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激情すら私はきっと忘れる。だから言葉を連ねる。

おっさんずラブの最終話が放送されてから、6日が経った。

何度も何度も録画を見ていたのと、今週は仕事がアクシデントのせいでいきなり年間で1番くらい立て込んでいたのとで、その時間に対する感情や感傷はなかった。


おっさんずラブ、とんでもないよ。登場人物全員のキャラクターとそれぞれの愛の物語も、ただ真摯に愛の物語を書ききったストーリーも、散りばめられたちいさなネタや小道具、音楽、光。牧くんの涙と春田の屈託のなさも。

最終話で、「俺と居たら春田さんは幸せになれない」と牧くんが放った呪いを、春田が「だからお前はそーやって勝手に決めんなよ!!」と駄々を捏ねるみたいにぶっ飛ばす。愛を告げるシーンなのに、相手を否定するという力強さにひどく感激した。否定しなきゃいけないのだ。呪いだから。粉々に砕かなきゃいけないのだ。春田はそんな意図もなく、ただ怒っている。決めつけるなと。春田にしかできない受け止め方だ。

そして抱きしめられて、一筋涙を流す牧くんを、本当によかったとこちらも泣きながら見守る。

それを多分10回近くやった。6日間で。


ちょっと嘘だった。いや10回じゃなくて20回だったとかそういうことではなく、この6日間に感傷はあった。

最終話放送まではいつ行っても誰かが愛を叫んでいたTwitterのTLに、人のいない時間ができた。度々。

私がこのドラマのことを変わらず大好きで、なんだったら3年ぶりに文章を書くくらい突き動かされてるなら、周囲がどうでも、そのまま愛を温めていることが正しいと思っている。

でもあたりが落ち着いていくことは寂しい。

好きの波が引いていく様子は、いつか自分にもやってくる未来と思わずにはいられない。


おっさんずラブを全編見て、私が感じたことは、

真剣に真摯に作られた物語への賞賛と、

「こんなに好きになれるものがまだあったんだ」という驚きと戸惑うくらいのよろこびだ。

今日ここで私にできるのはストーリーやキャラクターの考察や深掘りではない。

好きだという感情の膨らみと、その反対に思いを巡らせている。

そういえば10年前に付き合っていた人に「いつかあなたを好きでなくなってしまうかもしれないことが怖い」と泣きついたことがあった。とんでもない告白だ。確か相手は困惑して、そんなこと悩んでもしょうがないと私を諭した。その通りだ。

でも私にはそういう恐怖が多分ずっとあるのだ。世界がまぶしく輝いて見える幸せな時間は、いつか終わる。


今回、「好き」がこんなに日常を食うものかと驚いた。

朝化粧をしながら録画を見る。5分でも空き時間があればTwitterを開いてファンのさえずりを読みふける。仕事中もシーンを思い出しニヤける。夜どんなに遅くても録画で1話分見る。毎日読んでいたはてブホッテントリにもう1ヶ月近くアクセスしていないし、息抜きに遊んでいたマインスイーパーも同じくらい起動していない。ニトリで春田のマグカップを買った。出掛けた先がロケ地に近いので帰りの時間を気に留めず足を運んだ。口を開けば、春田の、牧くんが、春田って、牧くんだから。土曜は遅くても21時には帰宅して22時半にはシャワーまで済ませてテレビの前で待機する。次回の内容が気になり緊張して本当に具合が悪くなる。クロッキー帳を2年ぶりに開いた、開いただけじゃなくて描いた。

忙しさに殺された感性が、おっさんずラブによって息を吹き返した。

地平線までひび割れていた大地にいきなり海を逆さまにしたような雨が降った。

でも、いつかまた、クロッキー帳もnoteも忘れて、マインスイーパーを無心にさばく殺伐とした日々に戻るんだろう。きっと。

うなだれるほどに悲しい。


仕方がない。熱が冷めるのを止めることなんて、誰にも、どうしても、できない。

気持ちは変化する。それは悲しくもうれしくも万人に降りかかる事実だ。

時間が経ち、新しい記憶や煩雑な思考が重なって、好きという感情が散っていったり、遠くぼやけたりする。

でも、10年前あの人に、私は多分、こう答えてもらいたかったのだ。

「いつか好きでなくなるかもしれないけれど、今のこの瞬間大好きでいられたらそれで充分だよ。」と。


だから私は、この文章を書く。

変化を拒めない代わりに、今の温度をどうにかして残しておこうと。必死だ。

しばらくぶりだから拙いものしか書けないとか、人に読ませるものじゃないとか、この機会でなければ口をついて出たであろう遠慮の言葉も、ない。いらない。違う。好きだと、覚えておきたいのだ。

うれしかったのだ。

おっさんずラブを観られたこと、人を愛するにもドラマを作るにも真摯さがこんなにも胸を打つこと、そしておっさんずラブが与えてくれた日々の変化の全てが。


横川さんのnoteにも背中を押された。

"でも、僕たちの人生は雑多で、きっと今、自分の全身を満たしているこの幸福感も、生活に摩耗され、少しずつ目減りして、やがて忘れてしまうんだ、こんなに愛しい物語があったことを。そして、また心がパサパサになって、すり減ってしまう。
だからせめていつか思い出したいその日が来たときのために、今この文章を残している。こんなにも誰かを愛しいと思ったことを、自分の人生を愛したいと思ったことを。忘れないように、取り戻せるように、ただただ言葉を連ねている。"


私の連ねる言葉は、額にできるほど立派なものではないけれど、せめて鋲となって、輝きを留めてほしい。

私は、おっさんずラブが、大好きだ。

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