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「羅生門」

世界のクロサワの「羅生門」(50年、黒澤明監督)を鑑賞。言うまでもなく原作は芥川の龍ちゃん。日本よりも世界で評価され、たくさんのフォロワーも生んだ映画らしいが、俺には不評だったな。「七人の侍」の方がじぇんじぇん良かった。

荒れ果てた羅生門で雨宿りをしてた百姓を含む3人の話で始まる……旅をしていた夫婦、夫は殺されて、妻は手篭めにされる。で、妻が持ってた高価な短刀がなくなる。その事件は揺るぎない事実としてあるわけだが、役人のとり調べで、関わったとされる人間達がそれぞれ違う証言をする。いったい真実は何処に?

最初の発見者、クロサワ映画にはお馴染みの志村喬演じる百姓、次に三船敏郎演じる盗賊の男、そして、手篭めにされたとされる妻、挙げ句の果てには、巫女が呼ばれ、殺された夫が死霊となって証言する。
実は、百姓は事件の一部始終を隠れて見てた訳だが、巻き込まれるのが嫌で黙ってたと言う。
事実は、盗賊の男は妻を乱暴した後、俺の妻になれと懇願したが、彼女は断り、夫の縄を解いた。ところが夫は辱めを受けた彼女に対し、武士の妻として自害してくれと迫った。妻は笑いだして男たちの自分勝手な言い分を罵り、夫と盗賊の男を殺し合わせる。2人は斬り合い、盗賊の男が勝つが、その間に妻は逃げていたということだ。

ここでは、事件の事実よりも、全員の証言が自分を正当化する見栄のためにされたもので(死んで霊となっても!)、この期に及んでの人間の業と欲の深さを表現しているのだ。

でも、最後、見栄のためにウソの証言をしたことがわかり、現世を儚んでいたが、突然、赤ちゃんの泣き声が響き、百姓が「自分の子として育てる」と、赤ちゃんを抱き抱えることで希望を持つ。

うーん。
「一体、正しい人間なんているのか。みんな、そう思っているだけじゃねぇのか。人間ってやつは、自分に都合のいい悪いことは忘れてやがる。都合のいい嘘を本当だと思ってやがる。そのほうが楽だからな」。
多分、主旨は、このセリフに尽きると思うけど、決して、結局、だから人間ってヤツは…とそれを批判・否定するのではなく、人間の業として、それが人間なのだ!と肯定しているのだと思う。人の本性なんてエゲツないものやねえ。エゲツないからこそエゲツなくない行為が神様仏様のように輝くのさ。

それを表現するクロサワ映画の手法が俺と、というか今の時代と合わないような気がするのだ。

しかし、三船敏郎の笑い方の大げさなこと。クロサワさんの演出かしらん。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。