真言密教と日蓮教学は「天皇国・日本」に帰一す

 真言宗と日蓮宗というと、恰も相容れない宗派であるかのように思う方も多いのですけれども、確かに現状では真言宗と日蓮宗の信仰とを両立させることは困難である訳なのですが、美貫を実践しつつ大乗仏教の真髄たる「天皇国・日本」の真理を理解すると、真言密教も日蓮教学もどちらも同じことを説かれたものである、ということが判るのです。
 ところで、大乗仏教というのは肉体のお釈迦様が説かれたものか、というとそうではないのです。
 お釈迦様が悟りを開かれた時、最初『華厳経』というお経を説かれたのですが、この『華厳経』の内容はあまりにも難しくて、お釈迦様はその『華厳経』を龍宮界へと封印してしまったのです。それで、お釈迦様は『阿含経』を始めとする上座部仏教のお経を主に説かれて、漸く晩年になって『涅槃経』や『法華経』と言った大乗仏教の教えを説かれるようになった、と言われています。
 しかも、この『涅槃経』や『法華経』というのもお釈迦様が直接文字にしたのではなく、後世の高僧が文書に纏めたものである、という風に今の歴史学界では言われています。
 『華厳経』もずっと龍宮界に眠っていたのですが、竜樹菩薩という南インドの超優秀な霊能者がいて、彼はこれまでその霊能力を使って透明人間になり王様の後宮の女性を全員襲って妊娠させるなど、折角の能力を悪用していたのですが、やがて反省して仏教の修行を始められた、すると超優秀な龍樹菩薩は地上の経典はもう全て読破して誰よりも理解してしまったので、竜宮城まで行って『華厳経』というものがあることを知り、その『華厳経』を読破して大乗仏教を始められた、という風に言われています。
 そうすると、今伝わる『華厳経』というのは物質的には龍樹菩薩が記したことになる、『法華経』も今の時代に伝わるものは後世の編纂物である、こうすると大乗仏教の経典というのはお釈迦様の教えをそのまま伝えているとは言えないのではないか、というので「大乗非仏論」というような主張も世の中にはあるのです。
 しかしながら、これは人間とは肉体のことである、という思い込みから発生する謬論なのです。『法華経』によると釈迦牟尼如来には十方世界の各地に分身がいて、この分子の釈迦牟尼如来が真理の説法を行っているのである、とあります。しかもその分身の数は地球に収まりきらぬほど多い、というのです。
 お釈迦様の肉体はインドにありながら、同時に全宇宙で真理の説法を行っているのが釈迦牟尼如来である、という訳で、肉体のお釈迦様が説いた教えだけが仏教であり、それ以外のものは仏教ではない、というが如きは真の仏教を理解していない、生半可な知識での議論である、と言わざるを得ないのです。
 こう言うことを理解してこそ、空海聖人と日蓮聖人は実は同じ教えを説かれたのである、ということが理解できるのであります。

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