死なないからやってみな!笑
いや〜先週までの、わたしと今週のわたしは
明らかに違う。
身体が整ってくると
中身もやっぱり整ってくる。
自力でやってもなかなか手強い状態で
うんともすんとも行かない時はやっぱり
外側からガツンと硬くなったよろい外してもらう方が早い。
1人でやっても汚れとりきれない時ってあるから。
曇った目で磨いても見えてないことってあるから。
でも、誰かれ構わず、何でもいい。
どこに飛び込んでもよい。
誰でもいいからは違う。
やっぱり心から安心できるところじゃないと
裸にはなれないから。
そこで自分のアンテナがものをいう。
今まで通りが上手くいかないってことは
それじゃないってことだ。
今までのところで一生懸命もがき
がんばってもがんばり所が違うから。
まぁやってもいいけど
すぐに限界が来るからわかるはずだ。
身体に来るかもしれないし、トラブルが多くなるかもしれない。
そこで気づけるかどうかだ。
生きていれば
ずーっと同じはありえない。
自然の法則に反している。
変化を嫌う人は一生懸命に抵抗する。
抵抗すればするほどそれは続くし
むしろ問題を大きくもする。
私は知らずしらずに
無垢のまんまいたらいけない。
危ないからと
いつの頃からか学び、それを身につけてきたんだ。
失敗しないように。踏み外さないように。
とりあえずレールにのって。
20代の頃までかなり慎重で
石橋を叩いて叩いて
確かめてそれから渡るタイプだった。
内弁慶で、家では元気にしてるけど
外に出ると人見知りですっと隠れてしまうような子どもだった。
ありのまんまで無垢な状態でいると
危ない。
それが刷り込まれてきたものだから。
まっさらで
自分の感覚を信じて生きること
いつの頃からか消してしまったんだ。
特段、過保護に育てられた訳でもない。
むしろ、親の愛情がわたしにはわかりにくい
表現の家族の中で育ってきた。
感受性豊かすぎて感じ過ぎて
わたしは人の顔色を見て
相手に合わせて生きる術も身につけて。
その当たり前になってきた縛りは
いまだに顔を出す。
だから初めてのことは特に
どれくらい?とか
レシピに
見本に頼りがち。
まずはお手本ありきで。
でも、いま
50を超えて笑
ここにきて
自分の感覚で本当に生きなさい!ってきてる。
えっ、まっさら
白紙?
空白?空腹
わたしの感覚で?いいの?
これ正解?合ってるのって
確かめないで。。。
ふ、不安。こ、怖い。。。が出てくる。
これまで頼りにしてきたものを
持たないで生きれるの???
どこを見て、どの方向に
歩めばいいのか?はてなはてな???
そんな感じ。
いちいち聞かなくていいから。
自分でやってみな。
大丈夫!死なないから!!!笑と来た。
もう最高だ。
この感じ。
ガハハと笑いながら
死なないからと笑言ってくれるんだものね。
もうそうなると笑っちゃうしかないよね。
先週から今週での体験から掴んだものを
自分でまだ本当の意味で掴んでないから
自分に落とし込みたい。
とっても大事なことだから、腑に落ちるまで落とし込みたいり
言語化がかなり難しい。
それなら!
昨日お風呂に入って
イラストにするのがいいのかも!と閃いて。
とりあえずやりながら掴めるかもしれない!で
やってみようで描いてみた。
これまでのありがちな悪循環ループ。
自分とあまりにと波長が違う中にいて
自分を見失ってゆくわたし。。。
これじゃぁ、
わたしは死んでるも同然の状態。
今日は野口整体に行ってきた。
すっかり、軽やかになったから必要ないかな?と思ったけど
いまの身体を同じ施術受けたら
あのあちこちの痛みはどう感じるか確かめても見たかった。
触れられて初めて気づくことがあるから。
先生のくれた
食べ過ぎている!
というキーワードからの紐解きはあれからずっとわたしに聞くきっかけになり
いまの位置にたどり着いているひとつでもあったから。
これはしばらくかかりそうですね。と言われていたわたしの身体さん。
今日みてもらったら
うーむ、自分の感覚としても明らかに違う。
前にいたかったところの痛みがないし、軽い。
先生にもかなり勢いが流れが出てきたから次回は間隔あけても良いですねと
その変化は明らかで嬉しくなった。
ですよね、ですよね。
だってかなりのタガが
鎧がごっそりと剥がれた感覚あるんだもの。
嬉しい帰り道
カバンのクリーニングをお願いしていたから
受け取りに行って。
生まれ変わったバッグとご対面。
あなたも生まれ変わったねぇ。
嬉しい。
再会を喜んで帰った。
バックはその人を印象づける大事なもので。
なんかぴったりするもの最近持っていなかったから買おうと年末思ってた。
でも待てよ。
買う前にもう一度見直して
今あるものから始めてもいいんじゃない?と
バックと目が合って。
初めてクリーニング出来るお店を何軒か探して
ここなら良いかもとお願いして。
皮の色を塗り直したり
クリーニングと合わせると新しいバッグ買えるかもよとよぎったけど。
完全に綺麗になるかもわからないと言われたけど
再び蘇ることにかけてみた。
結果、大正解だった。
本来のわたしがわからなくなった時
やっぱり自分にとっての好き、心地よさを
思い出せばいい。
安心できて、まんまでいて。
顔色伺わなくてもいい世界。
思ったことを言える関係であること。
そこはコントロールもなければ
引っ張り合ったり
奪いあいももちろんない。
誰かにとっての正解は
私にとってのちょうどいい。
心地よいじゃない。
いくら信頼している人の情報であろうと
やっぱり
自分に聞かなくちゃ。
試してダメでも死なないから。
自分にとって必要なものは
わたしにしかわからない。
失敗したっていいじゃない。
むしろ、それもありだしね。
本当の人生の始まりは
そうやって転んだり、傷ついたりして
あいたたた〜な経験をして
そこから学ぶこと
見えること。
そんな醍醐味こそみたいかところあるから。
彩りのある、味わい深いわたしの人生よ
チャレンジスピリット盛りだくさんな
わたしならではの味のあるもの発していこうじゃないか。
そう簡単には死なないから
死ねないから。
だったら思いっきりお試ししながら
転びながら
全部を美味しく料理して
マイレシピを作っていこうじゃないか。
誰にもできないレシピが出来るから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?