双葉

私のライフシフト④ 100年時代の人生戦略

1991年 株価と地価の下落が始まりバブル経済は終焉へと向かっていく中、就職し、上京します。会社員生活のスタート。皇居の前という素晴らしいロケーションで仕事ができるなんて、今考えてみるとなんて贅沢。

当時はまだそれほど深刻な不景気にはなっておらず、バブルがはじけ、徐々に人々は夢から醒めていくことになります。

1992年の終わりごろ、某大手生命保険会社のセールスレディの方に声を掛けられて、一度目の転職をします。保険外交員になるためには保険商品の知識や周辺知識が必要なため、研修制度はしっかりしていて、資格試験をクリアしながらステップアップします。

給料は外交員報酬となり、事業所得になるので、販促品の仕入れ(雑誌や飴、文房具など)やお客様との打ち合わせにかかる飲食費などの経費を集計し、確定申告もこの頃に教わりました。

保険について学ぶうちに、保険会社の報酬の仕組みに疑問を感じ、お客様の立場にたったサービスをしたいという気持ちが強くなります。

この頃、1995年3月には日本中を震撼させた地下鉄サリン事件が起きました。実は、いつも使っていた日比谷線も被害に遭っていて、通常通りだったらその電車に乗っていた可能性がとても高かったのです。たまたまその日は別の用事で早めに出かけていたために、事件に巻き込まれることはなかったのですが、後で知って背筋がゾッとしたのを覚えています。

当時は結婚適齢期という言葉が一般的に使われていて、クリスマスケーキなどといわれて、25歳までに結婚するというのが理想という時代でした。

私もなんとなく気になっていた「25歳」。ちょうどその頃、失恋し、心機一転のために、地元にUターンを決めました。

約5年間の東京での生活は、多くの人との出会い、自分の世界をぐんと広げてくれた時間でした。

私たちはどうやって自分を知るか、というと、自分と違う「相手」を通してしか自分に気づくことができないといわれます。

「相手」がいてくれるから、初めて「自分」が成立するのです。

エクスプローラーのステージは、まさに、自分を知るために多くの人と出会い、多くの経験を通じて、自分のしたいことや価値観、自分らしさを見つけ、育てていく、そんな時期といえるのではないでしょうか。

「ライフシフト」の本の中では18歳~30歳、40代半ば~50歳くらいのときに、エクスプローラーのステージを選択することで、自分らしい人生を創造できるのではないかと提唱されています。

そして私は地元に戻り、エクスプローラーのステージから、インディペント・プロデューサーのステージへとライフシフトしていきます。


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