見出し画像

【未来から今を知る〜僕らはどんな時代を生きているのか?〜】

〜PEOPLE FROM THE EUTOPIA〜
残り1週間!
25日まで@新宿BEAMS JAPAN

神戸・元町を歩くのが好きな人にとって「輸入雑貨、輸入直売/卸店EINSHOP」は特別でした。店舗を訪れる時のウキウキした気持ちとともに記憶している人も多いのではないでしょうか?
そこを「立ち上げ運営責任者、管理、仕入れ、デザインを取り仕切」ってきたのが友人でもある岡本亮さんです。今日はその亮さんの個展について少し解説をしてみたいと思います。(僕がどう感動したのかという話です)

【CALMA by RYO OKAMOTO展 ★開催中★ 4/2〜4/25 @BEAMS...

Posted by 岡本 亮 on Monday, April 12, 2021

もし新宿まで行ける方はこの機会にぜひ作品をじっくりと楽しまれることをオススメします!鉛筆で書かれた作品があるのですが、それを時間をかけて読み込む方、多数。今日も僕の友人が訪れてくれたようです。この個展を友人たちと分かち合えるのが本当に嬉しいのです。

ここでは現代的な技術の発展、社会・仕事観の変化、教育の変遷という視点から残り1週間の本個展からの気づきをここに共有します。

結論的に言うとこれは「未来人の生活展」です。なのに、なぜか魚を突くヤス(ゴムなどをつければ銛)が展示されています。


Calma water club

え、めっちゃ原始的やん…。なんだか未来と真逆…。
不思議に思うかもしれません。僕も不思議だなって思いました。

でもじっくり展示を見たり、えんぴつで書かれた作品の言葉を読み、今の僕らの生活や科学技術の発展のことに思いを馳せつつ、思考を行き来させていたらパッと霧が晴れていくように腑に落ちました。

あぁ、僕ら人類に残されたものはもはや「遊び」だけなんだと。だからヤスなんだって!
意味不明ですね…w

でも僕の中では上記のように一気に理解がきて、そしてそれを他人に説明するために後付けのような思考を言語化していったのが以下になります。

順を追って説明します。

①まず、僕らは物質的にとても豊かになりました。
もはや無理に頑張るって悪なんじゃないか?!

見田宗介さんの「現代社会はどこに向かうか-高原の見晴らしを切り開くこと」の序章の終盤に以下のように綴られています。

少し長いのですが、引用してみましょう。

——————————————
近代の思考の慣性の内にある人たちにとっては、成長の完了した後の世界は、停滞した、魅力の少ない世界のように感覚されるかもしれない。けれども経済競争の強迫から解放された人類は、アートと文学と思想と科学の限りなく自由な創造と、友情と愛と子どもたちとの交歓と自然との交感の限りなく豊饒な感動とを、追求し、展開し、享受しつづけるだろう。
幾千年の民衆が希求してきた幸福の究極の像としての「天国」や「極楽」は、未来のための現在ではなく、永続する現在の享受であった。天国に経済成長はない。「天国」や「極楽」という幻想が実現することはない。天国や極楽という幻想に仮託して人びとの無意識が希求してきた、永続する現在の生の輝きを享受するという高原が、実現する。けれどもそれは、生産と分配と流通と消費の新しい安定平衡的なシステムの確立と、個人と個人、集団と集団、社会と社会、人間と自然の間の、自由に交響し互酬する関係の重層する世界の展開と、そして何よりも、存在するものの輝きと存在することの至福を感受する力の解放という、幾層もの現実的な課題の克服をわれわれに要求している。この新しい戦慄と畏怖と苦悩と歓喜に充ちた困難な過渡期の転回を共に生きる経験が「現代」である。
——————————————

働き方改革の困難さは、実は「働かなくても良いのかもしれない」って事実をぼくらが直視することを忌避しているところからきているのかも知れません。
いわゆる物理的な活動による労役はどんどんロボティクスに代替されています。僕らみたいに眠いからとか、お腹減ったからといってミスを機械くんたちはいたしません。彼らは粛々と作業をこなします。ミスをしたり、不平不満を口にする僕らを採用する理由はありません…泣

物理的な労働ではない、知的労働も実はどんどん人間の手を離れて行っています。特に計算などの繰り返し処理はコンピューターが間違いなくアウトプットをもたらしてくれる上に早くて安い…。人間にやらせてる場合ではありません。

しかも最近はAIの発達や「オルツ(Al+)」さんのデジタルクローン技術で思考すら代替されているのです!

オルツさんのミッションは

「ラボーロからオペラへ」

「ラボーロ」とはローマ時代に奴隷が従事していた労役のことで、一方の「オペラ」はローマ時代の市民が従事していた創造的労働/作品なのです。

「オペラは〈作品〉や〈動作〉を意味するイタリア語のopera(ラテン語opusの複数形)を語源とし,本来はopera in musica(音楽による作品)あるいはopera scenica(舞台付きの作品)と呼ぶべきものを,略してオペラと呼ぶようになった。古くはfavola in musica(音楽による物語),dramma per musica(音楽によるドラマ)等の呼称もあった。」

つまり彼らオルツは人類を単純労役から解放し、知的創造/作品づくりができるようにして行こうというミッションを掲げている訳です。とてつもないビジョンですね。

ですが、働くことが習慣化している僕らはうまく休むこと、もしくは労働しない方法を知りません。ワークシェアリングや週休3日は労役から解放されるまでのある種の経過措置と言えるでしょう。

②人類に残されたのは「遊び」だ!

物理的労働も知的労働もロボットやAIに奪われた人類に残されたものはもはや「遊び」しかないのではとぼくは思ってしまいます。もう、それこそ人類みんなでスコーレ (scholē) ですよ。みんなで暇して、余計なことを無目的に考え、知の多様性の爆発です。

労働から解放された人たちは現代においても存在します。僕は見たこと無いですけど、イギリスの貴族とかきっとそんな感じです。彼らは狩猟などに興じています。労働から解放されている人たちは自然との対峙を最も高級な遊びと見立てている節があります。人工物から離れることこそがもっとも知的で最も遊び的な訳です。暇な人類がやることは知的遊びと自然との戯れになるのでしょう。

③創造的先祖返り 未来の僕らは鮎突きをしている

ここでようやく分かってきます。労働から解放された未来人はきっと川の中に入り、鮎突きなどに興じる筈だと。現代の労働環境や技術の進展と岡本亮さんの展示内容が僕の中でハッキリと繋がった瞬間でした。全人類的に労役から解放されたら人々はむしろ原始的になるのかも知れません。創造的先祖返りです。

人類は大して変わっていません。外部化された知が猛烈に発達しているにもかかわらず、僕らの生身は、そして生身の僕らはほとんど変化していない訳です。もうね、この脳みそや身体でついていくのって正直ムリゲーです、マジで。ホント勘弁して欲しいところなので、僕らはだんだんと知を外部化していき、知的労働や継承をこの生身の身体で受け継ぐことを拒否していくのかも知れません。

正直どうなっていくのか分かりませんけど、生身の身体に適応した自然との邂逅(あゆとばったりあったり)に幸せを見出していくように思えます。ただ、一方Augumented Humanって感じで機器を埋め込んで人間自体を拡張される方向にも開かれているとは思います。思考の結果として。

そんな事を色々と考えさせる稀有な個展です。25日までに見に行かれる事を強くオススメします!これ逃したらあとで後悔しますw
教育も遊びの一環として存在していくことになるのではないかと思えてきます。

個展に行かれたらぜひお知らせください!そして朝市に加古川まできてください。亮さんがきてたら引き合わせますのでー。

奥さんの足をマッサージしつつ、「虚数」の話を夫婦でして加古川の朝市中止の土曜日の朝を過ごしていました。


最後までお読みいただきありがとうございます!本当に有難うございます!どうしても見ていただきたいなというリンクを貼っておきます!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?