見出し画像

空が綺麗だから。そんな単純な理由でカメラを向ける。

気がつくと空の写真を撮っている。

カラーでも、モノクロでも、どんなカメラでも。

空の写真を撮る理由は「綺麗だから」だけど、その一言では足りないのかもしれないと不安になる。たまに。

言葉の解像度を上げろ、という呪い

「言葉の解像度を上げろ」

ブロガーやライターならば、一度は耳にしたことがある謳い文句。

抽象的な言葉を一つ一つ、具体的にしていくのがいい文章で、人に伝わる表現なのだと。

「空が綺麗だから」ではなく、その空が朝日だったのか、夕日だったのか。雲は?風は?星は?シャッターに置いた指を動かしたものはなに?具体的に具体的に具体的に。

そこまで考えるべきだろうなと思う反面、たまに疲れてしまう。

そこまで踏み込んで考え、意図を持たないと、いけない?

自分のための写真に、”言葉の解像度”はいらない

世の中は信じられないくらい写真が上手い人で溢れていて、そんな人たちが毎秒毎分、競うように作品や哲学をSNSに投稿し続けている。

そんな人たちの写真や言葉は、どれも解像度が高すぎてたまにクラクラする。

すべてに意図がある、すべてを説明できる。さぁお前も、人生の解像度を上げろ!

そう言われている気がして、勝手にジリジリと焦る。

そういう世界があるのは知ってる。そんな世界で生きている。

でも、自分のための写真に言葉の解像度はいらない。

空が綺麗だから。そんな単純な理由でカメラを向ける。気楽でいいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?