人の死。

コロナ感染によって、亡くなられた人の数は7000人近い。

毎日毎日人が死んでいる。

もちろんコロナ以外でも人は死んでいる。

コロナに関しては、感染者数、重傷者数、死者数と数が問われる。

一つ一つの数に、人生という質が乗っている。

その質に想いを馳せれば、感染を抑止する為の行動に自分の気持ちを持っていきやすい。

多くの高齢者の方が亡くなられている。

高齢者だから亡くなっても仕方ない。

そういう風潮があるように思うが、高齢者だって家族がいて、家族からしたら年齢が高いからといって死んでいいかといえばそうではない。

人は意識と無意識で成り立つ。意識とは情報で無意識とは、それ以外の何かだ。

情報だけ見ることで、情報以外の感情、人情といった部分がないがしろにされがちだ。

数だけ見て議論するのは、人としてどうなのか。

隣にいる人を数としては扱えない。そこにあるのは、感情のある人間だ。

数字で危機感を感じる以上に、隣にいる人が危機的状況にいたら、どう自分が振舞うかをイメージしなければならない。

情報化社会で人間らしくいられる為には、情報以外の部分である、感覚的な部分を意識していかなければならない。


感覚なのに意識する。困難に挑戦だ。

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