僕は余計な羞恥心を失った

ブログを書くということは筋トレに似ている。

そもそも、ブログというものは自分を丸裸にしてしまうモノだ。

何かに対して意見するということは自分の頭の中をさらけ出してしまうようなもの。

馬鹿もバレる。

「こんなことを書いたけど、どう思われるだろう?」という不安との戦いでもある。

それでも書かなきゃ進めない。

最初は「自分の書いたものを人に読んでもらうのはすごく恥ずかしい」なんて思う。

まあ正直、ブログを書いて1年ほど経った今でも思うことはあるんだけど。

それでも読んでもらわないとブログも自分自身も成長しない。

なので書いて、裸になり、その裸をさらし続ける。

去年の今頃ぷにぷにだったお腹は、今はちょっと引き締まっているだろうか。

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ブログとは、自分の中にある何かを並べてお店を作るようなモノだ。

今までの人生で体験してきた経験や思い出を引っ張り出してきて並べたり、

最近行ってみたお店の情報や、勉強したことなど、新しいものを仕入れてきて並べることもある。

どちらにせよ、世界の森羅万象を、自分というフィルターを通して吐き出す作業だ。

お店として出すからには、なんでもかんでもごった煮にするのか、それとも何かテーマを決めて並べるのかを自分で決めなければいけない。

そして例えごった煮だったとしても、続けていくうちに自分の中に「軸」みたいなものができてくる。

何が大切で何が大切でないかの「軸」。

ブログを続けていくということは、ある意味「軸」以外のものを捨てるような作業なのかもしれない。

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そうやって筋トレしたり裸になったり、ごった煮を作ってみたり削ぎ落としてみたり、なんだかんだしながら1年ほどブログを続けてきた。

千切ったりこねくり回したり形を変えてみたり、まるで粘土遊びのように。

1年間こねくり回した粘土はどんな形になっただろう?

きっとまだよくわからない抽象的な形をしているに違いない。

筋トレに例えるなら、たぶん自己流の変てこりんな動きをずっとしてきたんだと思う。パーソナルトレーナーなんかがいたら怒られそうな。

けど、きっとぷにぷにだったお腹はちょっとは絞れていて、人に見せても少しはマシなものになっていると、余計なものは少しは削ぎ落とされていると思いたい。

僕が1年間ブログを続けてきて失ったものは、たぶん余計な羞恥心だと思うから。

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tomoaki.1979

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tomoaki.1979

カラフルなぼくら。

強みも弱みも世代も違う3人が集まったら面白いことが起きるかも…? 偶然に集まったカラフルなぼくらが送る、エッセイマガジン。
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