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社会人になったら、収入の1割を自己研鑽に使う。

実家を出てから、もう10年以上、新聞のない生活をしてきた。テレビやラジオをつけて、いわば「受け身」の状態で情報を得てきた。スマホでニュースサイトを見ることはあっても、それは気になるニュースだけを知るための行為だった。そんな私だが、今日、新聞の「1週間無料試読」を申し込んだ。早ければ来月から、有料の定期購読を始めようと思っている。

来月から、私の仕事の状況が変わる予定だ。それを機に、何か始めようと思ったのだ。

私が大学を卒業するとき、先生に言われた言葉の中にこんなものがあった。

「社会人になったら、給料の1割を自己研鑽のために使った方がいい。それをするとしないとでは、10年後が変わってくる」

その先生とはそれほど親しくはなかったのだが、この言葉だけは「信じてもよさそうなもの」として私の中に残っていた。毎月、給料の一定額を自分の勉強のために使うことを10年も続ければ、そりゃあ立派な大人になれそうだ。そう思った。

だから、就職した私は、自己研鑽のために使うお金は惜しまないようにしようと決めた。仕事の勉強のための本、自己啓発本、仕事とは関係ないけれどやってみようと思った語学の本。パソコンのセミナーや速読の講習会……。身になったものもあればならなかったものもある。しかし、社会人になって17年、やはり先生に言われたことを実行してきて良かったと思っている。

分からないことが分かるようになると自信がつく。仕事の周辺のことを頑張って学べば、仕事のやる気も出てくる。学ばないよりも、色々なことが立体的に理解できたと感じる。

結局、私が使ったお金は給料の「1割」にも満たなかったけれど、これは「1割」という特定の割合を設定するのが実はミソなのだと思う。

これがもしも、「就職したら毎月⚪︎⚪︎を続ける」みたいなものだったら、挫折してしまったかもしれない。続けなくてはいけないという苦痛と、ただ闘うことになってしまうからだ。それよりも、「一定のお金を勉強に充当する」ほうが、自由度が高く、実行しやすい。勉強の内容はいくらだって変えられるし、なんなら使いやすい筆記用具を買うことだって勉強の費用に該当する。

私はその「1割の掟」のおかげで、色々な知識に触れることが出来た。社会人になってからも、頑張ることを継続できた。今後は収入の形態が変わりそうなので、「1割」のことを考えていられなくなるかもしれない。欲しい本は今まで通り買うけれど、お金の出し惜しみをするようになってしまうかもしれない。

だから私は先手をとって、新聞の購読をはじめようと思う。大人だったら読むのが当然かもしれないけれど、今さらといえば今さらなのだけれど、始めることにする。ネットでニュースを読んだって良いのかもしれないけれど、あえて有料の、あえて紙のものを、自分の意思で、自分のお金で読もうと思う。毎日、新聞受けから新聞をとって、ちゃんと目を通すのだ。些細なことだけれど、これを意識的にするとしないとではやはり10年後が違うと思うから。

最近よく、この「1割の掟」のことが頭に浮かぶので、今日はそのことを書いてみた。

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