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私のライフシフト③ 100年時代の人生戦略

1990年4月。専門学校へ入学し、寮生活が始まります。

ホテル研修生として、洋食レストランに配属され、始業前の朝食サービスが主な仕事でした。授業がない日はランチのシフトも入ります。

同期の仲間や先輩、社員のみなさんと楽しいことも大変なこともいろいろと。当時の寮は、ホテルの社員さんも利用していて、男子寮、女子寮が同じ場所にあり、1階の共有スペースではみんなで過ごすことができました。

海外ホテル研修はスイスやオーストリアのホテルに半年間、住み込みで働くというプログラムで、参加するためには英検2級以上に合格する必要があり、何度目かのチャレンジでなんとか合格し、参加資格を得ます。

ところが、出発前の1991年1月に湾岸戦争が勃発。直前までどうなるか、という状況でしたが、なんとか予定通りに実施されることになり、4月に初めてのフライトでスイスへ向かいました。

各ホテルに2~3名が配置され、私は東京校から参加していた1歳年上のHさんと一緒になります。飛行機と電車で約24時間の移動時間。ようやく目的のインターラーケンに到着し、ホテルナショナルでの半年間の生活がスタートしました。

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この「ホテルナショナル」。後から知ったのですが、これまで研修生が誰も半年間続かなかったというホテルだったそうです。

当時からスイスは日本人観光客に人気の国で、私が働いていた頃も、日本人観光客が登山電車に乗る前に昼食に寄られることが多かったです。フランス人のツアーもよく入っていました。

一緒に働いていたのは、イタリア人、ドイツ人、ポルトガル人、ユーゴスラビア人、オーストリア人、オーストラリア人、スイス人など多国籍。英検2級は合格しても、実際の会話はちんぷんかんぷんで、最初の頃は言葉の壁にくじけそうになっていました。

たまたま近くにあったお土産屋さんで、日本人の方が働いていて、その人たちのおかげで頑張れたという面は大きいです。国際結婚されて、スイスに住んでいる方もいて、町のことも教えてもらえました。

19歳の私にとって、初めての海外生活。今振り返っても、当時の経験は私の宝物です。

つたない英会話も、少しずつ通じるようになり、相手の言っていることも正しく理解できるようになり、過ぎてしまえばあっという間の半年間。無事に研修期間を修了できました。

研修後、本当は学校のツアーがあったのですが、一緒に働いていたイタリア人の女の子の家に遊びに行くことにして、同じホテルだったHさんと二人でイタリアのトリノまで行き、日本に帰国する便に間に合うように学校のみんなと合流。今考えると、アクティブですね。若いってすごい(笑)

そして、10月に日本へ戻り、就職先を考えるのですが・・・

この時、1991年、バブル経済が崩壊を始めます。株式や土地などの資産価値が暴落を始めたのです。1989年12月29日に38,915円87銭の最高値をつけた株価はその後下落し、1991年8月18日には14,309円まで下がります。それまで右肩上がりだった地下も1991年から下落します。しかし、多くの人々はまだそんなに深刻にとらえている感じではありませんでした。

就職氷河期といわれる時代がこのあとやってきます。(1993年から2004年頃)なので、私の同級生で4大に行った人は就職氷河期の最初の世代にあたるのです。私はありがたいことに、専門学校卒業時はまだ売り手市場だったので、専門学校の恩師のご紹介で、東京のホテルに無事に採用していただけました。

まだまだ私のエクスプローラー(探検者)のステージが続きます。

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