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子どもの教育を考えるなら「公教育をイチから考えよう」は必読だと思う。

公教育をイチから考えよう

という本を読みました。
教育哲学者という面白い肩書で、教育関連の著書も多く、ご活躍されている苫野一徳氏と、イエナプラン教育などオルタナティブ教育への造詣が深いリヒテルズ直子氏の共著。

とてもおもしろく、オルタナティブ教育だけに留まらない、教育全般についてのあり方を考えさせられました。

本書は、タイトルの通り、公教育のあり方をイチから問い直すものになっています。
現在の公教育(ここでは公立にとどまらず私立・大学を含む教育全体を示す)が抱える課題点、オランダ教育との比較。
さらに実践的な取り組みの事例などものっています。
教育に携わる人にとっては、自分たちが行っている教育や学習について改めて考え直すきっかけになるし、保護者にとっては自分の子どもにどういった教育を与えたいと思うのかを考えるきっかけになる一冊。


教育って選べるの?

「娘によい教育を受けさせたいと思っていろいろと探しているのですが、どこにも『これだ』と思えるところがないのです。都内では、高学歴の親や裕福な家庭の子どもはたいてい私立校に行き、公立校の質は全体として落ちている。かといって、高い授業料を払って有名私立校に行かせたとしても、結局は受験教育しかしていません」
※公教育をイチから考えよう 抜粋


冒頭に出てくる2歳の娘を持つ父親の課題感。
娘が3歳になったときに、ぼくたち夫婦が抱えた課題感とまったく同じです。
モンテッソーリ教育や森のようちえんなど、幼児教育では受験とは違った視点で子どもの個性や才能を育む教育が色々とあります。
その一方、その期間を過ぎて「学校」に入るとなったとたん、「受験対策」が教育の最重要課題として上がってくる。

そして後は成績の優劣による評価の世界。

もちろん、そこまで極端ではないかもしれない。素敵な先生ががんばっている学校もたくさんある。
だけど、それを「学校」単位じゃなく「先生」単位で選ぶのってあまりにもギャンブルだなと思ったのです。

ある学校の中で、名物先生となる素敵な先生がいたとして。
でもその人の教育を受けるには、その学校に入るだけじゃなくてその先生が担任にならなくちゃいけない。
もし外れたら、そこは「残念でした」で受け入れざるを得ない。

そうではなくて、もう少し学校単位で教育についてのビジョンや方針を示してくれるところがあればいいのにと思ってしまうのです。

著者リヒテルズさんの紹介しているオランダの教育事情で、目からウロコだったのが「学校とは、複数の選択肢の中から生徒が(保護者とともに)自分で選んで決めること」という点。
まさに、1年前に娘の教育環境について迷っていたぼくが求めていたものでした。

教育の中身は色々だと思います。
受験一直線が(個人的な意見や好みは別として)悪いわけじゃない。その中で自分の才能を発揮できる子どもだっていると思う。
だけど、子どもの個性は一人ひとりまったく違っていて、その子が必要としている教育は目の前にある教育とは違うのかもしれない。
そう思った時に、子どもと保護者が自分たちでどんな学校がいいかを話し合い、決めていける。

教育を自分たちで選べることの重要性を感じます。

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ただ、いまだってまったく選べないわけじゃない。
以前にも少し書いたのですが、俯瞰した視点と、現場に近い視点の両方を持っている必要があると思うのです。

いまも色んなパパママと話をして違和感を感じるのは、わりとご近所さん同士の学校への評判が、そのままその学校への評価になってしまっていること。

その保護者の評価が間違っているということではなく、それはその保護者にとっての近視眼的な評価にすぎない。
それも大切だけど、もう少し教育全体を見渡す俯瞰した視点も大切だと思うのです。

本書はそうした俯瞰した視点を手に入れるためのうってつけのガイドになってくれる。
この本を読んで、例えばイエナプラン教育やダルトン教育などに興味を持ったならそれを調べてみてもいい。

「あの学校はガラがいい、悪い」「〇〇くんがイジメにあった」のような口コミだけで学校を評価してしまうのは、判断を間違えてしまいそうだなと思うのです。


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今日も、見に来てくれてありがとうございます。
読み応えのある、でもサラリと読めるいい本でした。まだ未読の方はぜひぜひ。
ぜひ明日もまた、見に来てください。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました! スキ・フォロー・シェアなどしてもらえたらとっても嬉しいです。 ぜひまた見に来てください!!