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40歳だから、ちゃんともがく。

40歳、という年齢が近くなってみて、なんだかその年齢からイメージされる姿と現実の自分の姿が遠くに感じたりします。

40歳といえば、自分の進む道が見えていて、迷うことはあったとしても自分なりの”型”のようなものがすでにあるというか。

なんとなく、そういった妄想がありました。

だけど、実際にその年齢が近くなって自分には人並みの”型”がないんじゃないかと不安になっていたりする。
なんというか、ふわふわしているとでもいうか。

***

ああ、まだこんなに大変な思いをしたり、不安を感じたりするんだな。
なんて自分にがっかりするときもあります。

その一方で、この大変な思いや不安感が自分の糧になることもわかっているのです。新しいことへ一歩を踏み出している証拠なのだということも。

「今までの円の中だけにいる」ことができなくなる。
自分でもうすうす、
いままでのままじゃ通用しないと感づいている。
別のコンパスで描いた円に入っていって、
いままでとはぜんぜん違うタイプの
力を発揮しなきゃいけない。
その時、自分が万能じゃないし、
役に立たない存在だと突きつけられる。
https://aera.1101.com/itoi.html
糸井重里氏

よくも悪くも、いままでやってきたことに対する自信はあって。
そこに留まり続ける限り、まあなんとかやっていけそうだぞ、という気もする。
だけど、もしも100歳近くまで生きるとしたとき。
「あれ、俺まだ折り返し地点にもついていないぞ」
と思った。

40歳になったらもう、もがくことなんてないし、必要ないと思っていた。
ところが自分がその歳に近くなってくると、「いまこの時期にしっかりともがいておかないといけないよね」という気持ちになっているのだ。

30代で戦う実践を経てきた。
40代はそうした基礎力を持ちつつも、もう一度20代のように新しい世界の開拓をするのにいい時期かもしれない。
なぜなら、これまで養ってきた力やネットワーク、経験を土台にようやく自由に挑戦ができる力を持っているのが40代だと思うから。

そしてそれが、糸井氏の言う”「今までの円の中だけにいる」ことができなくなる”感覚なのかもしれません。

つぎのステージに行きたい。

でもそれは、いままでの延長上にあるステージじゃなくて、もっと全然違う世界のこと。

この先になにがあるのかはわからない。
40歳になって、50歳になったときに、ぼくはどんな人生を歩んでいるんだろうか。

50歳になったら、また新しいチャレンジができるかもしれない。
それを楽しみに、そうした自分であり続けるために、いまという時間を楽しみたい。

***

今日も、見に来てくれてありがとうございました。
家の近くに蛍が見えるところがあるよ、と教えてもらい、お隣さん家族と行ってきました。小さな蛍がチカチカと光る姿は、本当に綺麗だった。
明日もまた、がんばろうと、そんな些細なことでも元気をもらえるものです。
ぜひ、明日もまた見に来てください。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました! スキ・フォロー・シェアなどしてもらえたらとっても嬉しいです。 ぜひまた見に来てください!!