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世界遺産・仁徳天皇陵へ

世界遺産に登録されたというので、昨年あたりは、「ブラタモリ」やら「歴史ヒストリア」やら、歴史系バラエティにやたらと取りあえげられていた大阪は堺にある「百舌鳥(もず)古墳群」。

小学校から中学校までの歴史教科書で誰もが見ている「面積が世界一広い”お墓”」こと、”仁徳天皇陵”と呼ばれる前方後円墳である。カギ穴みたいな形をした、およそ理由も思いつかない謎の歴史的建造物である。
(男子ならばキン肉マンの第119話ヘルミッショネルズ戦を思い出してほしいもんである

そのマグネットパワーの源は
誰あろうこの不肖山上トモが生まれ育ったマッドマックスもモデルとも呼ばれた頽廃の都、堺にあるのであった。

今や42歳ともなり、後厄真っ只中をひた走る山上某にとっては、頑是ない子供時代から自転車で遊びにいった帰りに、観るだに恐ろしい全力でリーパーをあて倒した不良高校生(中学生かもしれない)にカツアゲされたりしていた、それはそれは感慨深い聖地なのである。

時は2019年。その聖地が今や世界遺産である。
世は変わるもんである。調査するしかないのであった。

てな訳で真夏の東京を飛び立ち
太平洋上の台風に晒される直前の、気圧の低下も甚だしき四国を経由しながら、関西新空港に降り立ったのであった。

夏空満開の東京湾上空。

伊勢湾から奈良にかけて雨雲の切れ間。取材班を迎えるかのような美しい虹。上空から見下ろす稀有な体験。幸先の良さを感じる。


関空に回り込むために大きく迂回し経由する四国。
分厚い雲もさることながら、どう見ても大雨に晒されてるのであった。幸先はまるで良くなかったと思い返す。

さらに東に飛び、たどり着いた関西新空港は
馬鹿馬鹿しいほどのピーカンであった。
なんでやねん。

そして瀬戸内海(大阪湾)をなぞるようにして敷かれた鉄道、JR阪和線に揺られること30分

堺の中でも古墳まみれで、お上ですら手をつけられないため開拓の遅れまくる土地「百の舌の鳥と書いてモズと読む」駅へ。
実は原チャリを手にした高校生山ちゃんが通学のために使っていた駅であった(誰も乗り降りしないからである)

写真に映る、うら若きはずの乙女が威風堂々着こなすイモジャーが、堺という土地の女のありようを雄弁にして物語るものである。

さて。
この駅に隣接し、車窓からも見える小高い「丘」が、晴れて世界に冠することとなり、日本を、いや日本の3000年の歴史を背負ってたつ「伝・仁徳天皇陵」である。

手入れの行き届いてないため池にしか見えん。
しかもこの雑木林は、みなさんがイメージする「前方後円墳」ではないのであった。実は、前方後円墳を囲むただの「外周」である。
東京タワーを見にいって、周囲がブルーシートに囲われてるようなもんである。

世界に認めさせておいて世界からの観光客を落胆させる、とんでもない罠がそこにあるのであった。

「世界1広い墓」は、こうして、延々と「外周」を歩かせるのみ。観光客もおらん訳であった。

一箇所だけ、本丸への入口があり、「いわゆる前方後円墳」を感じることのできる「正門」がある。

宮内庁の立て札があり、立ち入り禁止。

観光客達が、ボランティアおじさんの解説をきく。

しかしおそらくだが、
おじさん達の解説も、ほとんどわかってることが少ないだろうと思われる。
宮内庁により発掘調査が禁じられているからである。
(数回の調査は行われているらしい)

一応歴史上は「仁徳天皇の墓」とされているが、仁徳天皇自体、伝説があやふやで、当時にして110歳まで生きただの、83歳だっただの、良くわからない人なのだ。
「良い王様」とも「好色家」とも言われ、
しかもその伝説の功績は父応神天皇とカブってたりするので、「ホンマは1人(または1つの政治グループ)の功績があって、それを二人で分けはったんやないか」という考察まで存在するのであった。
ましてやこの古墳が墓だったかどうか、かなり不確かなようである。

先日のNHKでのドキュメントでは「中国や朝鮮半島から、関門海峡を通り瀬戸内海を経てやってくる船への外交&軍事施設」という観点で描かれていた。

確かに、堺湊から、当時の奈良を中心とした都に向かうために経由せざるをえない場所にある。また、堺の水際を監視するにはちょうど良いくらいの見通しの高台であり、当時の高速道路である大和川の守備としても良い位置にある。

仁徳天皇の祖母は神功皇后であり、朝鮮半島にガチを仕掛け、さらに九州南部ともシュートを仕掛けた大戦の「その後」である。

この頃から大化の改新、平安にかけて、いつでも日本の政治の影にあるのは半島の各国ならびに中国大陸の国々との、都度都度で起こる合従連衡と裏切りのバランスであるようだ。
報復に備えたということもあるのかもしれない。

墓でなければなんだったのか。
墓であるなら、誰の墓なのか。
伝説が万が一本当だったとして、なぜ特に裕福でもなかった仁徳が、このでかすぎる墓に入ることになったのか。

明治以来暴かれていないこの墓の調査が、新しい歴史ファンタジーの入り口となる、まさにマグネットパワーを生み出す土地なのであった。

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