暗黒超新星 山谷佑介が放つ夜闇の世界

今や飛ぶ鳥を〝見送る〟勢いで(飛んでる鳥を〝落とす〟よりもオトナ!)活躍中の写真家、山谷佑介がデビューした直後の2014年初頭におこなった貴重なインタビューです。山谷くん承諾の下、再掲載します。

インタビュー・文:トモ・コスガ

ここに差し出したるは、黒い布が無造作に継ぎ接ぎされた不気味な1冊。

もしかして黒魔術書? デス・ノート? いえ、写真集です。

今年デビューしたての写真家、山谷佑介が自ら手がけたという手製の写真集。その名も『Tsugi no yoru e』(次の夜へ)。装丁からして反骨精神というか、怒り狂ったドブネズミが近くで息絶えたヤマアラシの背からハリを1本ずつ抜き取っては自分の背中に植え込んで血まみれになってる的な(言ってる意味分かる? オレには分からない)。

とにかくツンツンした感じがいかにもヤマアラシのジレンマで、本は読むためにあるけど、この本だけはなんか開けちゃいけない様な雰囲気がたっぷり。

でもここはひとつ、空気を読まずに開けてみようか。

ページを開くとそこに広がるのは、夜闇(やあん)の世界。

クシで髪をかき上げるパンクスの後ろ姿、夜の海に飛び込む青年、布団に横たわる裸の男女、市松模様で綾取られたライブハウスの床を削るかのように踏み込むロカビリーやパンクスたちの足……。

明けることのない闇の魅力に取り憑かれた連中が、匿名性の高い切り口によって写真に収まる。

不浄、あるいは総天然色ならぬ〝総ケガレ色〟とも言えるモノクロ写真の仕上がりは美しく装飾されることを拒むかのようだ。実際、この本はボロ布に包まれているわけだから。でもマイナスとマイナスが掛け合わされるとプラスになるように『Tsugi no yoru e』は絶妙な負の要素が絡み合うことで独特の魅力を放つ。そう、オレたちはこういう写真(集)を待っていた!

そんなこんなで、山谷が作りだした暗黒の写真集『Tsugi no yoru e』(限定150部、2013年)は出版社や本屋を通すことなく、その年のうちに完売。ヤマアラシのジレンマを実践するかのように、人々の注目を浴びるよりはるか前に、暗闇へと静かに消え去ったというわけ。

この時代にストレートフォトを強烈な個性でぶっ放した山谷。1作目にして作家としての方向性は固まったかと思いきや、新作『ground (dance)』では全く異なる角度から新境地を切り開いた様子。

大雪が降り止まないバレンタインデーの2月14日、山谷がなにやら巨大な〝板〟を雪除けにしながらやってきた……。

大雪のなか笑顔でやってきたこの男、山谷佑介は雪国 新潟出身

トモ・コスガ:雪の日だってのに、今日はなに持ってきたの?

山谷佑介:オレの新作です。タイトルは『ground (dance)』(仮)。

山谷佑介、新作『ground (dance)』を片手に熱弁

へー、川田喜久治さんの『地図』みたい。でもこれって写真なの?

クラブハウスの床を撮った写真を等身大にプリントして、それを元のクラブハウスに敷いたんですよ。で、その上を観客が踊れば、印画紙の表面が削られる。それから客がこぼしたアルコールがインクを溶かして、絵がぐにゃぐにゃになるんです。ライブ終了後に回収して額装したのが、これ。

クラブハウスって暗室みたいなもんで。どっちも暗闇でしょう? でも暗室は塩化銀が反応して黒が浮かび上がるけど、こっちは逆に白へと近づく。

ほえー、そいつぁなかなかのアイデアだ。お手製の写真集『Tsugi no yoru e』も音楽の色が強く見受けられるし、ルーツは音楽系なの?

写真をやる前、ずっとバンドやってたんです。東京でFINALっていうハードコアバンドをね。そのあと、大阪でDEFECTORのボーカルをやってた岡本ジョージってヤツが東京に上京してきたから、そのジョージと組んで「B.J.R.K.」ってバンドを始めた。(※近くの紙に「B.J.R.K.」の綴りを書き出す山谷)

えっと……ビョーク?

いやいや、「ビジュアルケー」(笑)。冗談で「ビジュアル系」とかけてて。デビッド・ボウイやT・レックス、ピンクフロイドの初期とかって中性的なイメージだったじゃないですか。そういうのをやりたくて。化粧をしてライブしてたんです。

山谷がかつて参加したバンド「B.J.R.K.」(ビジュアルケー)。山谷は後列の白塗りドラマー。ビジュアル系ってゆーか、Misfitsじゃん!

そこからどう写真の道に?

ジョージが写真家の名越啓介さんと知り合いで。或る日、名越さんにバンドメンバーを撮ってもらうことになったんですよ。

あら、名越さんと? そりゃ奇遇だ。

そのとき名越さんの写真を知って、こんな世界があるんだと。その後、写真をやりたくなった。バンドも辞めて。それから紆余曲折を経て、写真の修行に出ようと思って。軍艦島に行きたかったから、ぷらっと長崎まで行くことにしたんです。

題「ジョージと女」

そして東松照明さんに出会ったと。

それはまだ言っちゃダメ(笑)。よく知ってますね。

まず「photo cafe HIKOMA」っていう喫茶店を見つけて。日本で初めて写真屋を始めた上野彦馬の名前もついているだけに、面白そうじゃないですか。それでたまたま立ち寄って。そしたら2階には暗室もあるし、気に入ったからマスターに「オレ、ここに来たいッス」と言ったら「部屋あるからいつでもどうぞ」と二つ返事が。

最高だね。

それから1年弱、住み込みました。で、長崎と沖縄を東松照明さんが行き来していると聞いて、写真を見てもらおうと思ったんです。

東松さんから言われたことはひとつ。毎週500枚を撮ってこいと。そうして撮ってきた写真を、彼は全て隈なくチェックする。それで強いだの、弱いだの言われるんですけど、僕が選ばなかったような1枚をパッと引っ張るんですね。そういうやりとりを経て、次第にストレートな写真を撮りたくなっていった。

そりゃまた貴重な体験を!  それで、『Tsugi no yoru e』の舞台になった大阪にはどういうきっかけで?

長崎のあと、世界も放浪して。日本を撮りたい気持ちが強まって、とにかく一歩踏み込んだスナップを撮りたくなった。バンド解散後に大阪へ戻ったジョージに相談すれば、きっと色々アテンドしてくれるだろうと。それですぐ連絡したら、5分くらいで折り返しが着て「家、見つかったよ」って。そうして住み始めた大阪での生活が『Tsugi no yoru e』に詰まってるんです。

意味深なタイトルの意味は?

「今日出会った女より、もっといい女が明日はいるよな」って。ホントそんな感じで、毎晩遊んでた気がして。あと、ゆらゆら帝国の曲でこのタイトルのがあって。当時よく聴いていたんですよ。


ここからは山谷の処女作『Tsugi no yoru e』に収録された意味深な写真の背景についてそれぞれ聞いた。

2010年、ワールドカップの時の1枚。日本対……オランダ? 忘れましたけど、決勝トーナメントで日本が勝った。ワー!となったこの日、道頓堀だ!と思って。道頓堀に飛び込む若者の姿です。よく「これってセットアップ?」って訊かれるけど、いやいや、これぞ大阪名物ですよ。

昔からある「ケントス」っていうライブハウス・レストランの系列があって。そこではご飯を食べられて、かつバンドが生演奏している。で、オヤジとかが踊ってて。たとえばキャロル世代とか。そういうおっさんに混ざって働いていた若いヤツの準備姿ですね。

家の近くを歩いていたら、猫がいた。たまには動物も撮るかと思って。撮ろうとしたら逃げられた。排水溝に。だから手を突っ込んで、パシャッ!と。後日見たら、なにも写ってなかったという1枚。

立ちションですね。ライブが終わって、みんなでライブハウスの前で飲んでて。みんな酔っ払ってて、オレも酔っ払ってて。だから覚えてない。とりあえずいつも地面に這いつくばって撮っていた思い出はあるんです。この視点はものすごく低い位置じゃないと撮れない……だからといって別にオレがこいつのを尺ったわけじゃないですよ。

これはシガちゃん。日本パンク界の重要人物。バンドもやったこともなければ、店員でもない。何者でもない。西成に住んでいて、部屋にミシンもない。だけどリストバンドとかズボンとか、リメイクをなんでも作っちゃう。特に鋲ジャンにかけてはこの人が日本で1番うまい。あまりにもDIYがすごすぎて、「LIMI feu」からリストバンドを作ってくれって頼まれたり。

コイツはロビン。大阪のアメ村で「FARPLANE」っていうバー兼フェティッシュな服を売ってる店のオーナー。17くらいの時にふと入ったのがロビンの店だった。スケベなものしか売ってないのかと思いきや、鋲のリストバンドとかパンクっぽいものも置いてて。そのなかにシガちゃんが作ったリストバンドとかも売ってた。知り合ってから7年近く会ってなかったんですけど、24のとき久しぶりに行ってみたら、店がパワーアップしてて。超でかいエロ屋になってた。バーもあったりして。ロビンのバーにほとんど毎日行ってましたね。

あるとき、アメ村の三角公園で遊んでたらコイツ(女)がやってきて。もうブッ飛んでて。初めて会うのに、みんなを亀甲縛りし始めた。それで面白いじゃんって、朝まで遊んで。翌朝、東京に帰らなきゃって言うもんだから、大阪駅のホームまで見送りに行きましたよ。この1枚はロビンに撮ってもらいましたね。

オレ、居酒屋でキャッチのバイトをしてたんスよ。道頓堀のグリコの前。ホント激戦区で。コイツはその居酒屋の板前。デブって、だいたい家じゃ裸で。 或る日、店の店長が「キャッチ会社を独立する!」とか言い出して。しかも居酒屋だけじゃなく、風俗もやろうと。でも当時の大阪は風俗がすごく厳しかったから無理で、じゃあAVだと。スカウトの講習会やるからって言われて、講習会に誘われた。その名も『AV女優のスカウトの仕方』(笑)。黒板に「女は金だ! 金だ!」って書いてあって。オレ、写真を撮りに大阪来たのに、なにしてんだろ?と我に返って、キャッチは辞めた。

これは友達のトモノリ。朝までクラブ行って、朝の6時頃の1枚。こいつ、飲むとメチャクチャ攻撃的になる。この日も帰りにスケボー投げ出したりして。と思いきや、駅前でバタッと倒れた。3分くらいこのままだった。

清水姉妹っていう、アメ村で有名な姉妹がいて。三角公園から3分のところに2人で住んでる。みんな朝まで三角公園で飲んだら、清水邸に行くのが恒例で。でも清水姉妹には誰も手を出さなかった。スケーターの仲間として、みんなと仲良いっていう姉妹なんです。これは清水邸の玄関。

手のヤケド。しょーもない話なんですけど、ロビンの店で、アルコールをチン毛につけて火をつけるとボッ!となるっていう遊びを見て。オレも!と思って、酔っ払いながら、ボッ!とやった。ホントはとなりで誰かにすぐ水をかけてもらわなきゃいけないところを、1人でやったモンだから自分で鎮火。肝心のチンコは大丈夫だったけど、手のほうが大ヤケドしちゃった。 大阪ってヤブ医者ばっかだから、このキズも全然治らなかった。

これはオレが居候していた家。そこでは毎週、誰かが女を連れてきて、毎週誰かが女を弄ってました。なんで最後までやらないのかは分からないけど、なんでかうちではみんな弄ってたんですよね。

山谷佑介 公式サイト
http://www.yusukeyamatani.com

2nd写真集『ground』と、3rd写真集『Rama Rama Ding Dong』は公式ウェブサイトのストアページで購入可能
https://galleryyamatani.stores.jp/

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

最後まで読んで頂きありがとうございました。写真にまつわる話を書いています。基本的に無料公開としておりますので、楽しんで頂けましたらサポートしていただけると嬉しいです。

私もあなたのことがスキです
11

Tomo Kosuga

アート・プロデューサー。深瀬昌久アーカイブス 創設者兼ディレクター。元VICE MEDIA JAPANクリエイティブ・ディレクター。著書に「Masahisa Fukase」(英語版・仏語版:Editions Xavier Barral、日本語版:赤々舎)。アムステルダム在住。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。