いつ死んでもいいように生きる事。

おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。

なかむらともきです。


東京は最近急に気温が下がって冬の匂いがしてますね。



地元の青森はもっと寒いんだと思うと想像するだけでぶるぶるする。


(氷点下の中を生足ミニスカートにハイソックスとローファーで通学していた高校時代が信じられぬ.....)


数日前、朝起きたら寒すぎて雨も降ってたので
仕事行くのに何を着ようかな~と自分の持ってる秋冬物を漁ってみたら

あらまぁ、なんということでしょう。


全く無いじゃぁ~ありませんか。


そういえば、


7月に今の家に引越しをする際に


長袖系でほぼ着てない服はガシガシゴミ袋に入れた記憶が蘇りました。。。


私は今八王子市に住んでいます。
都内で1番冬に冷え込む土地です。


極寒の八王子を無事やり過ごせるのか乞うご期待👶👏






では今日のnote、はじまりはじまり~。






今日は少し長くなるかも。


私のモットーの話をしようと思う。


興味無い人もいるとは思うけど、

なんとなく、

なかむらともきって人間を知って貰うために話しておきたいなと思った話。


タイトルがタイトルなので念の為に前置きしておくと、


私は死にたいという気持ちは1ミリもないですので、安心してください。笑






私は過去にたくさんの後悔をしてきた人間です。


誰しもそうかもしれないけれども。


こないだ唯一何でも話せる友達が言ってくれてなるほど~と思った事があるんだけど、


私はどうやら人よりも割と感受性が高いらしい。


もしかしたら、後悔しなくてもいい事に後悔してる所が沢山あるのかもしれない。



その沢山の後悔の中で何よりも1番悔しかったしモヤモヤしたものがあってさ。それが、


"○○を伝えたかったのに伝えられなかった"
"多少ワガママでもいいからもっと○○さんに会いにいけばよかった"


という2つの気持ち。



すごく分かりやすく言うと、ずっと会いに行こう会いに行こうって思ってた人が病気等で亡くなってしまった時。


そういう時に特にこの2つを思う事が何度かあった。


正直ね、冷たい言い方に聞こえる可能性あるんだけど、


人が死んでしまったらそこに関して後悔してもしゃーないのよ。


分かってはいるんだ。
でもやっぱ悔しく感じてしまっていた。


じゃあ何で悔しいのかっていうとさ、


きっと伝えたい事があっても伝えられてない自分がいたからでしかないと私は思うの。



ちょっとスピリチュアルみたいな話になるんだけど。
話したい事があるから話すね。

昔話も交えて。



私は実家で犬を飼ってました。


私が小学生の低学年の時のある日、
動物はそんなに言うほど好きではない私の母親が


"職場の駐車場に捨てられてて、さすがに見過ごせなくて連れてきてしまった"


と言って、ダンボールの中に入った1匹の柴犬を車に乗せて連れて帰ってきた。


そしてその日から、その子に"ボブ"という名前を付けて飼う事にした。


ボブって名前を付けたのは私の兄。


当時はみんなボブがオスだと思い疑いもせずに普通に受け入れたけれど。


予防接種か何かで初めてボブを病院に連れてった時に
お医者さんから言われた言葉が


"すごく整った顔した女の子ですね~"


え、、、??女の子?????


と家族みんなで目が点になったのを覚えてる。


今考えるとさ、


いや、わかるだろ!!!!
ち○○ん付いてるかどうかちゃんと見ろや!!!!


としか思わないけど。笑


その事実を知った時からボブはボブ子って呼ばれてる事もあったな。無理やり過ぎるな。



大人になって気づいたけど、
私の家族はみんなしっかり天然らしい。。。



話ズレたわ、戻ります。笑


それで、ボブとは実家で長年一緒に過ごしてきました。
ボブは私たちをすごく楽しませてくれた優しく面白い子。とにかくたくさんの思い出がある。



私は高校卒業と同時にボブと母親と離れて東京で暮らし始めた。



そして東京に来て初めて組んだバンドでレコーディングの話をしている時に、なんだかとても唐突に、


"ボブに会いたい!!!!"


って思って、その場で帰る日を決めて地元までの夜行バスの予約を取り母親に即連絡をした。



帰る気満々でいたのだけれど



後日、なんとその帰る予定の日にレコーディングの予定が入ってしまった。



どうしてもずらせなくって、致し方なく夜行バスをキャンセル。



そして元々帰る予定だった日に順調にレコーディングをしていたら母親から



"ボブが急に元気が無くなった。もう時間の問題かもしれない。"



という連絡があった。



ボブがボケてきたって話は聞いていたけれど、



明らかにぐったりしてる姿は初めてだったようで、
母親も少し動揺してたのが伝わってきた。


そしてその日の夜、そのままボブは天国に旅立ちました。


本当に本当に悔しかった当時の自分の感情が今も忘れられない。



たぶん、ボブは私に何らかのテレパシーを送ってくれてたんだって気がしてならなくって。


だから急に会いたくなって夜行バスまで取ってたのに、会いに行けず最後を看取る事も出来なかった。




本当にしんどかったなぁ。



私はこの日の経験から、
本当に会いたい人には何が何でも会いに行こうって決めた。
(もちろん相手もOKなタイミングじゃないと会えないけど)

そして、
伝えたい事があるなら躊躇わずに伝えようと決めた。



人はいずれ死ぬ運命。
どんな人でも必ず死にます。


家族にも、友達にも、好きな人にも、仲間にも、
通りすがっただけの人にも、
道を聞かれた知らない人にも、


必ず死は訪れる。


 

死んでから後悔したりとか、
死んだ人に対してあの人は凄かったとか、


思う事は自由だけども


全然会いに行ける人だったのに、
全然思いを伝えられる人だったのに、


それをせずに死んでから、あの人は凄い人だったって思ったりとか発言したりとかしても、正直何にもならない。本当に無意味だと思ってしまう。


逆に、私自身も明日急に交通事故とかで死んでしまうかもしれない。


そう考えると、


伝えたい人に伝えたい事を伝えられずにこの世を去るのは本当に本当に嫌だ。



前回のnoteで話した内容でもあるけれど。
こないだ手相占いで婚期が44歳って話をしてもらって、


「恐らくその時にはもの凄くいい結婚が出来ていて
高齢出産になるだろうけど子供もいる可能性も高い」




りゅーちゃんさんにそう言ってもらった事が一つ私の中の少しホッとする材料ではあったのだけど



あくまでも今の手相からそう出てるだけであって、
手相だって変わるし、実際はいつどうなるかは全くわからない。


44歳まで生きれるかもしれないけど、44歳までの命かもしれないし。


と、本当にそう思ったりする。




ただ、1つ言うなれば。


GRAND FAMILY ORCHESTRAというバンドが存在する限りは、私はこのバンドを長くやっていきたい。


というか、義務感とかとも違うんだけど、


このバンドは長く続けるべきバンドだと思っている。



そんな気持ちがあるから


出来るだけ健康で過ごしたいとは思っているよ。



でもやっぱり運命を見透かす事はどうしたってできないから。





だから、私が20代前半の頃から掲げてる揺るがないモットーがあります。



昔大好きだったインディーズバンドのボーカルさんがよく言ってた言葉に共感して、それが自分のモットーになっているんだけれども。それは、



【いつ死んでもいいように生きる】



という事。

死ぬことは考え無くていいのであれば考えたくないけれどもね。


でも私はこの先もきっとずっと
死ぬことを前提にした後悔しない生き方を選択していくんだと思う。



男女限らず大切で大好きな人には大好きって言うし



ポジティブな感情はどんどん伝えていく。




そんな生き方なもんだから


たまに空気読めない行動をしてしまって反省する時もある。


それは本当にごめんなさいって思う。笑




でも、人間として生まれた限りは
人間が使えるものをちゃんと沢山使って生きていきたい。


言葉も心も手足も全部。


死ぬ時に後悔なくいられるように。


大好きだって思える人や物もそんなに多いわけじゃ無いからこそ、尚更ね。







以前みたいに色んな人に沢山会いに行ける未来も


そう遠くないといいなぁ。





読んでくれてありがとう。


今日もお酒が美味しくて幸せだぁ。




今日のnote、おしまい。


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