「反体制派」を「反天皇」に誘導しようとする権力者の罠

 この国の構造について、改めて触れておかなければなりません。
 さて、最初に問題です。貴方は独裁者です。独裁者である貴方には支持者もいますが、反感を持っている方もいます。
 もしも反感を持つ人が増えすぎると、いくら権力を振りかざしても物理的に勝てなくなる恐れがあります。しかし、それは避けたい。さぁ、どうしますか?
 模範解答は「反感を持たれないように、国を豊かにする」でしょう。そこそこの生活が維持できれば国民も反発しません。
 しかし、もしも国が貧しければ、どうしますか?お腹をすかせた国民が「責任者は誰だ!」と訴えた場合、どうしますか?
 答えは簡単です。
「今の体制に反感を持つことは、悪いこと。」
 そう、思わせればよいのです。そうすると、みんな「悪い奴」の味方はしたくありませんから、反体制派もあまり強くなりません。
 近代国家の権力者が常套手段とした三段論法があります。それは
「○○は共産主義者である。」
「共産主義者は悪い奴らである。」
「だから、○○は悪い奴である。」
 この「○○」には「労働組合」「環境団体」等が入ります。
 さて、そこで皆さん、よく考えて見てください。戦前から大学教授には共産主義者が沢山いました。東大教授でも共産主義者がいたのです。
 しかし、戦前の大学の人事権は政府にあります。どうして、アカが教鞭をとることができたのでしょうか?
 というか、戦後も政府に逆らって失脚した学者はたくさんいるのに、共産主義者の学者は少なくありませんでした。何故?
 答えは、言うまでもありません。権力者が「わざと共産主義者の学者を増やした」のです。
 さて、ここに学生が二人います。
 一人は、理想主義者。もう一人は、現実主義者。
 そこへ、大学教授がやってきて授業をします。
「今の体制は間違っておる!共産主義こそが理想なのだ!」
 理想主義者君が考えます。
「なるほど、先生の言う通り!今の世の中は可笑しいから、共産主義にしないと!」
 次に現実主義君。
「何を言っている、共産主義なんか理想論だ。今の体制で生きていかないと。」
 こうして、「共産主義者」と「体制派」の二種類の学生が誕生します。後は、その中間派。
 周囲を見ると「体制に不満を持っている学生」の多くは「共産主義者」、そういう状況が出現します。
 さて、理想主義者君、共産主義者について勉強します。結果、
「天皇制廃止だ!天皇制は間違っている!」
と、見事に「反天皇」論者になってしまいます。
 こうなるとしめたもの。もう、理想主義者君が何を言っても無駄です。
理想主義者君「原発を無くせ!」
権力者「そうそう、彼は反天皇論者でねぇ~。」
理想主義者君「核兵器無くせ!」
権力者「そうそう、彼は反天皇論者でねぇ~。」
理想主義者君「死刑を廃止にしろ!」
権力者「そうそう、彼は反天皇論者でねぇ~。」
 こうして、理想主義者君が正論を言えば言うほど、その主張は「反天皇論者の主張」扱いされるようになります。
 無論、反天皇論者以外にも原発反対派や死刑反対派はいます。しかし、権力者は彼らをマスコミに載せないように工作します。
 マスコミは一応、権力者への批判は載せます。が、
「反権力=反天皇」
と、国民が誤解しやすいように、注意深く紙面を構成するのです。
「安倍首相は明治維新150周年記念式典に天皇陛下を招聘しなかった。けしからん。」
「安倍首相は美智子皇后陛下(当時)が『痛みを覚えた』と明言した『退位』の用語を法制化し、陛下に譲国の儀も行わせなかった。けしからん。」
「安倍首相は『皇太后』ではなく『上皇后』なる珍奇な名称を作った。けしからん。」
 こんな主張をする有識者の意見、決してマスコミは大きくは取り上げません。
 代わりに「天皇制反対!!」と叫んでいる活動家は大きく取り上げます。そして、そういう活動家は大抵、安倍政権にも否定的。
 こうして、国民の脳内では「反体制派=反天皇」という図式が成立してしまいます。
 それこそが、権力者の罠。この構図に気付く国民は、あまりにも少ない。

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