三つ子の魂が完成する

 子が1月末で3歳になります。だいたい2歳半になったくらいから、イヤイヤもピークは過ぎたかな、という感があり、10月の増税前におむつを多めに買ったらその直後から全く減らなくなったりもして、ここ数か月は三つ子の魂だいたいできてきたな、という安堵感に包まれていました。そういうのを3歳児神話と呼ぶのかもしれないけど、ここまで明るい子だったなら残りの人生もこの子は明るく過ごせるのではないか、という希望的観測を持てるようになったのです。

 3年間、ネットで育児情報?の発信はほとんどしてこなかったな、と思います。わたしの投稿を見る人は育児情報を求めていないだろう(むしろ避けたい人が多いのでは)、と思っていたことがひとつ。それと、ネットの既存の育児トーク(苦労を称え、労い合う)への入りにくさもありました。そもそも「育児」「子育て」という語にも自分はしっくり来ないものがあります。「育てる」なんて大層なこと、能動的な行いを何もしていない、と思うのです。子がほとんど動けない0歳の頃は、子犬と暮らしているみたいだなあ、と思っていました。ここ1、2年はおさるのジョージと黄色い帽子の青年みたいな感じで暮らしています。それもまた変わっていくのだろうと思いますが、何をすれば育児をしていることになるのかというのはいまだに掴めないままです。

 ネットでよくある育児の悩みに、「乳幼児と家で過ごす時間は無為に感じられる」というものがあるのですが、全く逆というか、わたしは子が生まれてからの時間が有意義すぎて、むしろ自分はこれまでの人生一体何をやっていたんだ……(ポカーン)というアノミーに陥ったところがありました。独身時代にやってたことほぼ無駄だったな……という感慨に打ちのめされていた3年間でした。具体的には、高校や大学などで受けたキャリア教育に則った職業歴のことですが>無駄、ネット上のママ議論はその「職業歴の続きに戻りたい、戻るには」という話題が大半を占めているくらいなので、全然入っていけずに黙っていました。

 また、昔からある言い伝えに、「親になってみたら、親が自分に何をしてくれていたかがわかって親への感謝が増す」というものがあると思いますが、わたしは親になってみたら、自分の親がいかに自分に何もしてくれていなかったかが周囲の証言も含めて次々と明るみになるばかりで、いまさら無駄に親への憤り、恨みが積もっていく3年間でもありました。笑

 簡単に言うと、自分の家を持ってみて初めて、「わたしって家なき子だったんだな……」と知ったというような感じで、そのことには相応のショックがありました。いままで家庭だと思っていたものは違ったし、いままで苦心して取り組んでいた仕事も全く頓珍漢なことだった、という結論に子が生まれた機会に至ってしまい、なかなかこれを言語にしていくのは難しいな……と思ったまま気が付いたら3年経っていました。

 ネットの喧騒から離れていると平安で、これが正しい生活だという感覚もあります。が、それで何も発さずにいると、いろいろな思い出や考えはどんどん雲散霧消してしまって、都度表しておかなかった後悔も同時にあります。ネットで発表しないアウトプットを独りで続けられるほどストイックではないので、今年はネット(発信)と生活、バランスよくがんばろう、と思っています。子も幼稚園に行くことなので。年頭所感でした。😺

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?