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100分de名著「カールマルク 資本論」

こんにちは、こんばんは、今日も元気にがんばりましょう。

今回はNHKで放送されたカール・マルクス「資本論」についての著書がテキストになった『100分de名著カールマルクス「資本論」』について記事を書いていきたいと思います。

資本主義国家の先進国が、コロナ禍の影響もありさらに格差を加速させていく中、民主主義のあり方と資本主義のあり方に懐疑的な意見も散見し増加しているようにも感じられる昨今。

150年の時を超えて、資本主義社会に対し否定を醸し格差拡大、気候変動などの危機をもたらすことを予見していたマルクス主義の理論が脚光を浴び始めている。

マルクスの資本論を読み解くと、資本主義の暴走により私たちの生活も地球環境もめちゃくちゃになっている。
なかでも深刻なのは、格差拡大です。
世界の富豪のトップ26人の総資産額は、地球上の人口の半分、実に約39億人の資産に匹敵します。
私たち庶民は、長時間労働、不安定雇用、低賃金などを余儀なくされ、貧しくなっていくばかりです。
必死に働いても貯金はなく、子供は作れない。
年収200万円以下の人が、1200万人いる日本では若い世代が将来に希望を持つことなどできないのも当然でしょう。

このまま資本主義に人類の未来を委ねておいて、本当に大丈夫なのでしょうか?
様々な問題が、想像を超えるスピードで拡大し、深刻化しているのに、なぜ資本主義にしがみついて”経済を回し”成長し続けなければならないのか?

そんな疑問が湧いてくるからこそ「資本論」が再び必要なのです。

マルクスというと、ソ連や中国のような共産党による一党独裁社会を連想する人も多いと思いますが、マルクス自身は「共産主義」とか「社会主義」という言葉をほとんど使っていません。
代わりにマルクスが用いたのが「アソシエーション」という用語です。
アソシエーションによって形成・維持される社会とは、どのような社会なのでしょうか?
マルクスが構想した「コミュニズム」とは、旧ソ連や中国のような中央集権的な共産主義とどう違うのでしょうか?
「資本主義社会の終焉」が謳われる今こそ、「資本論」が読むべき名著になるといえます。

1資本論は富から始まる

労働とは端的にいうと生産活動です。
資本主義社会における労働は、「商品」を生み出す。けれども、裏を返せば、資本主義以外の社会における労働が生み出す富は、必ずしも商品として現れるわけではない、ということです。

商品の正体とは
資本主義社会では、社会の「富」が次々と「商品」に姿を変えていくとマルクスはいいます。
昔は、飲料水は「商品」ではなく、水道からタダで飲める飲み物でした。
ペットボトルに入った水が「商品」として定着したのは、ここ20年くらいのことです。
このように、ありとあらゆるものが「商品化」としようとするのが、資本主義社会の大きな特徴の一つです。

目先の金儲けを止められない

資本主義社会と、資本主義以外の社会の違いは何か?
資本主義社会では、ものを作る目的、すなわち労働の目的が他の社会とは大きく異なると説いています。

資本主義社会では「資本を増やす」こと自体が目的になっています。
資本主義社会で生産される「商品」は、人々の生活に本当に必要なもの、重要な物かどうかよりも、それがいくらで、どれくらい売れそうか
言い換えると、どれくらい資本を増やすことに貢献してくれるかが重視されます。

マルクスは商品には2つの顔があると指摘しています。
一つは「使用価値」
使用価値とは、人間にとって役に立つこと(有用性)、人間の様々な欲求を満たす力です。
「使用価値」こそ、資本主義以前の社会での生産の目的でした。
しかし、資本主義社会において重要なのは、商品のもう一つの顔「価値」です。
ものが商品となって交換される際には、お互いに等しい「価値」を持ってることになります。
そしてこの価値は、その商品を生産するのにどれくらいの労働時間が必要であったかによって決まる、というのがマルクスの「労働価値説」です。

人間が労働することで生み出した「商品」が、「価値」という不思議な力で人間を振り回す。

2.なぜ過労死はなくならないのか??

資本主義のもとでは、際限のない価値の増大を目指して、市場での競争が日々繰り広げられます。
その犠牲となるのは、労働者と自然環境です。
そもそも、「資本」とは何なのでしょうか?

マルクスは資本を ” 運動 ” と定義しています。
絶えず価値を増やしながら自己増殖していく運動です。
金儲けを延々と続けるのが「資本主義」なのです。

労働者と資本家の間で等価で売買されているのは、「労働力」。
労働者が自分の労働力を「日給一万円で売る」と決めた時点、あるいは資本家がそれを買うと決めた時点では、まだ「労働」は行われていません。

資本家は「労働が生み出す価値」を労働者から買っているのではなく、「労働力という商品の価値」に賃金を支払っているのです。

労働者には、仕事を辞めて、劣悪な労働環境から抜け出す「自由」もあります。

資本主義以前の奴隷は、本人のあずかり知らぬところで売買され、人権も人格も否定されて、家畜のように働かされます。
しかし、彼らは最低限の生存保証はされていました。

奴隷所有者は奴隷をモノとして大切に扱ったのです。

資本主義社会では、だれも生存保証をしてくれません。

資本主義は、共同体という「富」を解体し、人々を旧来の封建的な主従関係や共同体のしがらみから解放しました。

いまは何とか生活できていても、身体を壊したり、失業したりすれば生活が立ち行かなくなって、ホームレスになってしまうかもしれない。
そんなリスクに常に晒されている労働者はみな「潜在的貧民」だとマルクスはいいます。

労働者を突き動かしているのは、「仕事を失ったら生活できなくなる」という恐怖だけではありません。
「自分で選んで、自発的に働いているのだ」という自負から責任感を持ちます。

責任の感情をもって仕事に取り組む労働者は、無理やり働かされている奴隷よりも働くし、いい仕事をします。
そして、ミスをしたら自分を責める。
理不尽なことも受け入れて、自分を追い詰めてしまうのです。
これは資本家にとって、願ってもないことでしょう。
高度成長期の「モーレツ社員」やバブル期に流行った栄養ドリンクのキャッチフレーズ「24時間戦えますか?」などは、その好例です。

資本主義社会では、労働者の自発的な責任感や向上心、主体性といったものが、資本の論理に「包摂」されていくことをマルクスは指摘し、警告していたのです。

3.イノベーションが「クソどうでもいい仕事」を生む!?

ケインズの楽観と悲観的な現実

イギリスの経済学者J・M・ケインズは、生産力が上がれば、やがて労働時間は短くなると予言しました。

確かに生産力は飛躍的に伸びました。

「紀元前2000年から18世紀初頭まで、地球上の文明都市でクラス平均的な人間の生活基準に、これといって大きな変化はなかった」とケインズは述べていますが、実際、世界の総GDPの変化を示すグラフを見ると、1800年ぐらいまではほぼ平坦です。

ところが、資本主義の発展に伴い、世界のGDPは急カーブを描いて上昇していきます。
特に、第2次世界大戦以降は、グラフが垂直に急伸。
さらに、この30年でインターネットや携帯電話が普及し、ロボット開発やAI研究も進んで、私たちの暮らしは大きく変わった。

生産力の高さだけ見れば、ケインズが予言したように、先進国ではさほど働かなくても暮らせそうなものですが、現実はそうはなりませんでした。
それどころか「ロボットの脅威」に怯えながら、私たちはますます労働に駆り立てられています。

誰のためのイノベーションか?

生産力を上げる技術革新、つまりイノベーションに資本家が求めたものは、「価値」の増殖ばかりではありません。
彼らのもう一つの狙い —— 
それは労働に対する「支配」の強化。
これこそが、資本主義がもたらす生産力の増大について、もっともマルクスが問題視していた点です。

生産力が上がれば上がるほど、労働者は楽になるどころか、資本に「包摂」されて自立性を失い資本の奴隷になるとマルクスは指摘しています。

生産力が高まると、その過程で構想と実行が、あるいは精神的労働と肉体的労働が分断され、「構想」は特定の資本家や、資本家に雇われた現場監督が独占し、労働者は「実行」のみを担うようになるというわけです。

資本の指揮・命令 ——
つまり、経営者の意向に沿ってしか労働を実現できない状態を、マルクスは「資本の専制」と呼んでいます。
資本の専制が完成されると、飛躍的に向上した生産力も、すべて資本家のものとして現れるとマルクスはいいます。
実際には、労働者が ” 協業 ”して行った労働が生産力を上げているわけですが、それは「労働者の生産力」といしては現れずに、「資本の生産力」として現れてしまう。
生産力が増大するほど、資本による支配は強まっていくとマルクスは批判しているのです。

4.<コモン>の再生 —— 晩期マルクスのエコロジーとコミュニズム


資本の掠奪力は自然にも及ぶ

資本は人間だけでなく、自然からも豊かさを奪っていく。
その結果、人間と自然の物質代謝に取り返しのつかない亀裂を生み出す。

「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」が資本家のスローガンです。
「商品」の消費地である都市の生活は豊かになりますが、その裏で、地方の農村は土壌疲弊というツケを払わされ、貧しくなっていきます。

「商品」の恩恵を受けている都市でも、労働者は資本に強いられる長時間労働で肉体的健康を破壊されていく。人間が動かしているシステムなのに、結局のところ、資本主義は人間を幸せにしないと、マルクスはいっているのです。

資本主義の終わりなき運動は、世界中を商品化していきます。

資本主義は価値の増殖を「無限」に求めます。
しかし、地球は「有限」です。

ソ連崩壊後、資本主義のグローバル化がますます加速したことで、環境危機もグローバル化し、この危機と無関係でいられる場所はもはや残っていないというところまできています。

人間と自然の物質代謝に「修復不可能な亀裂」が生じる前に、革命的変化を起こして、別の社会システムに移行しなけらば行けません。

『資本論』に編まれなかった晩年の思想

マルクスは、『資本論』第三巻の草稿に、こう綴っています。
「資本主義に代わる新たな社会において大切なのは、『アソシエート』した労働者が、人間と自然の物質代謝を合理的に、持続可能な形で制御することだ」と。
アソシエートとは、共通の目的のために自発的に結びつき、協同するという意味です。

マルクスといえば社会主義、そして、社会主義といえばソ連や中国のような共産党による一党独裁国家を連想する方が多いと思います。
でも実は、マルクス自身は「社会主義」や「共産主義」といった表現は、ほとんど使っていません。

来るべき社会の在り方を語る時に、彼が繰り返し使っていたのは、「アソシエーション」(自発的な結社)という言葉なのです。

社会の「富」をすべて国有化し、生産手段を国営化していったソ連のようなコミュニズムを、マルクスが目指していたわけではありません。

冷戦時代にあった「資本主義か、社会主義か」という議論は「私有か、国有か」の二社択一的なロジックで語られてきましたが、マルクスが求めていたのは、そのどちらでもないのです。

彼が思い描いていた将来社会は、コモンの再生に他なりません。いわば、コモン(common)に基づいた社会、つまり、コミュニズム(commenunism)です。
わかりやすくいえば、社会の「富」が「商品」として現れないように、みんなでシェアして、自治管理していく、平等で持続可能な定常型経済社会を晩年のマルクスは構想していたのです。

5.いまこそマルクスに学ぶ

近年の経済格差、気候変動、そこに重なったパンデミック。「資本主義はそろそろ限界かもしれない」と若い世代を中心に感じる人が増えています。

これからも、経済成長と技術革新を続けていけば、いつかはみんなが豊かになるというトリクル・ダウンの神話は、もはや説得力を失っています。

マルクスが、今日の社会的、経済的課題に対する唯一の絶対的答えを持っているというわけではありませんが、少なくとも彼は、資本主義的な経済成長で問題解決を図るということは違う可能性を、最も体系的に追求した思想家の一人です。

いまのような危機の時代にこそ、『資本論』を読んで、資本主義の強固なイデオロギーを打破し、今とは違う豊かな社会を思い描く想像力、構想する力を取り戻すきっかけにすることが重要なのかもしれません。

終わり


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