見出し画像

古川柳と水府川柳(前編)

(まえがき。急ぎの方は飛ばして下さい。)

(5月4日午前4時、執筆)
ずいぶん遅い時間になってしまったが、5月4日、5日と休みなので気にならない。5日は父の命日だ。今日私は家に着いて、母に、「明後日はお父さんの命日やね。生きてたら良かったね。死ななかったら良かったね」と、思いつくままの事を言った。母は「そうやねエ本当や。死ななかったら良かったね本当や」と言って笑っていた。悲しい時人は泣かない場合もある。

性犯罪のニュースがMicrosoft Startのトップ画面にカマビスシイ。一つ一つの事件は「良くない事」だと思うが、犯罪者ヒドイ、犯罪ダメゼッタイ、なんてアホみたいな事を思うほど私はダメになっていないらしい。自分が生活する2024年の大阪の街の雰囲気を、素晴らしいなあ!と感じているわけではないし、身体の感覚を少し抽出してみて言葉にしてみたら、「なにか良くない空気も少なくない」と思う。が、感覚の信じ方は、慎重でなくてはならないと思う。何が言いたいか。世間はMicrosoft Startのトップ画面ほどヒドくはないという事。が、良くない空気も感じているという事。そして、この二つをごっちゃにしてはいけないという事。
以上、まえがき。

川柳の事をちょっと書きたいと思ったのだった。
川柳の定義、起源、歴史、それから「川柳」という名称の由来について、ここには書かない。書けない。こういう、入門書の最初に(或いはウィキペディアの「概要」のところに)書かれるような事は、キッチリ書くのがとても難しい。非常な神経の集中を要する。知りたい人はWikipediaの「川柳」の項を読んでください。


古川柳(コセンリュウ)というものがある。
1750年代の川柳や!と物凄い強引なレッテルを貼ってみよう。が、その後にも古川柳は作られ続けているので、このレッテルには間違いがある。でも、そのころの江戸に、柄井川柳(カライ・センリュウ)さんが生きていて、良い「川柳」をセレクトした。彼はセレクトの才能がずば抜けていた。良い川柳を本(雑誌?)にまとめて、日本(都会のみ?)でヒットしていた。という風に、私は今のところ理解していて、何が言いたいかというと、「古川柳は1750sの川柳」というレッテルはちょっとは頭の整理に役立つんではないかということが言いたい。

それから非常に長い時間が過ぎて、1892年に岸本水府(キシモト・スイフ)が三重県に生まれ、大阪に育った。彼は川柳作家になり、「番傘」という川柳雑誌の創刊に参加し、のちトップになった。
私は岸本水府の川柳が好きである。好きというか、驚いた。何に驚いたか。
古川柳とは違った良さがある上に、最強クラスの俳句たちとも違った良さがある。また、戦後・平成・令和のサラリーマン川柳、シルバー川柳とも別の姿をしている。こういう事を感じて、驚いた。

「水府と同時代の川柳作家に名人はいないのか?」「水府の弟子や、その後の世代に凄い人はいないのか?」という話はここでは扱わない。今日は、古川柳と水府川柳を並べて、その二つを同時鑑賞してみたいのである。

まず、古川柳を14句、『はじめての江戸川柳』(小栗清吾 著。平凡社新書)から引用してみましょう。

①去るといふ口もほれたといつた口
(溜息の出るようなさみしい句である)

国の母生れた文を抱あるき
(混み入って、かつ動きのある内容を、物凄く濃縮している。故郷の母が、「都会に行った娘に子が生まれた」という手紙を抱いて、歩いている。それが「クニノハハ、ウマレタフミヲ、ダキアルキ」の中にギチッと詰めこまれている)

寝て居ても団扇のうごく親心
(良い)

本ぶりに成て出て行雨やどり
(本降りになって出て行く雨宿り。これは私が古川柳の中で最初に笑った句だ。ブライスというイギリスの人が書いた川柳の入門書の中で、絵付きで紹介されていた。「あるある」ではあるが、最も上質な「あるある」を、掴みだしていると思う)

首くくり冨の札など持つて居る
(残酷な観察をするなあ江戸人は、と思う。でも面白い。首を吊って自殺した人が、富札つまり宝くじの、外れ券を持ってたんだ、と。或いは、首くくりの死体は結構な割合で外れ券を持ってるもんだよなあ、と。)

親の気になれとは無理なしかりやう
(しかりやう、が可愛い)

さぼてんを買つて女房にしかられる
(なんでさぼてんを買うんだ。読む人を脱力させ明日を生きる気力と自己への理解を与える凄い句)

元日の町はまだらに夜が明ける
(俳句と川柳の境目は難しい。これなど、凄い俳句である。川柳だとすれば、凄い川柳である)

あしたから手習だあとたたいてる
(手習いだあ!と言っているのは小学一年生くらいの子供であろうか。明日から学校やあ!と言って、その辺にあるものを何か叩いて音を出しているのである。可愛らしい。その可愛らしさを言葉で表現できるのは凄い)

ねぎつたらぶちのめしそう初松魚
(値切ったら、この魚屋は私をぶちのめしそうだぞ。なんせ初ガツオだからな、と。ぶちのめしそう、が良い)

大滝でさんげさんげをぶちのめし
(さんげさんげ、というのはつまり何々をして悪かった、と亭主が言っているのだ。滝修行か何かを、本人の希望か、或いは奥さんの指示で亭主がやっていて、それを「ぶちのめし」と言っている。そんなに好きじゃないが、面白い句だ)

つねられてかかあゆぶろをなりこわし
(女湯と男湯の仕切り近くで入浴していた割と年増の奥さんが、男湯の馬鹿男の伸ばした手で体をそっとつねられた。怒り狂った奥さんは怒鳴り声で湯舟ごと破壊した、という凄い話だ)

念仏に力を入れて湯に沈み
(笑ってまう)

藪医者の入った家に殺気立ち
(これも面白い。嫌味がなく、しかし面白さが強い)

ここまで前編。後編では岸本水府の句を読みましょう。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?