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積極的に「何もしない」治療の経過観察中

以前のブログで、積極的に「何もしない」という治療をしてみている、という話を書きました。

2週間ほど経った今、手荒れが楽になってきています。
きれいな皮膚も戻ってきた。
うむ、ありがたい。
これは目から鱗です。

今までいかに自分が「惰性で」、手に対して何かを施していたかがわかりました。物理的にも精神的にも。

こないだ、こんな記事

も書いたばかりだったのに、惰性でやっていることって、自分ではなかなか気づけないものだなと思いました。
ルーティンにまでなっているから、よけい気づきにくい。
おしゃべりの対象にもあがってこない、というような感じでしょうか。自然すぎて。

まずは自分とおしゃべりするのではなかったのかい、と自分にツッコミを入れました。いつもいつも、自分の行動や思考に、意識が及ぶ範囲では、自覚的でいたいなと思いました。

今までは、できるだけ手を乾かさないようにと思って、手を洗ったら、しみないオイルを塗っていました。
これはもう、無自覚だったなと今は思います。

なんなら
「あ〜あ、またオイル塗らなきゃいけないじゃん。塗ったって、そんなに変わらないのに」とイライラしていたり、
「何でわたしの手はこんなふうなんだよ」と自分を責めたり、
けっこうひどかったなあと思います。
イライラや自分を責めるところまでがワンセット、みたいになってしまっていた。
これじゃあ、全然、自分とおしゃべりできていないじゃないか。

先日、ある星読みや数秘をみていただける方に「人にしてあげていることを、自分にもしてあげてください」と、あらためていわれました。
ほかの星読みの方にも昔(どんだけ星読みすきやねん、て話ですが)、「あなたの中には、ものすごくたっぷりの水が注がれている部分と、一部ではあるけれど、枯れている部分があるみたい」といわれました。
パーソナルなことをみていただける、ほかの方にも、似たようなことをいわれたことがあります。

いつも、それ、やっていたつもりだったんだけれど、、、と思っていました。インチャケアも届いていない部分があるのだな。

こうして振り返ってみると、今回のことは小さなことだけれど、すっかりできていない部分があって、そこはポッカリと穴が空いてしまっているなあと思います(今気づいたみたいに書いているけれど、実は、そのポッカリ穴は、自分では、見て見ぬフリをしてきた部分であることに、とんと昔から気づいているような気もします)。

いよいよ、やらなきゃいけないときがきたのかな、と思います。うむ。

話を戻して、手の話。

今まではオイルが手放せなかったのですが、今は、手を洗ったあと、数分続くヒリヒリ感やチクチク感に耐えています。ただそれだけです。
そうすると、手がかゆくも痛くもなくなるのです。

苦し紛れに塗ったステロイドも今はもう塗っていません。
でも、もちろん、かゆみ爆発!というときもあります。そういうときは、掻きます。でも皮膚が変わったからか、後味がいいのです。

わたしが実践しているのは、何もしない、ということだけ。
積極的に、何もしない。

いや〜身体って本当におもしろいです。
経済的だわ、しかも。