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ずっと一緒 -わたしとポケモンたち-

こんばんは。
このところ一次創作ばかりなので、ひさしぶりに日記にしてみようと考え中のともみっす。

で、まあ。
何を書こうかなあと、考えていたんですが。新作も出たことですし、(また)ポケモンのことを書いてみようかと思います。と言いつつ、スクショが全て「ポケモン・ウルトラサン」なのは許してください。新作の方、「ポケモン・バイオレット」はまだまだクリアできていないのです。


さてさて。ポケモンの好きな方は、それぞれいろいろな楽しみ方をしていらっしゃると思いますが、わたしがかなりグッときているのは、
「一緒に過ごしていると、その分とてもなついてくれる」
と言う点なんです。ここから書き始めているのは、おしまいまで読んでいただければご理解いただけるのでは、と。

このことは、動物などを飼った経験がある方なら、感覚的にわかっていただけるんじゃないかと思います。共に時間を過ごして愛情を注げば、相手(動物とかだったり、ポケモンだったり)もそれを感じ取ってくれるんですよね。

わたし世界(ポケモン世界?)で、いよいよ会えます!

もちろんそこにあるのは、一方的な独善的な愛情ではなくて。双方向に通じている愛情、思いやりとか慮るこころとかなんだと思います。ポケモンと言う世界で書いていきますが、この子たちってなついて信頼してくれていくにつれ、大きな傷を負っても、悲しませまいとひんしになるのを持ちこたえたり、やけどやまひも自力で治したりするんです。

また、タッチスクリーンを通してですが、直接撫でてあげたり好きな木の実を食べさせてあげたりもできます。その仕草がまたまた愛らしいんですよ。
こうなってくると、もう「3DS」って言う携帯ゲームマシン越しに、ポケモンたちと一緒に暮らしているんじゃないか。いやいやもしかしたらわたしは、ゲーム世界に入っちゃっていてそこでポケモンたちと触れ合っているんじゃないか。

降り注ぐひかりたち

そう錯覚してしまう、と書くとさすがに過言ですけれど、それくらいすぐとなり、手の届くところにポケモンたちは生きている、トレーナーであるわたしを慕ってくれている。そんなことまで感じてしまいます。

もしかしたら、ポケモンに没頭してしまうのは、
「誰かを好きになりたい・愛したい」
のに、
「そのような場がない・出会いがない」
から、
「ポケモンたちと交流して、愛情を深めている」
のかもしれませんね。

あふれたひかりの元には……

寂しい人生? ひとりぼっちコミュ障のタワゴト? ゲームと現実を混同している?
いえいえ、そんなことはないです。

もしそれが否定されてしまうのでしたら、わたしたちは小説の世界や映画の世界などに入ることも否定される。それと同義だと思うんですよ。

「発育とか教育に関わる由々しきことであって、とても認められない云々」とか、ゲームに反対的姿勢の香川県(の一部の方)はおっしゃるのかもしれませんが、そこ(ゲーム世界)には本当の意味での「現実」があり「虚構」があり、プレイするわたしたち(ポケモントレーナー)に強く、強く、ポケモンたちとの関係性が問われているんです。

みんながいた!!

一例をあげましょう。
手に入ったポケモンたちを、「にがす」ことができます。言い換えましょうか。「すてる」ことができます。ゲーム内では語られませんが、一緒になったポケモンをトレーナーとしての責務も果たさず、「すてて」しまうこともできるんです。

何かに似ていませんか?
現実世界でこのようなことがあったら、おそらくそのポケモンは捕獲されて、保健センターなりに送られて、少額の「手数料」と交換で引き取ってもらって。飼い主(ポケモントレーナー)が見つからなければ、「夢の箱」に行こうね、となってしまうでしょう(意味不明でしたら、英訳の「ドリームボックス」を調べてみてください)。

実は、現実の裏っ返しになった世界。そこにポケモンたちは生きて、暮らして、ニンゲンたちと過ごしているのかもしれません。


長く書いてしまいました。
ここまで綴ったことは、わたしの勘違いや錯覚では決してないと考えています。すっ飛ばしてはいますけれど。
これからもポケモンたちと一緒に、ずっと一緒に、過ごしていきたいなぁ。と言ったザレゴトではあります。ですが、納得いただけるザレゴトではないでしょうか?

ポケモンたちと出会えて。
わたしはとても嬉しいですし、しあわせです。

ありがとう……!!

最後まで根気よく読んでくださって、ありがとうございました。

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