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「twelvebooks」主宰の濱中敦史さんにディストリビューションという仕事について訊いてみた。

この記事はウェブメディア「TSK(ちぇっ)」にて2016年3月17日に公開されたものです。「TSK(ちぇっ)」運営&公開終了後も読みたいという沢山のご要望を受け、濱中敦史さんご了承の下、ここに再公開します。

文:トモ・コスガ

春も間近となってすがすがしい昼下がり、或る人物と新宿の喫茶店で待ち合わせをしていた。「twelvebooks」主宰の濱中敦史(はまなか・あつし)さんである。 

濱中さんは「twelvebooks」という看板で海外写真集の国内ディストリビューションを生業にしている。それからポーカーフェイスでオトナっぽい見た目だけど、実はけっこう若い。そしてバリバリ働いている! みんなもちろん知ってるよね? 少なくともオレより知られている。たぶん、flotsambooksの小林孝行よりも知られている。だからきっとキミなら知っているはず!

ここで恥ずかしい告白をすると、オレは正直なところディストリビューションって仕事がなんなのかをよく知らなかった。海外から本を仕入れて本屋に卸すってのは理屈で分かっても、実際にやるとなったらメチャクチャ大変だろうし、第一それでどうやってオマンマ食えるのか?とか、やっぱり気になることだらけ! というわけで、彼との打ち合わせついでに、ディストリビューションについて話を聞いてみた。

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トモ・コスガ:濱中さんさ。いま打ち合わせの途中だけど、インタビューさせてもらってもいい?

濱中敦史:これまた急な(笑)。

ご承諾ありがとうございます ^ ^。今日はディストリビューションって仕事が実際どんなものなのか、この機会に知りたいのと、濱中さん自身のことにも興味があるんですよね。まずは濱中さんのキャリアの始まりから聞かせてもらえますか?

わかりました。元々は僕、ファッション畑にいたんです。

twelvebooksを始める前はパリに留学していて、それこそニコラ・フォルミケッティ(※静岡発の世界的ファッション・スタイリスト。ガガのスタイリストを5年務めたが、ガガについていけなくなって辞めた人)の現場に出入りさせてもらったり。でもトップの人たちの仕事ぶりを見ていたら、自分はそこまで行けないなと。ヘンに冷静になっちゃって、その道は諦めたんです。

へー、そうだったんだ!

で、当時、雑誌や写真集はよく買っていたんですね。「Purple」や「Self Service」が好きで。それらの雑誌に関わる写真家たちの本もよく見ていた。だから次は本関係かなぁと思っていたら、たまたまパリで大類信さんと出会った。それからは帰国するまで、毎日のように大類さんの下を訪れて。

大類さんの話を色々と聞いているうち、彼がディストリビューションの仕事をされていると知ったんです。ラリー・クラークの『KIDS』やフェティシズム系、それから「i-D」「Purple」「Dazed & Confused」「Self Service」辺りを日本に持ってきたディストリビューターだった。

大類さんのディストリビューションの話が実に面白かったから、僕も帰国したらやりたいです!と言ったんです。

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イヤがる濱中さんに昔の写真をせびったら出てきた、キレッキレ時代の1枚
「パリに留学した最初の年のパリコレ会場で撮られたスナップです」
BO NINGENのメンバーにいそう! ていうか、誰!w
(写真提供:濱中敦史さん)

そしたら大類さんが、日本にいる知り合いを紹介してくれた。それがユトレヒトの江口宏志さん、現在はMarginal Pressの大智ユミコさん、そしてVACANT代表の永井祐介だった。帰国後、それぞれの方とお会いして。

へえ、いい流れだ。

そのときすでにいくつか、日本でディストリビューションしようと思っていたものがあったんですけど、江口さんに見せたら、ユトレヒトで扱ってもらえることになった。VACANTにも持ち込んだら、永井にも気に入ってもらえて。

そのあと他の書店を回ると「ほかでどんな書店が扱ってるんですか?」とか訊かれるじゃないですか。「ユトレヒトとVACANTで扱ってもらっているんですよ」と言うと、思っていた以上にネームバリューが良かった。「そこが扱っているならうちも」とトントン拍子で取引先が決まっていって。だから始まりは順調でした。

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それが本格的にtwelvebooksが始動したときだよね。いつ頃ですか?

2010年ですね。

そこからこの6年の飛躍がすごいもんなあ。

そうは言っても、初めの頃は1000円前後のzineや雑誌しか扱っていなかった。仕入れの元手もなかったので。だから当時は帰国してからも……渋谷の「CANDY」は知ってます?

うん、知ってます。なんというか、とんがったお洋服のセレクトショップ。

僕、帰国してからしばらくそこで働いていたんですよ。渋谷に「CANDY」と「SISTER」が移転して「FAKE TOKYO」っていう建物を建てるとき、そのプロデュースをやったりだとか、バイイングだったり、海外デザイナーの来日イベントを企画したり。

えっ、そうだったの??

「FAKE TOKYO」っていう名前は、僕がつけました。いわゆる目の前にFOREVER 21や109みたいな、フェイクみたいなヤツらがいるところで、ホンモノをやるっていう。でも渋谷では彼らがホンモノとして扱われているから、逆にこっちは「FAKE」と名乗ろうと。店を立ち上げ、しばらく2年くらいランさせて。そのあと、3月11日に……

東日本大震災が起きた。

そう。あのとき僕、日本にいなくて。3月はファッションウィークじゃないですか。買いつけのため、ロンドンにいたんです。パリコレに行って、そのあとにもう1回、ロンドン行って。ようやく帰国するぞ!というタイミングで、震災が起きた。

あの日は電車も止まっちゃって、3時間かけて歩いて家まで帰ったのを覚えてますよ。

そうだったんですね。実は帰国したら、会社を辞めようと心に決めていたんです。そろそろtwelvebooks1本でやりたいと。それで空港まで行ったら、ああいう騒ぎじゃないですか。当時、僕は会社で上から3番目くらいの立場だった。辞めるとは言えない空気になっていて。だから店が落ち着くまではいようと。

てことは、一時期アパレルとディストリビューションの両立をしていたってことだ。よく続けられましたね。

古着屋さんが母体の会社だったんですけど、その会社が経営していた5、6店舗すべての管轄をしていました。給料もなかなか良かったんですけど、それを本の仕入れに回していました。

売上は立たなくてもいいから、とにかく自分が仕入れたい本を、自分が置いてもらいたい店に置いてもらう。自分のやりたいことだけで、どこまで人に広がるか。そこに投資をしたかったんです。

いきなり辞めて新事業!とはいかないものね。

いやあ、会社勤めとはいっても、生活していかなきゃいけないですから。すべてを仕入れに、とはいかない。クレジットカードのリボ払いやPayPal決済を使い続けてきて、実はずっと昔の仕入れでの借金が溜まっていたんです。それを毎月10万円くらい返済し続けてきて。

そういう事情もあったんだ。店には結局いつまでいたんですか?

震災から半年ほど経って、会社も持ちこたえたんで辞めました。それから1ヵ月くらいは三重県の実家に帰って、今まで会ったことのなかった取引先をひとつひとつ巡業しながら過ごしていたら、東京に戻ってきたころにはお金も尽きちゃって。

そしたら、たまたま知り合いのおばあちゃんが亡くなってしまったと。親族は誰も日本にいない。そこは一軒家なんだけど、もし興味があるなら光熱費だけの負担で良いから住まないかと。丁度いいタイミングだと思って、どこどこ?と訊いたら、横浜の山奥を30分くらい入らないと辿り着かないところでした。

……立地もだけど、けっこうホラーな話じゃない? それって。

そこに僕、半年くらい住んでたんですよ。おばあちゃんが生きていたころのまま、部屋も家財も全て残っていて。2階建ての一軒家で、庭もしっかりしていて。在庫の山と一緒に暮らしていました。東京に出るのも2〜3時間くらいかかるから、当時は篭もっていて。それが2012年ころ。

で、その頃からVACANTとの関係が密着になっていくと。

そうですね。当時は卸先のひとつだったんですけど、持っていく本がいつもスタッフ内で好評だったみたいで。ブックスペースはtwelvebooksだけにしちゃってもいいんじゃないの?という話が、社内に上がっていたそうなんです。ちょうど僕も独り身になったばかりで、資金もない。彼からに「これからも変わらない規模でやるとは思うけれど」と言ったら、VACANTもちょうど本の担当が欲しいし、うちのお金でtwelvebooksやってみない?と言ってもらえて。

御縁ですねえ。

それもあって、いまのVACANTで働くようになったんです。実はその前年、イギリスの出版社のMACKから日本のディストリビューションをやらないかという声がかかっていたんですが、それを僕は1回断わっていて。

なんと!

というのも、資金がなかった。せっかくMACKをやるなら、20~30冊程度じゃなく、数百冊をガンガン卸す規模でやりたかった。当時はそれができる規模じゃなかったから、時間をくれと。そしたらMACKのマイケルは分かったと言ってくれて。

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左が濱中さん、右が世界のマイケル・マックさん
「ちょうど2年前(2014年)、ロンドンのMACKオフィスに立ち寄った時の1枚です。世界中からディストリビューターが集まったセールスカンファレンスの前日ですね」

それってすごい話だけど、MACKはどうして濱中さんに声をかけたんだろ?

それが面白くて。当時、ディストリビューションしていたzineレーベルのなかに、イギリスの「fourteen-nineteen」があって。そのレーベルを運営していたLewis Chaplin(※2016年現在、MACKのブックデザイナーを務める人物)がたまたまMACKでインターンをしていたんです。たかだか1000円とかのzineだけど、こまめにメールしながら日本でのプロモーションとディストリビューションを担っていたんです。

MACKは2011年スタート。当時は開始1年程度で、そろそろ世界中に現地ディストリビューターを置いて、MACKを世界に拡大していこうっていう会議の場で、Lewisが「オレのzineを日本でディストリビューションしてくれてるアツシってヤツがいいと思う」と言ってくれたんです。それで、マイケルからすぐにメールが届いたんです。

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ホエー! ここまでの話、ほとんど御縁じゃないですか!

とにかくそういう経緯があったから、VACANTから声をかけてもらったときも「そういうことなら、これを機にMACKをガッツリやりたいけどいい?」と話したら、いいよと。それで調子に乗って、しょっぱなに数千冊をオーダーして(笑)。届いた請求書が数百万円! 速攻、社内会議でめちゃくちゃ怒られました。

ははっ、極端だねえ!

お前これ、1年以内に売れよって言われて。実際に1年以内で売り切った。いい経験になったなと思います。1年で売り切るには、これだけの冊数を毎月、何冊卸せばいいかとか。ケツ叩かれながらでもやらなきゃならない状況が作れたら、できたことでもあって。

twelvebooksにとって、MACKはそれだけ特別な存在だったんですね。

そうなんです。MACKと共に成長させてもらったし、或る程度の規模になってきた。これからの目標としては、これ以上新しい出版社を増やしていくというよりは、この5年を突っ走ってきたなかで、いい付き合いをさせてもらってきた出版社たちと、よりお互いが伸びていくためのことを見つめていきたい。

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写真・左)川田喜久治さん 右)マイケル・マックさん
2014年3月、MACKはART FAIR TOKYOに出展
川田喜久治さんの名著『ラスト・コスモロジー』がMACKから復刊!

と超話題になったときも、濱中さんがマックさんを支えていた
(写真提供:濱中敦史さん)

ますます気になってくるのは、そこまで濱中さんの背中を押すモノがなんで本なのか?ってことなんですよね。FAKE TOKYOでの順風満帆な人生も選べたわけじゃないですか。

ねえ、そこがねえ。不思議なんですよ。

でも、本が好きだからやってるだけとは思ってなくて。本がきっかけとなって、人とコミュニケーションがとれるのもそうだし、ディストリビューションってある意味、特権なんです。出版社、書店、そしてアーティスト、それらすべてにアクセスできる。セールスのためという理由で、色んな人から色んな話を聞くこともできる。聞いた話で感動したことをもっとたくさんの人に伝えたいから、イベントもやる。それは販促のためじゃなくて。自分が興味を持った人たちや作家さんたちと、もっとこうしたら面白いんじゃないかってことを実現するための箱作り。そういう仕事ができるのって、超スペシャルなポジションなんですよ!

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それも分かるような気がする。でも人をつないだり、色んな人とっていうのはファッションでもできることなんじゃないですか?

僕にとっては結果的にたまたまいいタイミングで、そういう価値観に触れられる仕事がディストリビューターだったのかもしれないですね。自分では、よくこれだけ続けてこれたなと思いますよ。

う〜ん、気になる。なんでそんなに、ディストリビューションの仕事に夢中になれるんですか?

限りなく色々な人に、限りない手法で届けられて、しかもそこに付随して色んなことができるからじゃないですかね。僕がなにか物を作るわけでもないし、書店みたいに場所が決まっているわけでもない。

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世界的なフォトフェア「Paris Photo」でもMACKの存在感はハンパない
これもう図書館だろ。ズルい、スゴい!(写真提供:濱中敦史さん)

でもさ、物を売るってことを考えると、単価を考える仕事でもあって。実際、写真集1冊辺りの売上っていうのはとても小さいわけでしょう?

そんなこと考えてなかったですよ、始めた時は。むしろそれはね、大類さんが一番悪いんです(笑)。一切、お金の話をしてくれなかったんですよ。どちらかというと、とにかくディストリビューションの仕事がいかに楽しいかって話をしてくれたんですよね。

で、僕が最初、本に関わりたいと言ったら、大類さんはこんな話をしてくれたんです。

うん、聞かせて聞かせて。

人の興味というのは無限大。本を作り始めたら、色んな人とコラボレーションして、色んな本を作りたいと思うだろう。たとえば50人の本を作りたくなったとする。でも1年で作れる冊数はせいぜい1、2冊程度。てことは、50人の本を作り終えるのに、最低でも25年がかかってしまう。

次に書店なら、50冊を扱うことはできるかもしれないけれど、たった50冊で本屋は成り立たない。それこそお客のニーズに応えるためには、豊かなジャンルの様々な本を集めてこなければならない。

その点、ディストリビューターはお客の好みと無関係なところから本を探し始め、自分が世に伝えたい50冊を、たくさんの本屋さんで売ってもらう仕事。全国に売り場がある本屋さんとも言えて。仮に1店舗の入荷が5冊だとしても、10店舗集まれば、50冊を卸せる。ビジネスになる可能性がある。

だからディストリビューターは、一番やりたい本だけでやってけるんだよ。それが一番良くない?と大類さんから言われて、それ一番いいですね!って(笑)。

たしかにその通りだ! そりゃ、やってみようという気にもなる。

でも仕入れや掛け率のこと、実際の卸業では利益がものすごく少ないこととか、全然教えてくれなかった。そういうことはユトレヒトの江口さんから。
最初1000円で仕入れた本を、1200円くらいで売ればいいかなと思って。江口さんに1200円ですと。じゃあ7掛けだから、1冊840円ね……と言われて、いやいやそれじゃ困ります!って(笑)。1000円で買ってきたんですって。じゃあいくらで買えっていうの?っていうから、1200円でって返したら、それじゃ本屋潰れるわと怒られた(笑)。

それで初めて、まず初めに出版社とネゴシエーションして卸さなきゃいけないのかとか、送料のこととかを考えて。少しずつやりながら勉強してきた感じはありました。

ははっ、でも大類さんは一番大切な「夢あること」を濱中さんに教えてくれたってことですよね。
はい、それはいまだに守っています。むしろそれがなかったら、続いてなかったと思う。そこは感謝もしているけれど、いい意味で憎んでもいるんですよ(笑)。辛い部分はなにも教えてくれなかったっていう。

それでも続ける人は続けるし、辞める人は辞める。

そうですね。あと大類さんが教えてくれたのは、自分が一番最初に手がける気持ち良さはあるよねって。僕がアパレルやっていたときも、唯一いまと変わらないところでテンションが保てていたのはそれで。

CANDYはエッジの効いたお店。ほとんど初上陸のブランドばっかりやっていた。みんながいいと言っているものを扱うより、誰も知らないもの。パリコレに行っても、ただショーを観るだけじゃなくて、近くの路上でパフォーマンスやってる面白い連中を引っ張ってこい、みたいな。それがバイイングの方針だった。

でも、CANDY時代に「一番最初に手がける気持ちよさ」って、実は悔しさと表裏一体でもあったんです。自分たちが良いと思って持ってきたブランドも、ビジネスが大きくなる頃にはより資本が大きいところに持っていかれてしまっていた。僕らはあくまで手が早いだけで、エクスクルーシブで扱うことはできなかった。

確かにそれは歯がゆいところ。

だから僕がディストリビューションをやると決めたときは、完全エクスクルーシブにしようと。必ずうちを通してくれと。それから、値段を公平にすること。どこかが安くし出して自由競争になりだすと……。僕はそれを吉牛だと思っているんですけど、どこかが100円でも安くすると、お客さんは当然安いほうに食いつく。でもそれって牛丼と一緒で、いつかどこかが潰れる構図なんですよ。下げることは簡単だけれど、再び上げるのはとても大変。

僕はそれがイヤだった。だから自分で決めた適正価格で出すんです。だからAmazonやネットショップ含め、日本ではどこで買っても同じ値段にしようと。そうすればお客さんも、どこで買っても同じ値段なんだから行きつけの本屋さんで買おうかな、といった基準でお店を選ぶことができるじゃないですか。お客さんの基準もいつの間にか値段じゃなく、どこのお店で買うかという話になるんです。

いやあ立派だなあ。今日はディストリビューションという仕事がなんとなく分かった気がします。ありがとうございました!


打ち合わせそっちのけで、1時間ひたすら語ってくれた濱中さん。彼がその仕事に一生懸命な理由、なんだか分かった気がする。もちろん、ディストリビューションという仕事についても!

twelvebooksのウェブサイトはコチラ:
https://ja.twelve-books.com/


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