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【考察】iri「言えない」の歌詞から読み解く、iriの3つの才能(前編)

 iriほど多面的なアーティストを僕は知らない。

 ストレートでメッセージ性のある歌詞を書くかと思えば、次の曲では抽象的で難解な歌詞を書き上げる。歌声は真っ直ぐで中性的でも、ライブ中の仕草はひとつひとつに品があって女性的だ。グルーヴィな曲があれば、しっとりとしたバラードもあるし、ポップスのような爽やかな曲もある。

 言葉を選ばずに言うと、とにかく分かりにくい。でも、そんな分かりにくさに僕は惹かれる。ほとんどのアーティストがイメージを絞って自身を売り込んでいく中で、iriという1人の人間から滲み出る多面性は新鮮で、引き込まれてしまう。

 僕はこの曲を聴いて、ますます彼女のことがわからなくなった。

 重々しいリフに、男女の機微をとらえた繊細な歌詞。そしてiriが静かに歌声をのせる。その歌声からは、ある種の諦観のような感情が読み取れる。曲に大きな展開はなく、シリアスで重苦しい雰囲気のまま終わりを迎える。それでも不思議と、残った余韻に不快感は感じなかった。

 小説を一編読んだあとのような余韻を噛み締めながら、僕は混乱していた。複雑な感情のもつれを、音楽のフィールドでストレートに表現できるiriに感嘆するとともに、その底知れない才能が怖くもあった。というより、分からなかった。だからこそ、この曲をもっと深く知りたいと思った。

平凡な主題と非凡な才能

 MVで描かれている登場人物は6人。曲の主役であり、恋仲にある男と女。男の友人であろう3人。そしてiriが彼らの物語を俯瞰的に見つめ、語るように歌う。曲中では、恋愛より友人関係を優先する男への不満と恋愛感情のあいだで揺れ動く女の心情が丁寧に描かれている。

 曲のテーマは、一言でいえば男女のすれ違い。確かに、テーマ自体は凡庸で使いまわされたものかもしれない。しかし、iriの非凡さはテーマの凡庸さによってより際立っている。

 そして、彼女の非凡さはすべて歌詞に表れている。

結局、なにが「言えない」のか 

 歌詞を細かくみてみよう。なお歌詞については歌ネットから引用する。

 まず気になるのは、曲のタイトルであり、フックとしての役割を果たしている「言えない」というワードだ。このワードは1番サビでは2か所で使われている。それぞれのサビの歌詞を見てみよう。「言えない」というワードがあるフレーズに、それぞれ番号を振った。

①だなんてまだ言えない言えない言えないよbaby
消えない消えない消えない that story
移り変わる世界の中で 僕らは何を残せるかな
la la la…同じ夜をぶらぶら…ぼくらをまとうlove love love…
②言えない言えない言えないよbaby

"つなぎ言葉"に閉じ込められた繊細な感情

 ①から順に見ていこう。①の部分のみ抜き出してみる。

だなんてまだ言えない言えない言えないよbaby

 これを見ると、「言えない」の前に「だなんて」と「まだ」という言葉が付いていることがわかる。これらの言葉はそれぞれどういう意味を持つのだろうか。

 まずは、「だなんて」について見ていこう。この「だなんて」というワードだが、この文脈では前後のフレーズをつなぐ役割を果たしている。つまり、サビの前の部分に『何が「言えない」か』という疑問についての答えが示されているのである。サビの直前を見てみよう。

君が笑う 君が笑うなら それでいい

 この曲の歌詞がMVの女目線のものだとすると、「君」というのは恋仲にある男を意味するだろう。つまりこの部分は、「男が幸せであるならば、自分の気持ちが犠牲になってもよい」という、女の諦めのような感情を表している。

 しかし、その直後にこのフレーズを「言えない」という言葉で否定している。つまり、彼女は自分の感情を諦めきれていないのだ。更にいうと、男の気持ちを自分に向けることを諦めきれていない。この、建前と本音の間で揺れ動く切ない葛藤こそが、この曲の本質であると言えるだろう。

 そして、「まだ」という言葉にも着目したい。「だなんて」の考察で述べてきたことを踏まえると、①のフレーズは『サビ前のフレーズについて「まだ」言えない』という意味であることが分かる。これを逆説的に考えると、今の状況が変われば「言える」可能性がある、という事になる。つまり、男が自分に振り向いてくれさえすれば、素直に男の幸せを願うことができる、という事だ。さらに言うと、女は男の気持ちが変わってくれることにいくばくかの希望を抱いている、という事を含意している。女がなぜそう考えているかはもう少し曲全体を俯瞰した考察が必要となるので後に譲ろう。

 ここまでの考察をまとめると以下のようになる。

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 このように、たった2文でここまで様々な推察が出来るのである。さらに、「だなんて」や「まだ」といった接続詞や副詞を巧みに使うことで、女の感情を過不足なく表現している。複雑な感情を想像し、きれいに言語化する能力。それがiriの特筆すべき才能の1つだ。

メロディが作り出す哀愁

 次にサビの最後の部分である②を見てみよう。ここでの「言えない」というワードは、①でのそれとはニュアンスが微妙に異なる。①と②の大きな違いは2つある。

 1つ目は、「だなんて」「まだ」といった接続詞・前置詞が「言えない」というワードについていない事だ。「言えない」という言葉が単体で登場していることで、①での「言えない」の意味が繰り返され、強調されていることが分かる。

 そして2つ目は、ボーカルのメロディラインにある。①ではメロディが跳躍がある一方で、②では跳躍がない。これにより、②の「言えない」という言葉は、①より落ち着いた雰囲気になる。1度目は自らの思考に拒否反応を起こすように強く。2度目は反芻して噛み締めるように。こうしたニュアンスの違いがより強調されるのである。

 このように表現したい感情に曲調を合わせる事が出来るのもiriの素晴らしい才能の1つだ。これにより、聞き手は違和感なく曲の背景について想いをめぐらせることができる。

 ②での考察をまとめると以下のようになる。

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抜けられない感情のループ

 ここで、サビ前・①・②を比べてみると、女の感情の起伏が顕著にあらわれていることがよく分かる。サビ前のフレーズでは、男に対しての諦めといった後ろ向きで静かな感情が、①ではそんなサビ前のフレーズに拒否反応を起こすように、強い感情が表されている。そして②では、①での感情をゆっくりと噛み締めるように女の静かな決意が示されている。このように3つのフレーズで、女の「静→動→静」という感情の流れが表されているのが分かる。

 しかし残酷なことに、女が男への想いを捨てきれなかったとしても、男が女に振り向くことはない。MVでも、男女が喧嘩をするシーンや、女が男との電話口で涙するシーンなど、2人の関係が健全ではないことを示すようなシーンが多く描かれている。女の内面の動きとは裏腹に、男と女の関係性は変わる事はないのである。

 そうであれば、女の感情は②からサビ前に戻るのではないだろうか。サビ前の「君が笑うならそれでいい」というフレーズの背景をもう一度思い出すと、男が恋愛ではなく友人関係を優先するという男女の関係性の現状があった。この関係性がこの3つのフレーズの間で変わっていないことを考えると、女の感情はいずれサビ前のフレーズで示された感情へと行きつくのではないだろうか。そう考えると、女の感情はループしているようにも見える。

 このような感情のループについてはiri自身もインタビューで述べている。

状況を変えたいけど、やっぱり変わることが怖くて言えないという感情がループした状態を曲にしたんです。
               ~中略~
ネガティブな思いでいっぱいなんだけど、その中にはどこかで前を向いている気持ちもあって、でもやっぱりまた元に戻ってしまうというような。

 さて、ここまでは女の感情の流れを中心に考察してきた。ここでどうしても引っかかるのが、なぜ女はこれほどまでに男に固執するのか、という事である。このような関係性や感情が生まれるには男女の過去に何らかのストーリーがあるはずだ。そして、そんな彼らの過去についてのヒントが曲中の節々に隠されている。

「ポラロイド」、この言葉が彼らの過去を解き明かすカギとなる。

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後編はこちらからどうぞ!


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