秋田から大阪へ

11月下旬、大阪に帰ってました。父の三回忌のためでしたが、この移動に乗じて色々やりたいことがありました。10月に中村之菊さん主催の沖縄のツアーがあったのに参加できなかったので、沖縄に一泊一日半で強行辺野古海上行動してこようかと思ったが、それよりと大阪で社会派の映画上映や勉強会をしている北口さんにコンタクトを取ったのでした。

『いのちの海』という映画のDVDを、秋田の由利本荘市に沖縄から相馬由里さんがいらしたときに購入しており、(映画の上映権付)それを紹介しながらお話をしたいと持ち掛けていたのでした。

淡路駅近くのオリーブ・ガーデンという素敵なブックカフェを会場として、セッティングしていただけて、会を持つことができました。

そこに集まった方たちは、すでにもう平和活動をされている人ばかりで、私が勉強になりました。

参加してくださった方の中には、大阪に帰るというと、鶴岡の漆山さんが会いに行くといいよと言ってくれていた関西沖縄文庫を主宰されている金城かなぐすく馨さんがいました。
彼は、沖縄をルーツに持つ大阪で生まれ育った人です。
大正区の沖縄から移住してきた人は、朝鮮半島からの在日の人たち同様、差別を受けてきたのです。その二世として生きてきて、沖縄人としてのアイデンティティを取り戻して、自分たちの民族としての尊厳を取り戻して、表現するという活動をされてきた方です。それまでの親世代は生き残るために、隠すという行為を選んできた、これは壁を作って自分たちを守って来ていたのだと彼の著書『沖縄人として日本人を生きる』でも書かれています。

多様性と共生、この二つの別の文化が合わさることは良いことでもあるのですが、大抵、強い側に飲み込まれるので、壁も大切で、壁と壁の間で、対話する・・・対等にアイデンティティを侵されず、ということだと思いました。他者と対峙して見えてくるアイデンティティ・・・ようやく私も自分のアイデンティティがわかってきたようです。

そして、昨日、12/2、関西沖縄文庫を会場として、沖縄戦の体験者から聞き書きをしている若者、石川勇人さんからお話を聞く会があり、オンラインでの参加もできると聞いていたので秋田から参加しました。

戦時中の悲惨な現場を正確に記憶していないかもしれないし、覚えていることがなんと残酷な記憶か、それを話すことで、救われるとなってくれればいいけれど、思い出して、つらい体験が再来して来てまた苦しめられる人もいたり、親戚のおじさんが、自決するためにと家族を殺したのを目撃した女性は、おじさんが亡くなった後でやっと話せたと、おじさんが生きていた時には、その女性の顔を見ると、当時のことを思い出すから、顔を見せるなと言われて、家から出ることも阻まれて暮らしてきていたことを聞き、戦後となったからと言って、平和が取り戻せてはいない、損失の大きさを感じました。
話しを聞き出すことによって、また苦しめることになるのではないかと、心を痛める馨さんの意見や、話さないことも、沈黙も証言だということも、私は考えが及ばなかったので、心の細かいひだを感じ取れることに、今まで体験を聞くことをして来たからだと、頭が下がりました。

馨さんは、傷つけるのではないかと思って、聞き書き、話を聞かせてもらうことが果たしていいことばかりではないと言っていましたが、石川勇人さんや若い世代が聴こうとするのは、違うかも知れないと話していました。

勇人さんも最初の方で、体験を聞き書きすることには、話す人と聞き書きする人の二つの立場が居る、聞く人(記録を取る人)=受け取る人(インタビュアー)にも焦点を当てたいと話していて、そこも大切なポイントなのかもと思いました。
ある人は話したいと言っていていたのに勇人さんが行くと断って、五回断って、断られてもまた行くと、試していたのだと言って、それから話してくれたとのこと。

勇人さんが戦時中のことを聞き書きする行為について、疑問視していた箇所があって、戦時中のことだけ聞いても、その人はそれから戦後を生きて、戦争前の人生もあって、その人の人生の一部だけを聞くことに疑問があるようでした。私も共感しました。
聞き書きの始まりや、戦争の記録展示などについてもお話ありました。最初は民間人のことは取り上げず、軍隊の武器や物ばかり展示されていたとか。

今回、勇人さんは、PTSDについては今回は深堀すると時間が足りないからと割愛されていました。今、『PTSDの日本兵の家族の「思いと願い』という本をオンライン書店に注文しており、読む予定です。オリーブ・ガーデンにありました。

今日はここまで。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

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