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男の子の色。女の子の色。

「これ、男の子の色だねー」
青色を指差しながら、娘が言う。
「これは、女の子の色。ママは女の子だからピンクあげるね」
そう言ってピンク色のグミをあげようとする。

「色にはね、男の子の色も、女の子の色もないんだよ」

妻がグミを受け取りながら応える。

「ふーん」

娘はわかっているようなわかっていないような顔で生返事。
4歳の彼女にはまだ、なぜそう言われるのかがよくわかっていないのだろう。
例えば青色は、彼女の幼稚園のクラス、そら組の色(青い帽子をかぶる)。
赤色は、たいよう組の色(赤い帽子をかぶる)。
黄色はキリンの色だし、カレーは茶色だ(緑色のほうれん草カレーを以前出したらカレーじゃない!と怒られた(笑))。

見た目でわからない、色というラベル付

これらは、基本的には「見た目」で色がわかる。
だけど、男の子が青で、女の子がピンク、というのは見た目の色じゃない。男の子の顔がすべからく青く、女の子の顔がすべからくピンク色ならわかりやすいが、当然そうではない。

つまり、どこかで誰かがそう言っていたことがバイアスとなっているのだ。

まだ彼女の世界は家か幼稚園しかほぼないわけだから、幼稚園のお友達か、もしくは園内でなにかそういう色分けがあるのかもしれない。

***

僕が子どものころはまだ、ランドセルも赤と黒の2色だった。
男の子は黒で、女の子は赤。

ほとんどの親子は、恐らく無自覚にその赤黒の振り分けを当然のものとして受け入れ、疑問を抱くこともなかっただろう。
でも、そこに違和感を感じたり、好みが違うと思いながら渋々従っていた子だって少なからずいたはずだ。

***

「当然のもの」として決められた枠からはみ出すのは怖い。
「そんな枠なんて、関係ないよ。自分の好きなものを選んだらいいよ」
と、みんな口では言うが、実際はそうは見ないからだ。

実は僕はスーツが苦手だ。
と、言うか誰しもが当然としてスーツを着て集まる場に行くことが苦手だ。
だから企業との打ち合わせや、会議などもジーパンで行く。
だけど、それだけで前日から憂鬱になる。

「明日はみんなスーツなんだろうな。俺もスーツで行ったほうがいいのかな?」とバカみたいなことで悩む。

9割の人が「悩むくらいならスーツで行けば?」って思うことはわかっている。別にスーツを着ないことにポリシーだってない。
「スーツ着用でお願いします」とあらかじめ言われていれば迷うことはないのだ。僕だって冠婚葬祭はフォーマルな格好で行くし、ラフな格好では入れないレストランだったらちゃんとした格好で行く。

みんなが勝手に「スーツですよね」って思っているだけの場に右にならえするのが嫌なのだ。大した理由もないのに。

我ながら面倒な性格である。

かくして僕はみんながスーツの中、ひとりジーパンやチノパンで参加する。
チキンな僕は一応襟付きのシャツを着ていたりもする。
圧倒的にひとり浮いている中、たまにすごく派手なスーツを着ている人や、同じようにラフな格好をしている人を見かけることもある。
そうすると、心からホッとするし、勝手に同族意識すら持ってしまう。

***

男の子全員が黒いランドセルを背負う中、ひとり赤いランドセルを背負うのは勇気がいる。
これは、赤いランドセルを背負う男の子だけのことじゃない。
赤いランドセルを背負う男の子を見て「変なの」と思う、無意識の目の問題でもあるのだ。

娘には、青だろうとピンクだろうと何色だろうと好きな色を選べるようになってもらいたい。
でも、それ以上にピンク色を身に着けた男の子を「変なの」と思わないようになってもらいたいのだ。

好きなものを好きということに必要な勇気が、少しでもいらなくなるように。そんな勇気を無意識に人に強いる人にならないように。

【30日チャレンジDay21】


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