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【第4回】ひきこもりが資格取得に乗り出した日の日記の内容。

私は毎日、キャンパスノートにその日にあったことを書いている。
大体、23時〜24時の間に書いているわけだが、積み重なったノートを見ると、よくこんなに続けているなぁと我ながら感心するのだ。
現在15冊目。
日記を書き始めたのは、2019年7月。私がカウンセリングを受け始めた頃だ。
そのときすでにひきこもり歴4年。
最初はカウンセリングで先生が仰っていたことをノートにまとめていただけだったが、気づいたら日記になっていた。
これは、「やり始めたらなんか続いていた」という感覚に近い。頭が良い奴は日記を書いている的なハウツーから入ったわけではない。

そんな私が、人生史上初の資格取得に乗り出した日の日記の内容を公開する。
ちょっと恥ずい、、、

*「ひきこもりからの脱却」という観点を踏まえて読んでみて欲しい。
*日記では、一人称は「俺」で統一している。

〈日記〉
今日は、パソコンの資格教室に行って、手続きを独りで行うことができた。
これは今までとは違う、更なる、大きな一歩だと思う。
不思議なことに、あれだけ苦手だった「他人との手続き」をすんなり行えてしまっている自分がいる。
講座料金の話などはその最たるものだ。
ひきこもっていた一年前と明らかに違うのはバイトをしてちょっとずつ社会と繋がることができている点だ。
いや、できてしまっていると言ったほうが正しいのかもしれない。
世の中のほとんどの人は、バイトなんて些細なことにすぎないと思われるかもしれないが、俺はそれが正反対であることを知っている。
社会から隔絶して、苦しくて、自殺したくなるような単調なーー(文字通りの毎日が同じ、変化の無い)ーーひきこもりの日々を経験すると、見えてくるのは、「外に出て働く」という行為そのものの重要性だ。
仕事の内容ではなく、「外に出て働くという行為そのもの」というのがポイントだ。
この認識が私の自信につながっているのは間違いないと思っている。
仕事が好きかどうかは、俺にとっては、その後の話なのだ。
さて話を戻すが、ひきこもり真っ只中のときには他人との手続きの一切を避けてきた。
当たり前だ。
ひきこもりなんて、自立している人から見たら「曰く付きの変人」という先入観が俺にはあったからだ。
知り合いにすら会いたくない。
街でばったり同級生と……なんて考えたくもなかった。故に、家から出ないわけだ。
私の中では、一応、理由があってひきこもっているにも関わらず、他者を前にすると劣等感が強くなり、理由の説明もしたくなくなる。いちいち説明するが面倒臭いのだ。勘違いされたら嫌だし。そして、説明している自分もなんかキモいし。
やがて、俺は他者を避けるようになっていった。そして、自分のことを否定したくないという防衛本能(反動)から、「好きでひきこもっている」なんて自部屋で開き直るのだ。周りに敢えて公言しなくても、心のどこがで思っていたのは事実だと思う。
精神分析的アプローチによるカウンセリングを受けて俺が気づいたのは、「劣等感を抱く自分も開き直ろうとする自分も両方自分であるという視点」だ。両者は嘘ではない。相反する感情に見えるが、両方俺である。
これは非常に重要だと思った。
今回はパソコンの資格教室に行けたという報告であった。
近場でもどこでも、自分が主体的に決定した選択であれば距離なんて関係がないと思っている。
地元から離れて〜とか、
都内で〜とか俺にとってはあまり重要ではない。
俺はチャリで行けるところから始めてみる。

俺が昔やったギャルゲー、「野良と皇女と野良猫ハート(のらとと)」の明日原ユウキさんの言葉で締めよう。
「地元を好きになれない人は、どこへ行っても無理だと思いますよ」
俺的に言い換えると、
「身近なところに意味を見出せない人は、どこへ行っても無理だと思いますよ」
になるのかもしれない。
今までの俺は地元に全く意味を見出せていなかったことになる。

まあ、これも経験なんだと思うことにしよう。

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もし、あなたがひきこもりで、自立したいという欲があるのなら、身近なところから攻略していくことを私は勧める。

*投稿後、ちょっと編集しました。

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