余白を歩く 《思い出しグルメ③ エルトリート明大前店》

ダンナが生きていた頃、家族で行った店、行きたかった店。なくなってしまった店もあるけれど…。
思い出しながら、ぼちぼち語っていくシリーズ。



         * * *



いま、懐かしく思い出すレストランがある。メキシカンレストラン「エルトリート」。明大前店、だったろうか…。どうも場所がはっきりしない。
あの頃は結婚したばかりだったが、毎晩遅くまで残業のある仕事をしていた私は、バイクで迎えにきてくれるダンナと、どこかで夕食を食べて帰るのがきまりになっていた。


「今夜もエルトリートにしようよ!」


暗い夜道、タンデムシートにまたがり風に吹かれながら、たわいもない会話をかわす。唸るエンジンの音にかき消されないように大声を張りあげて。ダンナはメインストリート嫌いの裏道好き。どこをどうやって通ったのか、気づけばいつも店の前だ。まるで魔法のように。


「それと…ファヒータもね」


ダンナのお気に入りはビーフファヒータ。お財布も気になるし、このくらいでと思っても、いつも最後に追加されてしまう。いま思うと、ダンナはファヒータを食べたくてエルトリートに行こうと言っていたような気がする。だったらはじめから頼めばいいのに。ああそうか、あれはダンナの策略だったんだ。はじめに頼んでしまうと、ケチな私に品数減らされるから…。
それからブラッドオレンジジュース。ダンナはこれが大好きで、レストランでメニューにあると必ず頼んでいた。エルトリートにあっただろうか、記憶ちがいかもしれない。
外食続きで気が引けて、たまには家で食べようと言っても、ダンナはいつも私をエルトリートに連れて行く。けれど悔しくも美味しいのだ。結局ダンナの「今夜もエルトリート」に抗えなくなった。


最近知ったが、エルトリートの料理はテックス・メックスといって、メキシコ風のアメリカ料理だそう。メキシコに行ってメキシコ料理を食べまくり、アルゼンチンに行ってタンゴを見たい。—— 私は無知な夢をふくらませていた。


「メキシコって、バハっていう耐久レースがあるんだよね」


ダンナは教えてくれた。それならいつかメキシコに行ってメキシコ料理を食べまくり、バハを見てから、アルゼンチンに行ってタンゴを見よう。
でも「いつか」で終わってしまった。あの頃は行けるような気がしていたのに…。


        * * *


明大前店は、何年も前に閉店してしまったようだ。ストリートビューで確認しても、昼間のしらけた街道を行きかう車が映し出されるばかりで、記憶の中のあの暗い住宅街の海で、灯台のようにポッとあかりのともった店は見つからなかった。
先日ダンナのカバンの中身を整理していたら、エルトリートのショップカードが出てきた。あった、と思った。見ると閉店した店舗がズラッと並んでいる。そのなかに「明大前店 井の頭通り甲州街道そば」の一行がある。これ以外、思いあたる店舗はなかった。
子どもたちがまだ小さかったころ、二度ほど池袋サンシャイン店に行ったことがある。ワイワイ騒ぐ子どもたちを尻目に、ダンナと私は黙って食べていた。あの頃行った明大前店のことは言葉にせず。どの店舗だろうと味は同じはずなのに、なんだかあの頃とは違う味がした。


ダンナは思い出していただろうか。私のなかで「エルトリート」といえば、真っ暗な夜道を走らせ二人で行った、あの明大前店なのだ。