RUSH
いま振り返れば、無茶なことをしたと思う。
大学2年生のとき、mixiで知り合った見ず知らずの大人たちと、RUSH(ラッシュ)のコンサートを観るためにアメリカへ行った。
RUSHはカナダの3人組ロックバンド。
初めて彼らを聴いたのは、高校1年生のときだった。
そもそも、私の音楽歴は周りの同級生とはちょっと違っていた。
小学生のとき、みんながモーニング娘。や嵐を聴いている中で、長渕剛や海援隊を好んで聴いていた。
親が持っていたフォークソングのコンピレーションCDから影響を受けたのだ。
中学2年の終わりに、ハードロック・ヘヴィメタルと衝撃の出合いをはたし、ひたすら音楽にのめり込んだ。
脳天を撃ち抜かれるという表現があるが、まさにそんな感じだった。
人前では隠さなければならない、自分の中にある鬱屈とした攻撃性を、音楽にのせて表現してもいい。自分を真正面から肯定してもらったような気がした。
ロック、すなわち、自分。
ロックミュージックさえあれば、あとはなにもいらない。根拠のない自信に満ちあふれていた。
そんな状態を世間では厨二病と言うのだろう。
高校生になると、進路のことや人間関係といった現実的な問題に直面する。
生きる意味や将来について真剣に悩むようになり、なぜか勢いだけの音楽に疲れてしまった。
私にとってのメタラー全盛期は1年足らずで終わった。
そんなときにRUSHと出合ったのだ。
ハードロック・ヘヴィメタルにありがちな派手で長いギターソロはない。
ボーカルの声質は特徴的というより変だし、CDジャケットに写るメンバーはお世辞にもカッコいいとは言えなかった。
だが、それまで聴いていたロックとはなにかが違う。それだけは感じた。
一番影響を受けたのは、詩だった。
バンドのドラマーであり、ほとんどすべての作詞を手がけるNeil Peart(ニール・パート)は無類の読書家であり、一般的なロックミュージシャンが好む派手な交友や女遊び、酒やドラッグとは無縁だった。
そればかりか、ファンと交流することさえ苦手。
RUSHの代表曲である『Limelight』には、次のような詩がある。
世界的なロックスターとなり、ステージの上で脚光を浴びるようになってなお、ニールは孤独を好み、人間や科学、哲学などを学び、深く思考していた。
『Limelight』について、楽屋の出待ちをしたり、自宅までやって来るファンについて理解できず、その時の心情を素直に書いたものだと、後にニールはインタビューで語っている。
私は幼少期から現在にいたるまで、クラスや組織で特定の派閥に属したことはなく、それが原因で痛い目にあったこともある。
孤独でいることは矯正されるべきで、社交的な人こそが好ましい。
そのような暗黙の価値観に悩んでいた私を、ニールの詩が全面的に肯定してくれたように思えたのだ。
もし人生が自分を受け入れるための旅であるなら、RUSHと出合ったときが私にとってそのスタートラインだった。
それからというもの、RUSHの公演を観ることが、私の夢になった。
彼らは、1984年のたった一度しか来日していない。
日本での公演を待つのは、夢物語に等しかった。
そして話は冒頭にもどる。
大学生になっていた私にとって、見ず知らずということやネットは危ないという親の反対など、RUSHの公演を観ることに比べれば、取るに足らない問題だった。
実際、一緒に行った大人たち(みな40代以上だった)は、RUSHの世界観に感銘を受けていて、すぐに意気投合した。
待ちに待った公演は、彼らがステージに上がると同時に、ずっと号泣していた。
あんなに涙を流したのは、人生でもそう多くはない。
一緒に行った仲間たちとは、2年後に再びアメリカへRUSHの公演を観に行き、今でも交流がある。
2020年1月、ニールは静かに旅立った。
脳腫瘍を患い数年にわたって闘病していたが、バンドメンバーとごく親しい音楽関係者にしか病気であることを教えていなかったという。
メディアからの不要な詮索を好まないニールを慮り、他のメンバーは彼が腱鞘炎でドラムを叩けない、今は休養中だと言っていた。
だから、世界中のファンも誰一人それを疑わなかった。
コロナ禍での人間の変化、そして現在の世界の混沌を、ニールならどう表現しただろうか。
ときおりそう考えることがある。
残された二人のメンバーは新しいドラマーを迎え入れるつもりは毛頭なく、RUSHの終焉も解散も発表していない。
だから、バンドは今でも続いているとも言えるし、もう終わったとも言える。
ただ、ひとつだけ言えるのは、小説や哲学、絵画などのあらゆる作品から影響を受けた私が、ロックミュージック、とりわけRUSHの世界観をパースペクティブにして、今でも世界を見ている、ということだ。
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