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切符というもの

「いつかやるのではないか」とは思っていたが、ついに今日やってしまった。Apple Watchを家に忘れたのだ。

私はApple Watchに定期券を登録して使っている。いちいちICカードをバッグから取り出すがなく、改札通過はスイスイだった。この恩恵は、意外と大きい。

そんなに便利なものを今日、忘れてしまった。しかも気付いたのは家を出て20分も歩いた後である。もう駅は目の前だ。いつもは何度か時間を確認しながら歩くのに、なぜか今日は時計を見なかった。

さすがに戻るわけにもいかず、そのまま駅に向かった私は、もうひとつのことに気が付いた。Apple Watchどころか、交通系ICカードも持っていないのだ。予備に1枚ぐらい持ち歩いていても良さそうなものだが、そんなことはしていなかった。

そんなわけで私は今日、何年か振りに紙の切符を買った。Apple Watchを忘れ、ICカードも忘れた人間は、紙の切符を買うしかない。当たり前のことだが、なんだかちょっと不思議な気分だった。朝の通勤時間帯に券売機へ向かうのは、私だけだった。

高校生のころまではICカードなんてなかったから、切符は全て紙製だった。自動改札機ができる前の時代は、駅員さんが切符にスタンプを押してくれたし、そのさらに前は専用のハサミで切り込みを入れてくれていた。あのころ当たり前だったことが、今はちっとも当たり前ではない。

あらためて見る切符には、駅名にローマ字のフリガナがあり、今日の日付があり、発券時間などがあった。20年ほど前には電車に乗るたびに見ていたはずのそれらを、今日、初めて見るような思いで眺めた。

今この生活の中にあるもののうち、いったいどれが、5年後、10年後に当たり前ではなくなるのだろう。朝から妙にしみじみと考える日だった。

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