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2024年3月23日 しゃぶしゃぶ大好きドラゴン

・『バケモノの子』に出てくる女子高生・楓さんは、バケモノ界で長く暮らしていたはずの主人公を社会復帰させようとして、無理やり新しい服を買わせたり学校に行くための勉強を教えたりする。ただ、それは主人公の環境を強引に変えて人間界の常識で縛りつける迷惑な行為だとして、一部から大きく非難されたキャラクターだったらしい。でも僕は小学生のときに図書室で借りた小説版を読んだとき、なんというかめちゃくちゃ「癖」だったんだよな。それが、逆に。

・いままで大切にしていたはずのバケモノ界での記憶やルールが、突然都会の進学校の、よく話したこともない女の子に全部変えられちゃうの、「めちゃくちゃエロじゃん」と思って……当時……。

・あれから10年。もう僕も、「図書室」なんてものに用事のある歳ではなくなった。ほしい本があれば、たとえ深夜であろうとAmazonで買える。そして、創作物を正しく清い心で読み解く能力も身についたはずだ。つまり、友達との通話で突然「あれが僕の最初のNTRだった」「最初のファム・ファタールでもあった」などと言い出すくらい当時のことを思い出しても、それを確認する姿勢をすぐに見せることができるのである。

・『バケモノの子』、果たしてエロなのか、エロじゃないのか。

勝負だ────。




・サークルの追いコンに行ってきた。

・4年生や院の2回生への追い出しコンパ。周囲の友人とかがだいたいノンサー(サークルに入ってない大学生のことをそう言ったりするらしいよ)(きもちわるいね)なので、「今度の追い出し会が〜」みたいなことを言うと「『追い出し』て」と返される。そんで全然僕もそう思ってる。「追い出し」て。

・ネットでお店の予約リクエストをして、サークルのグループLINEに連絡し、「体調崩しちゃったので行けないんですけどキャンセル料とか大丈夫ですか?」という個別LINEが来たので、古い予約リクエストをキャンセルして人数をひとり減らした新しい予約リクエストを入れ、「大丈夫ですよ!」と返し、ただよく見たら日付を間違えていたので予約リクエストをキャンセルして新しい予約リクエストを入れ、それが確定し、ただ個別LINEを送ってくれた人はもともと日程投票に入れてない人だったことに当日の昼に気づき、お店に電話をして元の予約人数に戻してもらって、家を出て駅まで着いたところで「飛び入り参加ってできますか?」という個別LINEが来たので、お店に電話し、予約人数を増やしてもらった。私にサークルの会長をやらせているといつかすごいことが起きる。

・しゃぶしゃぶの食べ放題だったんだけど、気が狂うほどうまかった。しゃぶしゃぶってかなり好きかもな。

・かなり好きだ。焼肉とかと違って焼くのが難しくないし、速いし、やわらかい。あとなんか知らないけど多くのお店でアイスとかカレーとかご飯とかも一緒にいけることになっていて、それは意味わからないんだけど、とても嬉しい。自分は焼肉に3000円出せないけど、しゃぶしゃぶなら全然出せるかもしれない。これから好きな食べ物を聞かれた際はしゃぶしゃぶって答える。

・あとなんかしゃぶしゃぶって語感がかわいい。「しゃぶっ」と思いながらお湯に浸してる。赤い赤いお肉がちょっとお湯にくぐらせただけで白〜くなるのがたのしくて、ゲーム性もある。野菜も一緒に美味しく食べられるし、タレ(?)もポン酢とかだからヘルシーな感じがする。褒めようと思えばいくらでも褒められるかもしれない。

・とてもとてもおいしかったのでよかった。




・なんだかんだちょくちょくX見て「いまどんなんなのかな〜」って確認したりしてるんですけど、生成AI関連の話題、やばすぎかも。こんなことになってたんだ。


・以前質問箱できたメッセージ(裏で嬉しく読ませていただいたものです)でも「反AIという語がいまや蔑称として使われつつある」みたいな話題があって、そのときも自分はかなり驚いていたのだった。全く知らなかった。

・たしかにいま見ると「フェミ」「陰謀論者」とかと同じカテゴリに入れられている印象が強い。僕が使うときは、主張を簡便に言い表す言葉として独自に「反AI」という表現に行き着いていたつもりだったんだけど、こうなるとサブリミナルでバズツイの文言とかに影響されていた可能性もありますね。気をつけなければいけない。

・にしてもすごい。こんなに荒れてたんだ。起きていること自体はまさしく僕が危惧していたような流れではあるのだけど、捉え方がそれぞれ違うというか、もう「反AI=他人の権利をかさに誰彼構わずやいのやいの言うやばい人たち」くらいに思われてきているのだね。僕が予想して危険視していたのは「このままだと一部のAI反対派の人たちは過激なところまでやいのやいの言うよなぁ」というところまでだったんだけど、意外とそれが、一般には冷静な視点で見られている印象があるな。

・ただ、そうやって一括りにして「反AIは○○で〜!」と偏見を強化したり冷笑したりするのまで冷静な視点なのかと聞かれると、それはさすがに違くて、いまはうっすら、「反AI派vs反・反AI派」みたいな構図ができているのかなぁと邪推した。僕は人のこと言えないのかもしれませんが。

・少し前は「創作者は全員生成AIを危険視すべきだ!」みたいな風潮があって、僕は、それは明確に嫌だったんですよね。知らないうちに特定の「政党」に参加させられる感じがして、嫌だったから、それははっきりと拒絶していた。でもこうして「政治戦争の担い手」が特定の人たちに委ねられている状況になると、心中おだやかというか、「どうやら自分は巻き込まれないらしいなぁ」という安心感は、正直ある。

・以前は「A国に住んでいるなら、お前も祖国を愛し敵国を憎んでいるに違いない。さいわい我々には数多くの義勇軍がいるのだ。さぁ、武器をとって戦おう」みたいなことを言われている感覚だったのが、いまは「A国兵士」「B国兵士」の争いが激化しすぎて、「無関心な民間人」でいることが許されつつある感じ。その点だけ言えば、いまのXは、自分にとって以前より住みやすい環境にはなっているだろうと感じる。

・一方で「自分は出兵の意思がありません」ということを言う必要がなくなってから俯瞰して見ると、「反AI(ここではいったん、『一部の過激な運動をしている生成AI反対派』としてあつかう)」の人たちの、「悪気のなさ」がいたましく思えてくるところはある。たとえば陰謀論者なんかは、「明らかに騙されている」という点で、本人に悪気がなかろうと明確にその行動原理自体が間違いである、と割り切れたのだが、AI反対派に関してはそうではない。便乗犯は別としても、根底には創作に対しての熱心な気持ちや、自分のものが尊厳なく踏みにじられることへの反感があるわけだ。

・そう考えると、「行動」から属性の是非を一概に判断することはどこまでも建設的ではないように思えてくる。「○○な人」を一括りに嫌っていいのは、その「主義(policy)」が自分に合わない場合だけだ。たとえば僕は、「陰謀論者」は全面的に苦手だけど、「ツイフェミ」と呼ばれるような人たちには全面的な苦手意識がない。

・それは、陰謀論自体が「出発点から明確に間違いである」ため、その時点で(僕にとっては)仕分けられるのに対し、フェミニズム自体には主義的な嫌悪感がないからだ。なのでツイフェミと呼ばれる人たちがいくらエグめの言動をしていても、「まぁエグい人はどこにでも一定数いるしな……」という割り切り方になってくる。「あちらの議論の成否によって自分に実害が及ばない」という意味で、自分に、ぜんぜん関係がない。だから一括りにした嫌悪感は持っていない。

・そして「反AI」に関しては、僕の中で、この判断の仕方が難しくなってきている。以前書いたように、自分にはAI排斥派の使う言説に対してpolicy的な反感はあって、それが「自分を巻き込まないでください!!」と思う理由でもあるんだけど、「行動」自体にはマジで関心がないのだ。プリキュアの公式絵に噛みついていようと、島本和彦先生をバッシングしていようと、「一部の過激な人たちが過激だなぁ」としか思っていない。以前はそういう騒動に自分が巻き込まれる、というか「同じ思想を持っている人々の枠に入れられる」という危険性があったので、危機感と嫌悪感がそれなりにあったけれど、いまはもう「なんか、みんな大変なんだな……」という感想があるばかりである。

・しかもpolicy的な反感というのも、「人間のつくるもののほうが『よい』のだ」という言説に同意しないという一点のみだ。それ以外の議論については都度判断を要するし、僕だって自分の作品が嫌がらせのためにAI学習されたらそりゃ嫌だし。あと、「同意しない」というだけで、こちらに害がない限りは敵対感もないのだ。「考え方が違う」としか言いようがない。

・というわけで「反AI」という言葉は今後なるべく使わないようにしよう、と思った。特定の「党」そのものを嫌うことができるのは、原理的にはその党の「policy」が性にあわない場合のみである。いまの自分は「反AI」に対してpolicy的な反感はあるものの、これはその党の全部を批判できるほどの大きな根拠にはなりえない。また「行動」に関しては、傍から見て「やばいなぁ」とは思うけど、それをして「反AIは全員、未来永劫、建設的な意見を持つことがない」と思うことは全くない。だから下手に「括り」化した言葉は使わないようにしたいな、と思う。

・そもそも、自分はマジで誰かと戦いたいわけではないのだ。陰謀論者だって苦手なだけで、「間違ったことを信じていて頭が悪い、迷惑だ」とか攻撃しに行きたいわけではない。極端な話、自分以外の周りの人がこぞって陰謀論を唱え始めたら「自分は違いますので!!」と言わざるを得ないのだけど、それ以外は自分に関係ない世界の話として割り切ってしまっている。私の敵は滝沢ガレソただ一人であり、それ以外の誰かに対する感想は個人的な「好き」か「嫌い」しかない。この点はこまめに自認しておきたいなぁと思う。

・いまは「反AI」という括りができたことにより、自分がXをやめた理由は解消されつつある状況だけど、一方でいま復帰すると「反AIのやばさが可視化されてきたので戻ってきました」とでも言うようなものなんですよね。どちらかに属するのは嫌や……。なのでやっぱり戻れないなぁと思う。いまはXを変な使い方で触っている。

・倫理的な共通認識が成立しきっていない段階の問題について、「よい」「悪い」を検証することは、ある意味で賭けに近いものがある。誰かの意見に単に同調するのではなく、自分の経験や思想に基づく判断が必要だなぁ、と思った。誰かの意見や社会倫理は変わりうるが、自分の経験は変わらない。また、新しい経験を経ることによって価値観をアップデートすることにも、ある程度の正当性が感じられてくる。むずかしいけどちゃんとやらなきゃなー、と思う。

・以前の記事です。




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