、他愛のない内容までもユニークな良さがある。
しかしnoteを読み進めるとニ撃目のぶっ刺さりがすぐにきた。

知ってる憂鬱

身体にある傷の話を読んで「めっちゃ知ってる話だ…」と思った。

昔、自分は半年間だけ院内学校の先生をしていたことがある(院内学校は長期入院をしている小中学生のための病院内の学校)。薬の副作用で髪が抜けたり、器具を装着する為に体に傷が出来た子がいた。退院してもこの見た目ではジロジロ見られて嫌だとか、体に出来た傷のせいでもうプールや海には一生行けないとか、そんな憂鬱を沢山聞いた。あの子よりは病状が軽いから自分には苦しさを口にする資格はないと思う(だけどどうしても辛い)とか、あの先生にこんな無理解な事を言われて深く傷ついたとか。
憂鬱の殆どは会話の中で愚痴として出てくる。だから受け答えも「うわー、それ最悪だよね。自分だったらめっちゃ嫌だわ。」くらいの軽さが丁度いい。でも本当に時たま、深刻さを伴って憂鬱さを伝えてくれる事がある。慎重に返答しないとダメなやつだと即座に身構える。「気持ちはすごい分かるよ」と言いたくなるけど、「病気じゃない先生には分かんないよ」と言われるのは知っているので言わない。「ポジティブに見方を変えてみたら?」とか言ったら即座に失望されるのも知ってるから言わない。だいたいの場合「そっか、今とっても辛いんだね….」と、辛さの再確認みたいなところまでしか踏み込めない。(でも無かったことにされちゃう辛さが世界には沢山あって、辛いと感じている事実は守ってあげたい。)
背負わなくていいハンディキャップを背負ってしまった子供は性格に影が差す。コントロールの出来ないフラストレーションが湧き上がる。そんな自分に戸惑い失望する。(自分を性格が悪いと自覚している子供はいない。みんな良くあろうとしているが環境がそれを許さない。)退院したとしてもその経験や体に残ったものは性格や行動に影響を与え続ける。

そんな生徒の何かを決定的に変えてあげたいと思ったりもするが、まるで現実的な発想ではないと気づいていく(そっちはお医者さんの役割だ)。ただただ毎日たくさん話をして、一緒に楽しく過ごした。明日はどんな冗談を言おうかとか考えて、実際めちゃくちゃにウケていた。
実際のところ院内学校で先生をするのは楽しすぎる。生徒と遊んでお給料まで貰えるなんて最高の仕事だと思っていた。その一方で、あまり見ないようにしている悲しさの気配が常にどこかにある。時たま生徒の真剣な辛さに直面する。そんな日々の記憶。

ミコちゃんのトッキントッキンの文章で綴られた経験や気持ちが、自分のそんな思い出にぶっ刺さった。あの時に見た憂鬱そうな生徒の顔。小ちゃいミコちゃんが同じ顔をしている様子が思い浮かんだ。

ミコちゃんは特別

ミコちゃんが持っている要素は自分にとって特別なものが多すぎる。自分にとって特別と感じられる子がアイドルをやっていて、ここまでオープンに気持ちを綴っていて、自分がたまたまそれを見つける確率。それはどれくらいのものだろう。自分にとってこの子は特別だと直感できるのに、昨日まではその存在すら知らなかったという奇妙な事実。この出会いは一体誰がどう用意したものだろう。
今の世の中は代替可能なもので溢れている。そんな場所では”特別”が人と人を結びつける。あの時に欲しかった普通は、ここでは何も結びつけてはくれない。
とりあえずミコちゃんに会いに行く必要があると強く思った。


このように激重なぶっ刺さり方をしているが、この時点でミコちゃんのことを知ってから数時間しか経っていない(マジか!?)。ミコちゃんの文章は人にここまでの事を思わせる(凄い!)。ミコちゃんがnote書いててくれて本当に良かった(良かった!)。

<TIFエンジョイ編>へ続く(こっちは楽しい話しかないよ)。

おまけ:Twitter時系列


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