イマニミテイロって思っていればいいんじゃないかって話

日向坂で会いましょう

いい番組だと思うんですよ。
BPOさんみたいにいい番組ってなんだろうって考えるとそれだけでエッセイが書ききれちゃうのでその話はまた今度するとして。
いい番組なんですよ(2回目)

単純にいいって言っても根拠がなさすぎるので一つだけ挙げるなら、オードリーと日向坂が出ているから。
好きな人だけの番組ならなんだって面白く感じるよねって言う意見は大いに認める。多分その面も大きい。
しかしまあ、もう少し感情論に持ち込むのは後にして論理的な説明を試みてみようと思う。

なぜ、オードリーと日向坂が出演している番組は面白いのか。
それは、オードリーと日向坂の親和性が非常に高く、相乗効果を大きく生み出しているからであると僕は思っている。

相乗効果の説明をするためにまず要素の説明を試みてみる。

オードリーは平場と呼ばれるようなトークを主軸に置くバライティー番組にめっぽう強い。(こんなことを言うと若林さんには顔を顰められるかもしれないがここは個人の感想として。付け足しておくがオードリーの漫才やオドハラのようなど真ん中お笑い番組は大好きだ。)僕たちの世界と地続きの場所に確かに存在し、自分の人(にん)をさらけ出し時にゲストの人(にん)もさらけ出させている。
僕はオードリーというか特に若林さんは人間を色眼鏡なしで見ることが得意なのだと思う。そして言語化してくれる。視聴者がなんとなく感じていた気持ちを言語化してエンタメに昇華させてくれている。共感は笑いになる。この共感を引き出すことがずば抜けてうまいのだ。
また、共感とは対極にある新発見も笑いになる。
人は自分にない概念、違う考えに対して興味を惹かれる。(僕はこれを防衛本能、恐怖心から生まれていると考える。)そしてそれを自分のものにした時、つまり自分の価値観でわからないがわかるに変わった時喜びを感じる。日常で生活していればノーヒントで理解しなければいけなく難易度は相対的に高いし、そもそもそんな暇がない。だから時間と共に流してしまう。若林さんはそれを理解し、僕たちに伝えてくれている。尽きない好奇心で人の中身を掘り下げ、膨大な語彙で言語化、共有してくれる。
オードリー若林は一体何者か?僕なら「彼は日本一のインタビュアーだ」と答えよう。(これは完全に怒られる)
じゃあ、春日さんは何者か。春日さんは春日であると答えるべきだろう。カメラの前の春日さんはいつでも春日であり、自己完結している。そこには絶対的な概念が存在している。だからそこに誰をぶつけても春日の意見を教えてくれている。例えるなら定規だ。時と場合によって尺度が変わって仕舞えばそれは比較の道具にならない。我々は春日という物差しを使ってヒトやモノを測り、自分との違いや共通項を感じているのではないだろうか。

一方の日向坂はどうだろう。
彼女たちはまず持ってアイドルだ。歌って踊ることを主軸としながら芸能界の全てを経験することになる不思議な職業だ。さらにその評価にアイドルだからという免罪符はない、、と僕は思っている。全ての仕事が平等に重要で一回一回真剣勝負をしている。この職業の不思議さ過酷さについても今後述べたい。
これに加えて日向坂は特殊な経歴を持つ。彼女たちはもともと存在するアイドルグループの2軍敵立ち位置で結成されたという存在自体が劣っているとされた過去がある。これについてはネット記事にたくさん転がっているので詳しくはそちらを読んでもらいたいが今読んでも胸が締め付けられる。そんな経歴も後押ししているのか彼女たちは貪欲である。少しでも印象に残るように、新しい人に好きになってもらえるように収録に臨む。「日向坂で会いましょう」の全身番組、「ひらがな推し」では、春日さんにトークを振ってもらえなかったと収録中に号泣するメンバーもいた。このような貪欲な姿勢が彼女たちの魅力になっていると僕は思う。誤解を恐れずに言おう。僕は彼女たちの泥臭さ、雑草根性が好きだ。

お待たせした、この前提の元、オードリーと日向坂の親和性について述べる。

冠番組「日向坂で会いましょう」は彼女たちのホームグラウンドであり、失敗の許される場となっている。自分たちのために用意された場所は視聴者においてファンの占める割合が非常に高い。自分たちのことを応援してくれる人々に見守られ、チャレンジングな収録ができる。このような場でバライティに貪欲なメンバーが活躍している番組なのである。そこにオードリーが飛び込むとどんな化学反応があるのか。若林さんは先ほど述べた好奇心でメンバーの武器を見つけ出す。そして平場番組で培った力で武器が活躍するレールを見せてあげる。一方、春日さんはここでもブレずに春日である。どんな時も春日であるというのはあくまでお笑いのプロではない彼女たちが笑いを作り上げる共同作業の相手としてイレギュラーが少ない点で非常に優れていると言える。こんな関係が前提にあり、収録が進む中で番組は進化する。メンバーがバラエティーの”お決まり”から逸脱し始めるのだ。これが起きたら神回の確定演出だ。普通なら感情と違う言葉に番組としての正解があっても正直な気持ちや人(にん)をぶつけてくる。そこにオードリ(特に春日さん)が翻弄され、全力でやり返す。このようにオードリーと日向坂が同じ土俵でテレビの正解から解放されて自由に飛び立つ、これこそこの番組最大の価値なのではないだろうか。この関係を番組の企画者、だったかな、は「女子校の教室に男子高校生の2人が転校してきて一緒に遊んでる」ことを目指したと語っていた。当然これは一朝一夕で出来上がるものではない。長年本気でぶつかり合わないと信頼は生まれないし、信頼がなければ萎縮して挑戦はできなくなってしまう。

ところが最近、4期生の活躍が際立って目立っている。1から3期生が今の4期生と同じ活動年数の2年目とかの時、同じだけの活躍をしていただろうか。バラエティレベルが高いことはもちろん素晴らしいが、周りは4期生に成長を求めすぎてはいないだろうか。先輩を見ればみんな高いバラエティレベルだし、「ひなあい」はアイドルコンテンツなのにお笑いとしての評価軸で見られることも増えた。こんな環境で成長を急ぐ気持ちもわかるがもう少し気長に成長を待ってもいいように僕は思っている。先輩も紆余曲折を経てたくさんの失敗から今のスキルを手に入れたわけだし、たとえ成長途中だとしても「おひさま」は見守るだろうしそれがあるべき「おひさま」の姿ではないだろうか。
失敗して学んだことは、教科書的に学んだことよりも確実に濃い。
だから4期生には焦らず、じっくりと成長していってほしい。

周りを見渡せばたくさんの教科書がある中であえて教科書を見ずに自己流でぶつかっていき破れてを繰り返す。そして成長する。

イマニミテイロって思ってればいいんじゃないかな。

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