見出し画像

オワコンからの脱出方法

【はじめに】

YouTuber、そしてAIエンジニア、コンサルタントとして活動してます、TOMOKINと申します。

僕は、YouTuberになって5年目になります。
最近、チャンネル登録者12万人を達成し、有難いことにYouTube公式バッチと銀の盾を受賞しました。

チャンネルは順調に成長していますが、よく言われるのは「TOMOKINって誰??」

この一言です。 

それもそのはず、僕のチャンネルはかなり特殊で、視聴者はブラジル、サウジアラビア、ロシア、アメリカが90%近くを占めています。

日本人視聴者はたったの3%です。
そりゃTOMOKINを知らないはずですよ。

でも、一部の人は
「TOMOKINって懐かしいなぁー」と言います。

懐かしいってどういう事?って思いますよね。

実は、YouTuberが浸透する前の時代に僕の知名度はそこそこありました。

ビートボックス講座が人気だったあの頃。。。

外に出ると声かけられるし、Twitterでエゴサすると「TOMOKINの動画お前も見ろよ!」って言われたり、、

有頂天でした。案件とかめちゃくちゃ来ましたが、ドヤ顔で「僕、そんな事やんないんで」って断ってました。

オワコン→炎上→活動休止と最悪のシナリオを経験するまでは・・・

【一番伸びた時代】

僕が一番YouTuberとして輝いていた時代は2014年です。

当時、ビートボックス講座をほぼ毎日投稿して、チャンネル登録者はずっと右肩上がりでした。

チャンネル登録者は3万人にまで上り詰めました。

YouTuberがそこまで浸透していなかった当時を考えると、そこそこ人気のチャンネルだったと思います。

外にでると声かけられるし、

ヒカキンさんが人気だった為、ビートボックスを習いたい人も多く、需要があったこともあって、順調なスタートでした。

【突然何かが狂い出した】

それから1年間くらい、伸びつづけましたが、ある時を境にこんなコメントが寄せられるようになりました。

「もう見飽きた」「トモキンって同じ技しか教えてなくね?」「お前より上手いやついっぱいいる」

自分でも分かってました。

毎日、講座をするなんて無理だったのです。

一年間365日。
365も違う技を紹介するなんてまず無理。

そして、自分よりも遥かに上手い若手ビートボクサーが沢山誕生していた事も事実です。

「何かを変えないといけない」

でも、ビートボックス以外やってこなかった自分に何ができる??

当時、最新のニュースやTwitterでバズっているものを取り上げれば再生数が伸びるという噂があったので、ビートボックス講座の前に時事ネタを取り入れて批評するというなんともアンバランスな動画を作りはじめました。

その結果…

「何このチャンネル??」「最近、面白くなくなった」「もうチャンネル登録解除した」

このコメントが多発し、ついには動画を上げる度に登録者が減るという死のフェーズに入り込みました。

(※死のフェーズ:コンテンツを更新する度に、興味を失った登録者が離れていくこと。拡散もされない為、ひたすらマイナス成長を繰り返す)

【まさかの炎上からの休止】

ヒカキンさんが有名になるにつれて、「TOMOKINはHIKAKINのパクりだ」って言われる回数も増えていきました。
(※僕の本名は友金です。)

さらに、「TOMOKINはビートボックスそこまで上手くない。なのにYouTubeで講座を出してる。これは詐欺だ」とも言われるようになり、日に日に活動が辛くなりました。

自分のコンテンツでは伸びないので、いっその事グループで活動しようかとも考えました。

しかし、日に日に登録者が減り、再生数も伸びない、そして炎上を起こすチャンネルにもはや視聴者、企業、YouTuberと誰も興味を示しませんでした。

結果、活動休止する以外に道はありませんでした。

(2017/10/01~2018/03/01 約半年で登録者180人減)

【活動休止して渡米】

頑張りたい気持ちはあるけど、YouTubeはもう頑張ってもムダ。

だったら、以前から興味があった英語の勉強に熱中しよう。YouTube忘れるためにも勉強しよう。

そう思い、ひたすら英語を勉強し続けました。

1年間勉強し続けた結果、何の不自由もなく英語を話せるようになってました。

その時に仕事の同僚から「それだけ英語喋れるなら海外に駐在してみたら?」

言われるがまま、アメリカに住むことを決めました。

期間は半年間。

とにかくやれるだけの事をやろうと思い、アメリカへと向かいました。

【アメリカでの活動】

アメリカでは、シリコンバレーでお馴染みのサンタクララに半年ほど滞在しました。

AI製品のリサーチをする傍ら、週末はサンフランシスコやロサンゼルスまでストリートライブに出向くことにしました。

勿論、Beatboxパフォーマンスでのストリートライブです。

日本でやったときは観客が集まらない日も沢山あったのですが、、、

アメリカではあり得ないくらい集まったのです!

移民が沢山居る国ですので、いつも見に来るお客さんは、アメリカ人以外にアラブ人、インド人、中国人、スペイン人、ブラジル人…と沢山いました。

中には英語も日本語も通じない人がいましたが、とにかく笑顔で喜んでくれました。

その時にふと思いました。

『単純にこれをYouTubeで再現すれば良いのでは・・・』

【かなり大胆なコンテンツ改革】

今まで、日本人のボイパを習いたい人に向けて講座動画を出していましたが、アメリカで経験したことを元に海外視聴者に向けて動画を出すことに決めました。

海外でウケる曲のカバー、アメリカンジョークを含んだコメディパフォーマンス、日本を感じさせるパフォーマンス…

これらがボクのチャンネルの企画テーマでした。

ただ、一方で全部滑ったら少数のコア視聴者まで手放すことになりかねない…

本当にイチかバチかの決断でした。

そして、恐る恐る動画を1本出しました。

1日経って再生数は600回でした。

「やっぱり滑ったか…」

当時、4万人の登録者がいました。
にも関わらず、この再生数。。。あり得ないです。

とりあえずあと1本動画出して、YouTube活動辞めてブログへ移行しようと思いました。

2本目の動画を出した1週間後…

あり得ないくらい再生数と登録者が伸びていたのです。

(月別登録者数)

正直、何が起こったのかワケわかりませんでした。

(後から、サウジアラビアの有名人(?)がシェアして、話題になって急上昇に上がってという流れで伸びたことを知りました)

取り敢えず、もう少しだけYouTube続けたいな…

そんな思いが出てきたので、週に1回くらい動画を出すことにしました。

すると、、、

ロシア、フィリピン、カナダ…とあり得ないルートからも視聴者が流入してきたのです。

結果、最盛期だった2014年を覆す勢いでチャンネルの伸びは加速していきました。

【結局、どうすれば伸びるのか?】

「どうすれば伸びるのか?」ということは良く聞かれるのですが、簡単に言えば需要と供給がマッチしたときです。

もっと簡単に言えば、視聴者が求めている動画を作れた時だと思います。

ボクの場合はたまたま、海外の視聴者にヒットしたんでしょうね。

これは、人それぞれなので、ひたすらアナリティクスとにらめっこしながら動画の内容を変えていくことが一番大事だと思います。

流行りに乗るより、まずは自分が一番出したい動画を出すべきだと思います。

ユーチューバーの皆さん、お互い頑張りましょう😆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?