最近の記事

風について、窓について

昨日から風について考えていた。一昨日の夜から早朝にかけて、風が非常に強かったから。 風は、それを受けるモノがいなければ風の認識を持たない。常に対象物がいる。対象物が「風が強い」と感じるだけ。風自体はその強さを知らない。 風はしゃべらない。それを受けたモノがその風の強さを語るだけ。風の強さを語った瞬間に、風はもうそこにはいないのだ。 眠れぬ夜、風吹きすさぶ音を聴きながらそんなことを考えていた。そして、早朝5時、キングクリムゾンの『I talk to the wind(風に

    • 聞こえない世界

      先週火曜日から、右耳が正常に聞こえない。 何かが詰まっている、あるいは膜が張られているような感覚。 目を閉じると、右側にポッカリとした穴が。 世界の一部が切り取られたみたいに。 空虚が広がっている。なんて。 ------ 今日は知り合いの写真家・小谷玄哉さんの個展『ジャカルタ路地散歩』へ。 写真を撮る人は世界の見え方が違っているようだ。 静と動を捉える、一筋一筋がやわらかな。やさしいフォーカス。 ジャカルタの日常を切り取る非日常。 小谷さんが切り取ったその瞬間には

      • パフォーマンスからみえたこと

        7/7 七夕 ナニワ・ギター・エクスプレスの一員としてギャラリーカフェ・キリンでパフォーマンスを行った。満員御礼。来てくださった皆様、キリンさん、お身内の方々、ありがとうございました。 やっている音楽について、いつも不安定な気がしていた。 「どんな音楽やってるの?」って聞かれても 「む」と考えあぐねてしまう。 音楽だけじゃなくても、自分のコンセプトを見失うことは多分にあることだ。 ------ ロバート・フリップは名前、タイトル、コンセプトをとても重視している。

        • 桜談義の妙:長保寺

          世界が眩しい。家を出た瞬間にそう思った。 それは日光のせいだったけれど。 最近は言わずもがな春を感じることが多い。 ------ 4月8日はお釈迦さまの誕生日。花祭り。ゼミ。教授からのお誘いで桜を観に行った。 和歌山県海南市下津にあるお寺、長保寺。 国宝の建築物を囲むピンクのお花。 前の前の住職の趣味で、寺院の四季を彩る花々を植えられたそうな。 花祭りが桜の満開時に重なるのは数年以来だという。桜の淡さを感じながら、教授が桜談義をしてくれた。 ------ 去年

        風について、窓について

          ドイツからの帰国:コースのメモ

          ドイツ、ハノーファーでの18日間のコースが終了した。Berlin Guitar Ensembleのパフォーマンス&レコーディング・プロジェクト。9月中に文章にして、脳内整理を。 ーーーーーー コース期間は9/7〜9/23まで。エルナン・ヌニェスをディレクターとし、教会で8回、クラブで1回パフォーマンスを行った。 コースの参加者はドイツ、オランダ、イギリス、アメリカ、カナダ、ロシア、アルゼンチン、そして日本出身者で構成された。総勢13人うち1人がサウンドマン。 ーーーー

          ドイツからの帰国:コースのメモ

          ススキからも鼓舞激励:ドイツへ向けて

          まさに気候変動の賜物といった天候が続く中,いそいそと9月ドイツ・ハノーファー行きの準備を進めている。 そう,Guitar Circle関連のコースへ参加するためだ。コースへの参加はこれで3回目となる。ニュージャージ,コルドバ,そしてハノーファー。(実際のところ,ロバート・フリップ主宰のGuitar Craft/Guitar Circleは2015年10月のコースでコンプリートされたので,今回のコースは直属のGCコース扱いにはならないが) 今までのコースは(実に運良く)他の

          ススキからも鼓舞激励:ドイツへ向けて

          ナンだかな日

          風強いなか、いろいろな準備に追われている今日この頃。 明日の発表資料作りに精を出していたが、思い通りにいかない。自分の計画力のなさにほとほとあきれるばかり。大量生産の末に生み出されたキレ味の悪いナイフのような表現しかできないことが何とも情けない。 そんな日々の重さをいだくなか、癒しとなるのは異国の地。 今日も今日とてインドカレー屋へ行く。 ------ よく通っていたうどん屋が知らぬ間に看板を下ろしており、そのショックから衝動的に入ったお店。そこで食べた日替わりカレー

          ナンだかな日

          自分の顔

          このところ,春を感じることも多くなってきたけれど,今日は雨がひどく降っていた。そんななか,私は飛脚となり,学会誌への投稿論文を先方へ届けてきた。 半月前,卒論すらまだ完成していなかったにも関わらず, 今日締め切りの論文について,教授から「出さんのか」という言葉が。 たくさんあるデータをまだ分析できておらず, 卒論も書き終わっていなかったため,判断を先送りにしていたが, 悪癖というか,そのときの勢いで「出します」といってしまった。 専門知識や語彙力の不足のもと,連日の徹夜

          自分の顔

          枠組みのない知的好奇心をつなぐ媒体「博物館」

          自ら進んで博物館や美術館へ訪れるようになったのは高校生になってからだ。 そこでみられた資料や作品は,学芸員や作家だけでなく様々な領域の人が関わった証として存在していた。 展覧会自体がその博物館の「表現」であり,その空間がいわば博物館のつくり上げた「作品」なのかもしれないと無知ながらに思い,そういった空間がこの上なく好きだった。 ------ ミュージアムの語源はMusaという知的好奇心の神で,ミュージアムはそういった神が居られる場所,美神の館のことである。 知的好奇

          枠組みのない知的好奇心をつなぐ媒体「博物館」

          近代以前に憧れる近代的シコウ性を持った現代人

          導入として,先月,我が大学に来校された劇作家・平田オリザの著書から。 平田オリザ『演劇入門』より(一部抜粋)  テーマがあり、テーマを伝えたいという意志があり、それを世界や人間に投影し、観客がそのテーマを受けとるというのが、近代芸術の基本構造である。  なぜこれが近代に特徴的なことなのかは、近代以前の、まだ宗教儀式と芸術のあいだに明瞭な区別がなかった時代と、近代以降を比べてみれば明瞭である。近代以前の共同体のなかには常に「五穀豊穣」「家内安全」といったテーマがあった。しかし

          近代以前に憧れる近代的シコウ性を持った現代人

          22歳,節目のとき:ロバート・フリップの御言葉から

          9月が終わり,10月に差し掛かった。大学生最後の学期が始まる。 先週まで和歌山ではツクツクボウシが鳴いていたが,今その声は聞こえない。 外に出ると秋の色を感じることも増えてきた。 9月の後半は学会の大会で初のポスター発表や卒論関連の植生調査,トンボ調査があり,忙しくしていた。合間にあった自分の誕生日も特に何することなく,日々が過ぎていった。 そんなバタバタがひと段落したため,改めて齢をひとつ重ねたことを述べておきたい。 今年の「22歳」という年齢は私にとって節目だという

          22歳,節目のとき:ロバート・フリップの御言葉から

          環境を日常へと導く,その指針

          ひとつ,メモをまとめていくのに述べておきたいことがある。それは「環境」という要素についてだ。それについて,大学3年次の後期に自分自身のなかで明確化されたことがある。その考えが生まれたとき,ちょうどよい課題が出たので,そのことについてのレポートを書いた。その内容は以下の通りであった。 ------ 2017年2月3日 環境経済・環境政策最終レポートより(一部改変) Q.地域(自治体,NPO等)もしくは企業の立場から,どのような環境経済・環境政策を展開したいか,君の提案を自

          環境を日常へと導く,その指針

          感情から思考への変換,そこに介在する表現

          ノート1:2013年4月初旬(高3春)メモ  自分の感情に鈍感  今まででどれくらいの感情をとりこぼしてきたのか 自分のためにメモを取り始めたのは高校3年生からだった。 当時の私は自分の感情に対してとてつもなく鈍感で,自分の考えていることが本当にわからなかった。 他人(家族含む)と比べ,「自分」というものが欠落している。好きなものも嫌いなものもわからず,影のない平面な自分には何かしらの感情の気配があるのみ。しかし,その中で「わたし」と呼べるほどの思考はとても小さく,消えてし

          感情から思考への変換,そこに介在する表現