論文を書くうえで危ない思考

今回は論文を書く上で危ない思考というテーマで書いていこうと思います。

司法試験に複数回不合格になっている方の指導をさせて頂くときによく出てくる問題として、「書いた本人も何を言っているか説明できない論述がある」というものがあります。

で、私が「自分でも説明できないことをなぜ文章にできたの?」と聞くと、

「授業で○○先生が言っていたことが、頭にあってそれをかきました」

「○○先生の基本書にこんなことが書いてあったような気がして。。」

みたいな返事が返ってくることが多いです。

自分は、これが論文を書く上でとても危ない思考だと思っています。

なぜ危ないかというと、論文では書き手も説明できないようなことは、ほぼ採点者には伝わらないと思っているからです。

おそらく受験生もそのことはわかっているはずです。ではなぜこのような思考になるのか。自分の想像ですが、間違えたくないという思いが根底にあるのではないかと思います。

大袈裟かもしれませんが、司法試験の受験生はこの試験に人生をかけていると思います。その人生をかけた試験で間違えたことを書くのはとても恐ろしい。そのため、少しでも正解の可能性がある、「先生が言っていたこと」「基本書にのっていたこと」を頼りに論文を書いてしまうのだと想像しています。

気持ちは痛いほどわかるのですが、この思考は捨てたほうがよいです。なぜなら、司法試験は正解を書くことと同じくらい大事なことがあると思っているからです。

司法試験では目の前にある問題に対して、条文と頭の中にある法解釈論を駆使して、解決の筋道を示すことが求められています。

ここでもっとも大事なのは、書き手の思考過程を自分の言葉で伝えることです。

採点者が想定している100点の説明ができる受験生は、ほぼいないはずなので、多くの場合は、採点者が受験生の答案を読んで「ここはよく理解できている」「ここは大雑把だな」みたいな感じで分解し、得点をつけているのだと想像します。

この仮説が正しいとすれば、採点者に思考過程が伝えられないと、理解している部分と理解していない部分の区別すらしてもらえず、大幅に得点を失うことになります。

そのため、迷ったときには、頭の中にある誰かが言っていた法律論ではなく、問題文の事実と条文に食らいついて、自分の思考過程を説明してほしいです。

ということで、今回は論文を書くうえで危ない思考について書いてみました。

参考になれば幸いです。


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